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2019年11月14日

安志加茂神社、安志稲荷神社・・・ 姫路市安富町安志407

兵庫県姫路市安富町安志407、安志加茂神社、安志稲荷神社を訪ねます

中国道を走って、安富ICと山崎ICの間に見える、この提灯と赤い鳥居・・・
いつか、行ってみたいと思っていました・・・
Google streetビューより

安志いなりの大提灯と鳥居

中国道に架かる稲荷橋から中国道を覗いてみました・・・

稲荷大鳥居をくぐって、参拝します

立派な石灯籠です

これは・・・?
・・・この台の上に、その年の干支の大型模型が置かれるようです


     馬かけ神事が行われていた常緑高木に覆われた古式豊かな長い参道






前出の台に飾られる干支の写真がありました



拝殿

由緒略記

主祭神:別雷神
創立年代不詳、寿永三年(1184年)源頼朝が京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)に神領を寄進したという記録があり、この中に播磨国安志庄のことが記載されています。
これによると、当社は賀茂別雷神社の分霊を奉祀し、安志庄の庄園鎮守として崇敬されていたという由緒ある神社です。
後に小笠原家が安志藩主に改封されて以降、年々藩主から幣帛が奉納され、篤い崇敬を受けてきました


本殿


       境内社
       左から、金刀比羅宮 神明社 小笠原神社

安志稲荷神社

「神社明細帳」によると、明治41年(1908年)11月26日、宮ノ谷から移転合併、(元)笠守稲荷社と称し、安志藩陣屋に祀られ、小笠原家に厚く信仰されていました。
戦前、当社の相撲場の東の山に稲荷社としてお祀りされていましたが、戦後 現在地へ移し、安志稲荷神社として著名になり、初詣で賑わいをみせています・・・安志加茂神社案内より

新池

その新池に・・・弁天社

巨木が立ち並ぶ、参道、境内・・・
境内敷地:6403坪 山林:32462坪 その他:3074坪と、いう広大な面積です
安志庄の庄園鎮守として崇敬されていたという由緒ある神社‥参拝してよかったです



2019年11月12日

水尾神社・・・兵庫県姫路市安富町関554

兵庫県姫路市安富町関554、水尾神社です
奥播磨かかしの里への道沿いに位置します

       水尾神社の磐座

巨石です

「伝承安富」を訪ねて・・・宮ノ下渓谷の巨石群

昔々、伊和の大神が安志姫に求婚をしましたが、聞き入れて貰えなかった大神は、たいそう怒って大岩でここを堰き止めて、
ここの水を三方(宍粟市一宮町)の方に流しました。
それで、安師川は水が少なくなったと、播磨風土記に記されています。
堰に使った大岩がこれらで、そのことから、ここの集落を「関」とよんでいます。


水尾神社へ

社頭

社殿
主祭神:象罔女神  配祀神:素盞嗚尊

伝え云う安志郷に安志姫神御坐ありし頃、揖保川の上流神戸村に伊和の大神坐しまして安志姫神妻問いし給いしも姫神聞き入れ給わざるによりて大神怒りて其の郷を流るる林田川の上流を埋めらる。
故に川の流水著しく減じ屡々断水して不潔となりしかば流域の住民大いに嘆き上流の地に水神象罔女神を斎き祀りしに境内より清水湧出で断水の憂いを免れしという。
是れ当社の創立とす。
降って鎌倉時代には関大明神といい暦応元年(1338)10月社殿を上棟す。
応永二十年(1413)2月領主修萬寺住持朝尊社殿を修理せり。・・・神社庁より


本殿は、覆屋で、全然見えません

       県指定天然記念物 水尾神社の大スギ


立入禁止・・・ヒメボタルの幼虫が生育しています
そして、毒蛇まむしに注意・・・二重の立入禁止勧告ですね・・・






2019年2月28日

射楯兵主神社・・・兵庫県姫路市総社本町190

姫路城は何度も来ることはあれども、播磨国総社、射楯兵主神社を参拝するのは初めてです
射楯兵主神社・・・播磨国総社で、社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する

総社西門(御門)

総社西門は、二階へ上がれるとありますので、登ってみましょう・・・

総社西門の窓を額縁にしてみる、姫路城大天守・・・イイすね!

総社と姫路城

欽明天皇二十五年(564)六月十一日に影向があり、播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社として、播磨一円の人々はもとより、歴代城主にも篤い尊崇を仰いできました
総社さん、総社の神様と呼ばれていますが、正式な神社名は射楯兵主神社と云い、射楯大神と兵主大神を本殿に奉齋することから正式名称を、射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です御祭神としてお祀りしています


県指定重要有形文化財 市参道、明神鳥居変額

扁額、右上の龍

扁額、左下の龍

由緒・・板に彫られていますね



車祓所 左側の門は八重垣門

神門

播磨国総社 射楯兵主神社

当社は、総社さん、総社の神様と呼ばれていますが、正式な神社名は射楯兵主神社と云い、射楯大神と兵主大神を御祭神としてお祀りしています。 境内には、総社の名の由来になっている播磨国内の大小明神をはじめ、摂末社の神々を合わせ祀っています

お! これは・・・

厄神祭です・・・そう、今日は2月18日です

拝殿、チラッとみえる、社殿



ここで、一休み・・・甘酒です、一杯百円・・・久しぶりです

甘酒販売のテントの内から提灯を・・・

ふと、足下みれば・・・「縁結び通り」

1945年に空襲で焼失、1965年に大復興、2006年に総社御門が復興

・・・播磨国・・・
七世紀に成立した。針間国(加古川以西)・明石国(明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡)・針間鴨国(加古川中流~上流)が大化の改新以降に播磨国(針間国)へ編入されたと推定されている
国府は現在の姫路市本町(射楯兵主神社の北隣りで、現在は姫路郵便局)にあったので射楯兵主神社が播磨国総社となった・・・Wikipediaより

播磨国一宮は兵庫県宍粟市の伊和神社でしたね
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/04/blog-post_9.html

播磨国風土記の原本は失われたが、平安時代末期に書写された写本が国宝に指定されている




2018年12月15日

男山八幡宮・千姫天満宮・・・世界遺産姫路城十景、撮影ポイント男山配水池公園への中腹です

世界遺産姫路城十景、撮影ポイント男山配水池公園への上るルートは二つあります

写真下の鳥居前の道を右へ進めば・・・男山配水池公園への道に・・・
目の前には、直線の石段があり、世界遺産姫路城十景、撮影ポイント男山配水池公園へ!
もう一つは、この鳥居をくぐり、まっすぐ、参道の石段をあがると、千姫天満宮・男山八幡宮前を通るのルートです

また、男山配水池公園から石段数段下り、右へ道を変えると、男山八幡宮・千姫天満宮に出ます




    男山八幡宮(姫路城築城守護神)

男山(海抜56m)から眺む姫路城の初日の出は正に絶景である。
当社は貞和元年(1345)国家の守護神、京都の男山石清水八幡宮より歓請された。
文明元年(1465)大改築の記録も残されているが、正徳六年(1716)三月十五日第十三代城主、榊原政邦は姫路城の守護神として新社殿を寄進建立した。
石鳥居に刻まれた銘文は、今も政邦の願いが偲ばれ、金箔荘厳な御神鏡、石灯籠、長柄の銚子、絵馬が奉納され極めて壮麗であったと言われている。現社殿は平成二年再建


石鳥居

石鳥居・・・榊原政邦寄進
正徳六年(1716)のもの。政邦はこの十二年前、越後村上から姫路へ移ってきた。
文学にもすぐれ、男山八景の和歌もよんでいる。
八幡宮の社殿を新しく作り替え、その時の鳥居がこれである。左の柱に武運の長久と家の繁栄を願う長い文を刻んでいる


   ・・・左の柱に刻まれている、武運の長久と家の繁栄を願う長い文の一部・・・

拝殿


扁額・・・枠の彫刻、イイスね!

拝殿から・・・

本殿



千姫天満宮

千姫は天神(天満宮・菅原道真)を信仰しており天神の木像を祀っていた。
慶長二十年(1615)の大坂夏の陣で秀頼が自害し千姫は寡婦となるが、その翌年、元和二年(1616)には本多忠刻と再婚。元和三年(1617)に忠刻が姫路に移封されると、千姫は本多家の繁栄を願い姫路の天門(乾・北西)の鎮めとするため元和九年三月(1623)に男山に天満宮を建立し六枚の羽子板を奉納した
千姫が生活していた姫路城西の丸から拝礼出来るように東向きに造営されており、千姫は長局の廊下から拝礼していたと伝わる・・・Wikipediaより引用



帰路、坂降りるとき眺めた、姫路城天守閣・・・方位は北西からですね
・・・周りは、紅葉です・・・