京都府船井郡京丹波町曽根竿代29、何鹿神社を訪ねます
山王七社・・・・何鹿神社、橋爪の二ノ宮神社(八幡宮)、酒治志神社、九手神社、子守神社、能満神社と日吉神社を巡っています・・・
延喜式内社、何鹿神社です
社頭、案内板・・・
何鹿神社(延喜式内 出石鹿いそ部神社) いそ・・・山偏に石、文字がない!
祭神:大山祇命 品陀別命 彦狭知命
天武十二年すでに社が遭ったと伝えられ、大宝二年(702)から出石鹿いそ部神社、正和四年(1315)から何鹿神社と呼称している。
永禄十二年(1349)再建、弘化五年(1848)再建。
貞和五年(1349)に書かれたと認められる大般若経が明治六年(1873)まで社内に存在していた天正の頃まで中丹波山内荘7社の神輿が当社に集まり祭礼式を執行した。
本社は山内の荘の一宮とされ、昔から荘内の人々が尊崇し神輿の存在中は例祭日に右7社の神輿をかついできて御旅祭礼があったと伝えられる。
平成11年5月12日不審火により全焼した。本殿は弘化五年2月再建のもので三間社流造檜皮葺き(50㎡)軒唐破風の向拝を一間に造る形式、端正な中に柔らかな味を漂わせ江戸末期の特徴をよく現した建物でその上に覆い屋鋼板葺き(82㎡)があった。
現在の社殿は、平成11年氏子の中より再建委員八名、委員長は村山和夫を選出、再建の議がまとまり、平成12年4月より十年間、氏子一戸につき毎月2000宛の積み立てにより工費を拠出することとなり、設計を谷垣俊平、施工を松本寛・森次郎・北村亨・西畑幸二共同企業体、代表松本寛が担当、平成12年4月25日着工、平成13年10月完成。その工費約七千萬円、その規模形式は三間社流造銅板葺神饌所を併設し約60㎡である・・・案内板より全文引用・・・
参道
拝殿
うん? 本殿全体写真がない・・・撮影ミス‥・ 仕方ないス!
新本殿
境内社・・・春日神社、大原神社
本殿前、石燈籠‥・正徳三年(1713)と読める
旧社殿の瓦か?
何鹿神社の付近の栗の木・・・花、満開・・・梅雨ですね
栗の花は梅雨入りの少し前に咲く花・・・・栗の花は「墜栗花」と呼ばれ、梅雨を知らせる花とされます・・・TVの気象説明にて知りました
この一帯は、栗栽培か? 背の低い栗の木が花を咲かせていました
山王七社・・・・何鹿神社、橋爪の二ノ宮神社(八幡宮)、酒治志神社、九手神社、子守神社、能満神社と日吉神社を巡ってきました
これで、すべて山王七社すべて参拝いたしました
何鹿神社・・・出鹿郷の総社として崇敬され「一の宮」とも称されていたらしい
由緒には、天正の頃まで中丹波山内荘7社の神輿が当社に集まり祭礼式を執行したとある
山王七社巡りの参拝がこの何鹿神社が最終とは、偶然であるが・・・うん!
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