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2015年11月22日

熊野速玉大社・・紀伊半島、縦断のひとり旅!

新宮市・・・熊野速玉大社へ参詣に参ります・・・

熊野三山・・・熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称

・・・熊野速玉大社の御由緒・・・

熊野速玉大社は悠久の彼方、熊野信仰の原点、神倉山の霊石ゴトビキ岩(天ノ磐盾)をご神体とする自然崇拝を源として、この天ノ磐盾に降臨せられた熊野三神(熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家律美御子大神)を景行天皇五十六年の御代(西暦百二十八年)初めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに創始します
我々の祖先は美し國熊野に座します。この真新しい新宮に大自然の恵みを献じて神々を斎祀り、感謝を畏敬の念の心を込めて祈りを捧げながら最も神社神道の特色というべき清め祓いを実践してまいりました
このように原始信仰から神社神道へと信仰の形を整えていった厳儀を未来永劫にわたり顕彰し続ける精神をもって「新宮」と号するゆえんであります・・・御由緒より引用
時刻、午前8時30分・・・人影は少なく・・それでも、4~5人は、参拝しています・・
いきなり、社殿の横の「P」に入ってしまいました・・・

神門への参道です・・
人が少ない内に参拝をと・・・鳥居は後にします・・これが、またまた、良いことが・・後術します

神門です・・・おおぉ、すごいです・・未来へ繋ぐ・・日本の祈り・・
しめ縄がどんと、あります!・・全国熊野神社 総本宮の扁額があります
修復前のものか・・・彫り物・・


まずは、拝殿から、参拝します・・・
朝、早めだったので、巫女さん・・準備中か? いや、そうではなかったのです・・
・・・後で、分かったのですが、実は結婚式が執りおこなわれるのです・・なぜ、分かったかは、最後の方に・・あります!
今年の干支・・・羊・・もうすぐお役目も終わります・・・m(_ _)m

拝殿前、石灯籠・・宝暦二年(1752年)とよめる・・
        

本殿です・・
御祭神・・・第十三殿まであります・・
だれも、いません・・・この有名な熊野速玉大社の本殿の写真が無人で写せるとは・・・(*^_^*)
御祭神・・・左奥から・・
   第一殿  結 宮 熊野結大神(いざなみの命)
   第二殿  速玉宮 熊野速玉大神(いざなぎの命)
   第三殿  証誠殿 家津美御子命・国常立命
   第四殿  若 宮 天照大神
   第五殿  神倉宮 高倉下命
   第六殿  禅地宮 天忍穂耳命
   第七殿  聖 宮 瓊々杵命
   第八殿  児 宮 彦火々出見命
   第九殿  子守宮 鵜葺草葺不合命
   第十殿  十万宮 国狭槌命・豊斟渟命
         一万宮
   第十一殿 勧請宮 泥土煮命
   第十二殿 飛行宮 大斗之道命
   第十三殿 米持宮 面足命

         奥御前三神殿  天之御中主神、神皇産霊神、高皇産霊神
        新宮神社
         熊野恵比寿神社 


左社殿、結宮・・・千木は内削ぎで、女千木と称される・・風穴にハートマークが見えますね!!
右社殿、速玉宮・・千木は外削ぎで、男千木と称される・・・鰹木もみえます!

石碑・・熊野御幸・・
宇多上皇 一度 延喜二年(902年)・・
最多の熊野御幸は、後白河上皇 三十三度・・自、永曆元年(1160年)~至、建久二年(1190年)とある・・・
左、神明鳥居が、新宮神社   右、熊野恵比寿神社
社務所・・やっと、お二人、発見ですね・・・

ご神木・・梛・・

境内にそびえる樹齢千年の梛の大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。

熊野牛王と梛の葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなりました。

「千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る」・・・藤原定家

鑰宮手力男神社・・・
御祭神:、天之手力男命

御由緒・・延喜式神名帳に紀伊國手力神社小とある由緒の古い社で、もと神門内に祀られていたが嵯峨天皇の弘仁四年(西暦八一三年)に勅命によって現在地近くへ遷り明治四十年に新宮神社へ合祀された。武道、健康、開運の御神徳が高い。

八咫烏神社・・・
御祭神:建角見命
御由緒・・・当大社末社として、古くから丹鶴山麓に奉祀されていた。神武帝の道案内をせられたと古典に記され、熊野神の使者とも言われて交通安全、招福の御神徳が高い。・・・説明板より引用

鳥居です・・・境内からです
おや?・・ そうなんです・・・拝殿で巫女さんが準備していたのが・・・結婚式だったのです!
・・・記念撮影中です・・・しばし、お待ちしますね!・・(*^_^*)・・・
神前結婚式・・それも、熊野速玉神社で・・・末永くお幸せに・・(*^_^*)
     

正面、鳥居を撮影したくて・・しかし、待てませんでした・・・m(_ _)m
皆様には・・「おめでとうございます」と・・・お声かけました・・・いや、いいもんです! 良き日です!

鳥居をくぐり、「P」へ向かうと・・・「川原家」について・・と!
ここは、沢山の家が建ち並び大勢の人で賑わっていました・・ここが当時「川原町」と呼ばれ、建てられていた建造物が「川原家」と呼ばれていた・・・熊野地方は雨が多く、川も年に五~六回、大水になる、そのつど、高所へ引き上げ、水、引けば、元の場所へ立て直し、店開き・・そのため、釘を一本も使わない川原家は、現代のプレハブ住宅の原型みたいな建築物であったと・・・

佐藤春夫常設館・・・
佐藤 春夫、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した・・初代新宮市名誉市民・・・Wikipediaより引用

熊野速玉大社の側を流れる川・・・そう、熊野川・・川の熊野古道です・・
真ん中に見えるのは、鮒田水門・・・熊野川はその左側です・・・
海側・・・右上の丘陵、新宮城跡ですね・・
参道を「α君」内から、信号待ちの折、カメラ後方に向け、パチリ・・・傑作です(^^;)

熊野速玉大社・・・すばらしい神社でした・・さすが、熊野三山の一つ・・・
そして、結婚式の花婿、花嫁さんにも遭遇して・・・よき日でした

では、旅、続けます・・・


追記:長文になりました・・・m(_ _)m


参拝日:11月7日





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