ページ

2015年6月11日

磯崎神社・・・中井権次の足跡を巡って‥兵庫県加西市下道山町

中井権次の足跡を巡って・・・磯崎神社!
前備忘録にて記した、千山寺の向かい
写真下、一番奥、山の谷間に見えるのが、千山寺!
この田畑の農道を走ってきました


磯崎神社 平成三十年 創建1300年祭齋行、横断幕が・・・
そして、やけに目立つ、奥野将監屋敷跡の、看板・・・後述!


「P」する場所が見つからない、路駐はう~ん? 
仕方ない鳥居前にバックで入り、「P」しよう!

鳥居をくぐり、社務所前を通過し
おおぉ、獣止めの柵、いや、立派な門ですね!
ここは、多分、右の扉を開けて入るのでは・・・
ピンポン、開きました
内鍵なんで、閉じ込められることない


参道
苔むし、落ち葉は広がり、なにか寂しさを感じさせる空気感であるが、よく整備されている

拝殿が、そしてその手前の両脇に門守随神社が見えてきました

門守随神社
         

写真上:左右の蟇股、獅子咬みを発見! 左右から睨んでいるね!
千山寺の山門にも獅子咬みがあったね・・・
               
           

拝殿

唐破風の虹梁上の龍・・・上を睨んでるね!


斜め横から、唐破風下を・・・木鼻は獏かなぁ?

拝殿内部、左側、絵馬も多いね!

拝殿内部、右側・・・神輿かなぁ? 

本殿、遠くからしか拝見できません

せめても、左右脇障子・・・仙人が鯉に乗っている!
           

脇障子、裏面の刻銘・・・「當社彫物師 丹波柏原町住人 中井権次正貞」
        

本殿、右側面

拝殿、弊殿、本殿・・・ドラム缶が並んでいるね

鬼瓦が勢揃い・・・想像するに、屋根葺き替え時、外したものでしょうね?

狛犬、あっち向いて、ほい!‥って感じ
いや、正面を見張っているんやで!‥年代不明
           

左、社務所  右、土塀、荒廃している

奥野将監 屋敷跡・・・
→の方向へ歩いていきましたが、所在が分からない、草、生い茂り、無理と判断!

ググってみました
奥野 将監
通称であり本名は定良、天保四年(1647年)~ 享保十二年 赤穂藩浅野氏の家臣
浅野家再興が絶望的になると、討ち入りから脱盟。この脱盟については大石が吉良を打ち洩らした際に備えた二番手だったとも、浅野長矩の隠し子の姫を育てるためだったともいわれるが、真相は不明である。 その後は播磨国に戻って、一女が嫁いでいた加西の下道山の磯崎神社神宮寺秀経に身を寄せて、名も右衛門と改めて新田開発に尽力した。晩年には播磨国多可郡中村の延明寺に移り隠棲したといわれ、その地の糀屋村に奥野のものといわれる墓が存在する。この墓によれば、法号玄徳院節厳禅義居士。この法号は磯崎神社に残る神宮寺過去帳と一致し、これによると1727年(享保12年)5月22日に死去したとある。享年81・・・Wikipediaより引用

うん?・・・ここまで、車、入ってこれるのです(^^;)

磯崎神社 平成三十年 創建1300年祭齋行・・・横断幕が・・
うん?確か、石部神社も、同じ年、同じ月に創建1300年祭齋行、と、あった? ですね!
ありました
なにか、関連があるのかなぁ??

神馬も、いてはりました

参道の側の畑に咲く???
すみません、花の名、知りません!

中井権次の足跡を巡って・・・加西市は終わりました
さぁ、次はどこの地域を訪ねてまわりますかね!

行きますか・・・「α君」、「カーナビ君」 ガンバです!

参拝日:6月7日







0 件のコメント:

コメントを投稿