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2015年11月10日

世界遺産、丹生官省符神社・・紀伊半島、縦断のひとり旅・・和歌山県九度山町!

和歌山県、白浜町へ・・・先輩を訪ねるのが目的で、でかけた紀伊半島、縦断のひとり旅・・・
しかし、白浜町へ出かけるなら・・いっそ、熊野やら、海沿いを走りたい・・・と!
なにせ、出来るだけ、未知の道を走りたい・・・いつものひとり旅の基本です!

で、今年、夏・・高野山を訪れました・・・その高野山へ登る道の麓で・・・・見逃しました!
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/08/blog-post_30.html

そう、世界遺産・・慈尊院、丹生官省符神社、丹生都比売神社なんです・・・
その慈尊院の多宝塔の左の石段が、丹生官省符神社への参道なんです・・・

丹生官省符神社の由緒・・・残念ながら読めません
社伝では弘仁7年(816年)に空海によって創建されたという
高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、応永3年(1396年)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」と記録がある

この他にも神通寺七社明神の記録があり、七社のほかに十二王子社・百二十番神社などの名前が挙げられている

また、『紀伊続風土記』によれば、七社のうち丹生・高野の両神は弘仁年間に空海が勧請し、十二王子と百二十番神の2社が同時に勧請され、気比・厳島の2神は文明年間に勧請されたと伝えられており、これら4社は天文年間の洪水によって昔の境内が沈んでしまったので移転したという
明治43年(1910年)に九度山、入郷、慈尊院にあった諸社を合祀し、昭和21年(1946年)丹生官省符神社の社号にあらためた・・・・Wikipediaより引用

            

石造大鳥居・・九度山町指定文化財
この鳥居は宝永二(1705年)三月九度山村岡野兵衛氏の浄財によって九度山槙尾山明神社の参道に建立されていたものである・・
・・・説明板より引用


石段・・九度山町指定文化財
この石段は百十九段、幅約4m、高さ約20m、角度約30度、斜面約45mの大規模な構造である
下の十二段は延享五年(1748年)妙寺の田村伝助氏より寄進され、その上からの石段は宝暦三年(1753年)多くの氏人からの浄財によって建設された

境内へ・・
拝殿です

拝殿より、重要文化財の本殿をみる・・・極彩色できらびやかな本殿ですが、全体は見えません!

県指定文化財 獅子頭の写真・・・右側、江戸時代 左側、室町時代とある

丹生官省符神社の重要文化財・・・本殿・・三棟、附 宮殿四基 棟札二枚


当社創建は弘仁七年(816年)に弘法大師が慈尊院を開いたとき、丹生明神と高野明神の二神を祀り紀ノ川の河畔に鎮座した

その後、現在の地に移され神々を合祀し「七社明神」とも称されたが、明治に入って三殿となった

向かって右から、第一殿、第二殿、第三殿と配置され、同規模同型式の社殿となっている
社殿はいずれも、一間社春日造、檜皮葺で丹塗りと極彩色が施された華麗な社殿である・・・案内板より引用

拝殿、右側より、極彩色が施された華麗な社殿をみる・・
拝殿、左側より、本殿をみる・・

一旦、境内を出て「P」のところに・・・百八十町石・・・が!
文永六(1269年)と、読めるが・・・

高野山への参詣道は7本あるが、その中でも空海が切り開き、その後も最もよく使われた主要道が「高野山町石道」で、沿道には一町(約109m)ごとに町石が建てられている。

町石には壇上伽藍からの距離(町数)の他、密教の金剛界三十七尊及び胎蔵界八十尊の梵字、寄進者の名前、建立年月日及び目的が彫り込まれている


町石は220基の内、179基については当時のものが遺っており、一町ごとに礼拝を兼ねながら山上を目指した参詣の様子を今に伝えている・・

・・・案内板より引用・・・

高野山町石道・・・おばさん達が、リュック担いで、登っていきました・・・m(_ _)m
周辺イラストマップ・・・位置関係がよくわかる・・・
さぁ、慈尊院、丹生官省符神社を後にして・・・丹生都比売神社に向かいます
信号待ちの折、カメラだけ参道に向け、・・パチリ・・です!
信号に取り付けられた案内に「丹生都比売神社」が見えますね!
民家の左に下乗石建立跡の石碑が見えます・・・ここで、下馬ですね!

女人高野、慈尊院、丹生官省符神社を参拝しました・・・
女人高野・・・子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納されたものが多く見られました・・・m(_ _)m

では、丹生都比売神社へ向かいます・・・
続きます・・・


参拝日:11月5日







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