淡路島には、何度も来ていますが、神社巡りはお初です・・・
でも、参拝する時間は限られています・・・よし、では限定、指定で巡ります!
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ルートは、花さじきから・・
-->伊勢久留麻神社
-->松帆神社
-->石屋神社(2度目)
-->八幡宮
-->恵比須神社・・・
・・・南から北へと・・巡ります・・・
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恵比須神社以外は、全て、国道28号線沿いに位置します・・・
伊勢久留麻神社・・・
真っ白に塗られた鳥居・・神明鳥居(伊勢鳥居)か・・・境内は未舗装の「P」になっていて、なんと、漁船二隻も、「P」?している・・・車のタイヤも泥まみれ・・(^^;)
案内板・・そう、案内板なのですが、ほぼ、文字は消滅です! 太鼓地車?の写真のみ、かすかに・・!
伊勢久留麻神社の由来・・・
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伊勢久留麻神社は、遠く伊勢ノ国 久留真より勧請せるものと言われ 祭神は大日?貴尊と称され 敏達天皇の頃(五七二~五八五)と 言われ、延喜式(九二七年完成)には 淡路十三社の三番目に明記されている。
その為淡路イザナギ神宮を一の宮とし この神社は、三の宮とも言う。
昭和五十五年二月十一日建国の日に NHKテレビが特別番組として、 「知られざる古代~謎の北緯三十四度三十二分を 行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので 俄然全国的にも有名になったものである。
・・・写真下、境内案内石碑より引用 |
瓦の獅子が・・かわいいね!
拝殿・・扁額
本殿・・緑、金色の狛犬が守っていますね!
脇障子も見えます・・
本殿・・草が膝の高さまで生い茂り・・玉垣とで、浸入を許しません・・・
ズームで見ると、彫り物も素晴らしい・・しかし、近寄れません・・
文政十一年(1828年)の刻銘が読める・・
石灯篭が社に、注連縄まで・・観察するもわからない・・
周りの草むら・・本殿付近と同じように、スニーカーでの探索は危険!
史蹟、第三代 駒留松・・・ググってみるが、不明・・・
地名が久留麻(くるま) 駒留松も無理して読んだら、くるま・・私感
NHK・・「知られざる古代~謎の北緯三十四度三十二分を 行く」・・
・・・大和の三輪山のふもと、箸墓を通る北緯34度32分の線上に、太陽崇拝に関係のある古墳、神社、寺が並ぶ。それは一体何を意味するのか。神島から淡路島まで約200Kを取材。淡路島の石上神社の謎の巨石、伊勢久留麻神社、伊勢斎宮跡など、また、この東西線を古代人がどうして引くことが出来たか?・・・NHKより引用・・・
神島--齋宮跡--室生寺--長谷寺--三輪山--箸墓古墳--二上山--大鳥神社--伊勢久留麻神社--舟木石上神社が一直線上にあると・・・
不思議なことですよね!・・太陽って、なにか、自然と感じますよね!・・おおおぉ・・って!
ですから、山登りで見る、ご来光、初日の出・・等々・・・
あとで、参拝する、石屋神社・・前回参拝の折、お聞きした、春分・秋分の日には、社殿から鳥居の中央から昇る日の出を見ることが出来ます・・・これも不思議で、計算されているのですよね!
参拝日:6月10日
氏子の端っくれです。
返信削除我が大神さまの境内の中央を国道が分断する事になってしまています。
それによって境内が二分されてしまています。(倍以上の広さが在りました)
昔は黒木の大鳥居が旧国道(現市道)側に聳えて居ました
境内は黒松が鬱蒼と繁りそれはそれは森厳と言うのに相応しい神奈備の森。伊勢の森とも
駒留松は勅使等が到来した際に実際に馬を繋いだもの、
初代はかなりの古木かつ立派な姿でしたが松喰い虫の被害に遇って数十年前に敢えなく枯れて、
二代の若松は2年前に又々松喰い虫被害に遇って枯死。
その後継が現在の若松。総代さんに聞いた話では、ご指摘の事をも勘案した命名のようです。
ちなみに楠木正成さまは淡路島には来島していませんが、
その家臣らが湊川の合戦の砌、公の崇めたまう八幡大菩薩さまとお上より拝領の菊一文字の小太刀を託され苦心惨憺の末に当地に落ち延び隠遁しました。
この久留麻神社は、楠木正成さま御一統の氏神筋(美具久留御魂大神の分霊)にあたる神様
落ち延びてやっとこさ人心地ついたご一行の眼前にふと氏神筋の神社が鎮座為さっているのをみて奇しき神のお導きに一堂落涙為さったのが目にうかびます(ご先祖さまかも)
湊川~都は鬼門。現在の久留麻神社の参道~社殿は古里の金剛山(高天原)を望んで御鎮座坐す。
コメント・・ありがとうございます
削除さすが、氏子さんでしか、知らない事柄で、ありがたく読ませていただきました
貴重な情報、ありがとうございました