兵庫県神崎郡神河町中村1048、法楽寺(播州犬寺)を訪ねます
ある日、新聞の記事に掲載、紹介されていました
その場所を見ると・・・おいおい! 神河町じゃないですか!
この地域は、銀の馬車道、生野銀山、そして、我が家の飲用、水汲み場所の馴染みの地域
法楽寺(播州犬寺)は知りませんでした
早速、参拝に参りました
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本来は、山門からですが、お寺の案内で、「P」があるとのことで、山、登ります
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法楽寺(播州犬寺)
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紀州高野山金剛峯寺を総本山とすり高野山真言宗のお寺で、ご本尊は十一面観音菩薩です
開山は大化年間、開基は法堂仙人といわれています
法楽寺は、県指定文化財の本堂、春日社、町指定文化財の梵鐘、山門、庫裡、鐘楼、開山堂、神馬図絵馬など多くの文化財があるお寺です
また、古来より創建時の逸話「播州犬寺物語」の舞台として著名で、このことから別名「播州犬寺」と呼ばれています
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金楽山 法楽寺(播州犬寺)
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・・・全文を入力いたしました・・・
創建:七世紀
開基:法道仙人
本尊:千手観世音菩薩 播磨西国三十三カ所第十五番札所
宗派:高野山真言宗
当山の由来「播州犬寺縁起」
鎌倉時代、京都・南禅寺の学僧であった虎関師練が表した仏教史書「元亨釈書」(元享二年・1322)の第二十八巻「寺像誌」に、播州犬寺の縁起が記されている。
昔、蘇我入鹿大軍を召して上宮太子一族を亡ぼす(643)。播州の枚夫という者あり。召されてその軍に加わる。枚夫に妻あり。その間、下僕(家来)と密かに通ず。やがて、戦い終わり、枚夫は都より帰る。さて、事が露見し討たれるのを恐れた下僕は「近くの山中に一カ所鹿、猪の集まる所あり。願わくば殿と共に猟に行かん」と、言葉巧みに枚夫を狩りに誘う。狩りを好む枚夫、日頃養育せし二頭の犬を連れ、喜び勇み、下僕の案内で山の奥深く分け入る。突如、下僕弓に矢をつがえ曰く「この山には獣などはいない。あなたを欺いて誘った。お命を頂戴する。格御召されよ」と。
もはやこれまでと覚悟を決め、枚夫は二頭の愛犬を呼び寄せ、己の弁当を分かち与えつつ「よく聞け。今、下僕に欺かれ、空しく此の山中にて我が命を奪われる。国の人々来たり我が屍を見られるは、大いなる恥辱なり。故に二犬よ。我が屍を食い尽くせよ」と語り聞かせる。話が終わるやいなや、二犬は猛然と下僕に襲いかかり、一頭が下僕の弓弦をかみ切り、もう一頭が喉元に噛みつき、下僕を倒す。
かくて、枚夫は我が屋敷にもどるや、親族に告げて曰く「我、この二犬によって命を全うし得たり。今よりの二犬を立て我が子となす。我が財、皆、この二犬の有なり」と。
さりながら、二犬、枚夫より先に死す。枚夫、二犬の死を悼み悲しみ、伽藍を建立、千手大悲の尊像を奉安して冥福を祈る。この千手観世音菩薩像の霊感日に新なり。野火四面より伽藍に迫りしこと三度ありしが、一度も災い伽藍に及ぶこと無しという。
このことが、平安時代の初め、桓武天皇(782~805)の御聞に達し、勅して「官寺」となし、田数頃(頃は百畝の広さ)を喜捨したまう。(元亨釈書 寺像誌 概略)
峰相記(1348)播磨鑑(1762)犬寺縁起絵巻(1673 大阪市立美術館蔵)等にも、犬寺縁起が記されているが諸説あり
その二犬については、黒犬白犬として、当寺には伝えられている
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二犬・・・黒犬白犬として、当寺には伝えられている
黒犬には、石工の銘がありますが、詳細不明
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本堂(観音堂)
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兵庫県指定文化財 享保一四年(1729)建立 正面五間、奥行五間、宝形造
内陣
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春日社
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兵庫県指定文化財 17世紀中期建立 覆屋入 三間社隅木入春日造 柿葺
開山堂
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鐘楼 神河町指定文化財
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梵鐘
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梵鐘は、慶長九年鋳造、高さ124cm直径72cm 神崎郡内では最古とされる
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山を下りて、超知川沿いの仁王門へ・・・
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仁王門から見上げます 250段あるようです
阿形、吽形金剛力士
超知川を渡り、反対側から・・・
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何度、この前を通過したことか!
知らなかったのは、事実で、調査が甘い証拠です
これから訪れる場所は、精査しなければ・・・
当山の由来「播州犬寺縁起」を入力することで、言い伝えがよ~く、わかりました