おおぉ、見えてきました・・すごい橋が・・・くしもと大橋です
・・・1999年(平成11年)9月8日に完成とあります・・・総距離、約3.8kmとある・・
紀伊大島・・・周囲28km、和歌山県最大の島です・・ |
ここは串本 向かいは大島 仲を取りもつ 巡航船・・(串本節より)・・・
しかし、大島の人に言わせれば・・・串本節も・・・
ここは大島 向かいは串本 仲を取りもつ 巡航船・・ | と、いう正調な歌詞とのこと・・・・(*^_^*) |
県道40号線を脇目も振らず・・・樫野崎灯台へ!
明治23年(1890年)、トルコ軍艦トゥールル号が天皇への謁見を終え、帰国する途中、当施設沖にて遭難・・地元住民の献身的な救助活動によりトルコと日本の友好の歴史が始まりました・・・ |
日本赤十字社「平時国際活動発祥の地」・・記念碑
トルコ軍艦遭難慰霊碑・・・
この海域で、座礁・・・
大島の海岸は一部の砂浜を除き、その大半は断崖絶壁に囲まれているとのこと・・・
なかでも樫野崎から西の海岸線は、海金剛と呼ばれる、浸食によってできた荒々しい断崖に太平洋の黒潮がまともにぶつかって砕け、黒い岩礁が牙のように波間に見え隠れする、豪快な海岸美なのだが、古来より船乗りにとっては命がけの難所であったとのこと・・
・・・明治23年(1890年)、大島樫野崎沖合でトルコ軍艦トゥールル号が嵐の中遭難、乗組員650余命のうち580余名が帰らぬ人になりましたが、地元住民の献身的な救助活動によって69名が救助されました・・・
ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像・・・
第一次世界大戦後の祖国解放に指導者としてこの戦争に勝利したトルコ国民の偉大な英雄です
更なる両国友好の発展を祈って駐日トルコ共和国大使館より串本町へ寄贈されたものである・・・
串本観光案内に下記の文が掲載されています・・引用します・・・
・・・日本人216名を救ったトルコ航空機 ・・・
イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかったため空港にいた日本人はパニックに陥った。 そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった・・・
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった・・・
・・・この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた・・・
「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。
今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
・・・・※この事は、あまり日本人に知られていません。・・・・
素晴らしいお話です・・・ありがたいことです・・・m(_ _)m
では、樫野崎灯台へ・・・ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像のすぐ先にあります・・・
訪問日:11月6日
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