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2018年12月15日

男山八幡宮・千姫天満宮・・・世界遺産姫路城十景、撮影ポイント男山配水池公園への中腹です

世界遺産姫路城十景、撮影ポイント男山配水池公園への上るルートは二つあります

写真下の鳥居前の道を右へ進めば・・・男山配水池公園への道に・・・
目の前には、直線の石段があり、世界遺産姫路城十景、撮影ポイント男山配水池公園へ!
もう一つは、この鳥居をくぐり、まっすぐ、参道の石段をあがると、千姫天満宮・男山八幡宮前を通るのルートです

また、男山配水池公園から石段数段下り、右へ道を変えると、男山八幡宮・千姫天満宮に出ます




    男山八幡宮(姫路城築城守護神)

男山(海抜56m)から眺む姫路城の初日の出は正に絶景である。
当社は貞和元年(1345)国家の守護神、京都の男山石清水八幡宮より歓請された。
文明元年(1465)大改築の記録も残されているが、正徳六年(1716)三月十五日第十三代城主、榊原政邦は姫路城の守護神として新社殿を寄進建立した。
石鳥居に刻まれた銘文は、今も政邦の願いが偲ばれ、金箔荘厳な御神鏡、石灯籠、長柄の銚子、絵馬が奉納され極めて壮麗であったと言われている。現社殿は平成二年再建


石鳥居

石鳥居・・・榊原政邦寄進
正徳六年(1716)のもの。政邦はこの十二年前、越後村上から姫路へ移ってきた。
文学にもすぐれ、男山八景の和歌もよんでいる。
八幡宮の社殿を新しく作り替え、その時の鳥居がこれである。左の柱に武運の長久と家の繁栄を願う長い文を刻んでいる


   ・・・左の柱に刻まれている、武運の長久と家の繁栄を願う長い文の一部・・・

拝殿


扁額・・・枠の彫刻、イイスね!

拝殿から・・・

本殿



千姫天満宮

千姫は天神(天満宮・菅原道真)を信仰しており天神の木像を祀っていた。
慶長二十年(1615)の大坂夏の陣で秀頼が自害し千姫は寡婦となるが、その翌年、元和二年(1616)には本多忠刻と再婚。元和三年(1617)に忠刻が姫路に移封されると、千姫は本多家の繁栄を願い姫路の天門(乾・北西)の鎮めとするため元和九年三月(1623)に男山に天満宮を建立し六枚の羽子板を奉納した
千姫が生活していた姫路城西の丸から拝礼出来るように東向きに造営されており、千姫は長局の廊下から拝礼していたと伝わる・・・Wikipediaより引用



帰路、坂降りるとき眺めた、姫路城天守閣・・・方位は北西からですね
・・・周りは、紅葉です・・・




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