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2024年4月15日

2024年の桜見物・・・小野市、国宝浄土寺の桜です

またまたやってきました、小野市 国宝浄土寺
ここが桜の名所とは知りませんでした

今回で三度目で、桜見物です

前回は、2018年6月19日
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2018/06/2094.html
この時は、浄土堂内の、名仏師快慶作の巨大な三尊立像、国宝、阿弥陀如来及び両脇侍立像を拝観するのが目的でした

さぁ、桜見物です

石灯篭と桜です

浄土堂の屋根が少し見えるぐらいの桜並木です
見事ですね

ちょっと近づいて・・・

お久しぶりです・・・6年ぶり

参道を・・・

入口は2ヶ所ありますが、ここが参道

「国宝 浄土寺」 背面は鐘楼 

浄土堂



名仏師快慶作の巨大な三尊立像、国宝、阿弥陀如来及び両脇侍立像がいてはります
残念ながら今の時間は午後12時半・・・13時まで休憩のため拝観できません
奈良の東大寺南大門と並んで、大仏横(衣笠様)建築奄代表する最も大切な建物です。
この浄土堂は、桁行二面、梁間三間、単層、屋根宝形造、本瓦葦の堂々とした建物で、柱間の隔りはニ十尺という広いものです。 鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建工事が始められた際、大勧進職となった俊乗房重源上人は、領所として与えられた大部荘に壮大な寺院を興しましたが、そのときのままに残っているのがこの浄土堂です。創建の建久三年(1192)から昭和三十二年までで約七七〇年の風雪に耐え、一度も毛解体されずに持ちこたえて来ただけでも偉大です。つくり方が大仏様(天竺様)という特異な様式で、東大寺南大門とともに全国にただ二つしかない点も重要です。我が国建築史の上から、かけがえのない大切な建物とされているのもそのためです


薬師堂‥国重要文化財


建久八(1197)年に上棟しましたが、焼失により室町時代の永正十四(1517)年に再建されています。規模は浄土堂と全く同じですが、純粋な大仏様は失われ、和様、唐様などの建築技法が混在した折衷形式の建物となっています


郷社 八幡神社


創建時にまつられた浄土寺の鎮守社です。現在の建物は、室町時代後期の特徴をとどめた槍皮葺の三間社流造の建物で、花木や鳥などを配した写実的な暮股にその時代の特徴がよくあらわれています。


拝殿内から薬師堂を・・・

拝殿内から浄土堂を・・・

鐘楼

県指定文化財 浄土寺 鐘楼

創建不明、現在のものは寛永九(1632年)築、槍皮葺、入母屋の大屋根と裾部の袴腰が優美に調和し、江戸時代初期の様式がよく残っています


名残惜しいですが、また来年!


「P」の広場の枝垂桜

  次に伺うときは、名仏師快慶作の国宝、阿弥陀如来及び両脇侍立像を拝観しましょうかね











2018年6月19日

国宝、浄土寺・・・兵庫県小野市浄谷町2094

兵庫県小野市浄谷町2094、極楽山浄土寺を訪ねます

この浄土寺は、二回目です・・・この浄土寺も、お気に入りの寺院なんです
国宝、浄土堂(阿弥陀堂) 仏師快慶の代表作、国宝、阿弥陀三尊像があります
そして、建造物は、国宝、重要文化財が建ち並ぶ境内は見事です


             この石段を上がれば、そこは・・・国宝、浄土堂(阿弥陀堂)です



浄土寺は、今から800年前の鎌倉時代初めに建立された寺院です。
加古川左岸の小高い丘陵の先端部に位置し、ここから西方を望めば、広大な平地と大きな空が広がっています。この平地部は、奈良の東大寺の荘園であったところで、「大部荘」と呼ばれていました。源平合戦の兵火により焼失した東大寺を再建するための責任者(勧進職)となった重源上人は、この地を再開発することによって、再建のための費用を賄おうとしました。その拠点としてつくられたのが浄土寺で、「播磨別所」ともよばれています。境内は、敷地の中央に八幡神社を配し、その前に池を挟んで浄土堂と薬師堂が向かいあうという珍しい配置となっています。建物だけでなく、彫刻、絵画、工芸品、石造物など数多くの貴重な文化財が残されており、鎌倉時代の息吹を今に伝えています


国宝、浄土堂(阿弥陀堂)です

奈良の東大寺南大門と並んで、大仏横(衣笠様)建築奄代表する最も大切な建物です。
この浄土堂は、桁行二面、梁間三間、単層、屋根宝形造、本瓦葦の堂々とした建物で、柱間の隔りはニ十尺という広いものです。 鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建工事が始められた際、大勧進職となった俊乗房重源上人は、領所として与えられた大部荘に壮大な寺院を興しましたが、そのときのままに残っているのがこの浄土堂です。創建の建久三年(1192)から昭和三十二年までで約七七〇年の風雪に耐え、一度も毛解体されずに持ちこたえて来ただけでも偉大です。つくり方が大仏様(天竺様)という特異な様式で、東大寺南大門とともに全国にただ二つしかない点も重要です。我が国建築史の上から、かけがえのない大切な建物とされているのもそのためです


本瓦葺、宝形造のお堂です。柱間が6mと広く、屋根が直線的で、外観は低い建物のように見えますが、堂内に入るとその広さに驚かされます。東大寺再建に用いられた大仏様(天竺様)を残す唯一の仏堂で、虹梁を支えるために太い柱に差し込まれた挿肘木や天井を張らない化粧屋根裏、隅部の扇垂木などにその特徴が認められます。


浄土堂内の、仏師快慶の代表作、国宝、阿弥陀三尊像を拝観します
この暖簾が下がる半間が入口です・・・拝観料500円




国宝、阿弥陀如来及び両脇侍立像です・・・堂内撮影禁止の為、配布説明書から引用しました

浄土堂内に入り、阿弥陀三尊像の前に立ち、見上げれば、それは言葉にはできません
背面が西で、足下奥の明るいところが、蔀戸・・・ここから光が入り、幻想的な空間となるのです
説明をしていただきました・・・最も西陽が差し込んでくるのが、9月20日前後の夕方、東面まで西陽が差し込んでくるらしい・・・です

配布説明書より引用
配布説明書より・・・
・・・名仏師快慶作の巨大な三尊立像で、浄土堂中央の円形須弥壇上に立っています。背面となる西側が格子戸(蔀戸)になっていることから、夕方になると西陽が差し込み、堂内が一段と明るくなります。さらにこの西陽は床に反射して屋根裏にあたり、それが本尊にふりそそぎ、本尊を赤く染めます。また、直接入ってきた光が、足元の雲座部分をかすませ、この巨大な赤い三尊が雲に乗って浮かんだようにみえるのです。これは、阿弥陀様が雲に乗って西方浄土から迎えにくるという「御来迎」の姿を、実際に見せようとしたものです。まさに光を用いた舞台芸術、光のオブジェともいえ、我が国の文化、また歴史においても類をみないものとなっています。

浄土宗の本尊で、浄土堂創建当時につくられ、安置されたものです。阿弥陀如来の高さは貫き530cm、観音・勢至の両菩薩はそれぞれ370cmあり、鎌倉初期の名仏師快慶の作であります。丈六の座像は諸地方に多く残っていますが、立像は珍しくその上、安定に細心の注意を払い、特殊な据え付け方をしています。・・・

・・・特殊な据え付け方‥説明いただいたのが、体内の柱が床から堂下の礎石まで通し柱になっているとのことです


鎮守八幡神社拝殿・本殿(重要文化財) 1235年創建、室町時代中期再建

創建時にまつられた浄土寺の鎮守社です。現在の建物は、室町時代後期の特徴をとどめた槍皮葺の三間社流造の建物で、花木や鳥などを配した写実的な暮股にその時代の特徴がよくあらわれています。

向拝、中央の蟇股

向拝、右の蟇股

社殿、蟇股

社殿、蟇股・・・法輪か?

拝殿

本瓦葺、寄棟造の大きな割拝殿です。現在の建物は鎌倉時代後期に再建されたものですが、天井を張らない化粧屋根裏や虹梁の架け方などに大仏様の技法が認められます

大和の東大寺に鎮守の手向山八播官があるように、同寺の未寺には鎮守八幡の建てられているところが少なくありません。浄土寺で鎌倉後期の嘉禎元年(1235)に八播宮を建てたことが寺記に載せられ、現存の拝殿と本殿はその遺構とされています



薬師堂‥国重要文化財
・・・建久八(1197)年に上棟しましたが、焼失により室町時代の永正十四(1517)年に再建されています。規模は浄土堂と全く同じですが、純粋な大仏様は失われ、和様、唐様などの建築技法が混在した折衷形式の建物となっています。



開山堂‥県指定文化財
・・・開祖である重源上人の坐像を安置するためのお堂です。薬師堂とともに焼失し、同時期に再建されています。現在の建物は、本瓦葺、宝形造の簡素な建物で前側が庇となり、古風な形を今に伝えています。


鐘楼堂・・・県指定文化財
・・・ 創建不明、現在のものは寛永九(1632年)築、槍皮葺、入母屋の大屋根と裾部の袴腰が優美に調和し、江戸時代初期の様式がよく残っています


浄土寺裏山四国八十八ヶ所とアジサイ巡り



裏山から境内を眺める・・・

浄土堂の瓦・・・南無阿弥陀仏とあります

二回目の浄土寺、国宝浄土堂、阿弥陀三尊像・・・素晴らしいものでした
須弥壇の周りをぐるっと回れますので、阿弥陀三尊像の全体が拝見できます
背面もしっかり見ることができることもすばらしいことです

時間が許せば、何時間でも、その場、空間にいたいですね
また、最も西陽が差し込んでくるのが、9月20日前後の夕方、東面まで西陽が差し込んでくるときに、再訪したいと思っています

追記:各建造物の説明文は、小野市観光協会、浄土寺配布の説明書より引用しました







2014年9月21日

播磨の国宝を巡る!・・浄土寺・・兵庫県小野市!

仏寺建築・・唐様、大仏様(天竺様)建築は、構造力学的な原理に即した合理性を尊重しそれに徹しようとするものであっため、建築の美を実用に求め、真の建築美を構造に合理性に発見しようとする近代建築観と最も符号するものである

浄土寺の国宝、浄土堂は、奈良の東大寺南大門と並んで、大仏様(天竺様)建築を代表する最も大切な建物です
この浄土堂は、桁行三間、梁間三間、単層、屋根宝形造、本瓦葺の堂々とした建物で、柱間の隔りは、二十尺という広いものです

さぁ、期待感一杯・・参拝いたしましょう・・・・

加古川市の鶴林寺から、加古川沿いに県道18号、国道175号を約20km・・約30分で到着です
「P」がどんとひらけ、大きな看板が・・国宝、極楽寺 浄土寺・・・
そして、右側には、新築みたいなレストラン、トイレが・・・・その「P」の「α君」を停め・・・・参りましょう!

案内図をよく見て・・・左側にある、趣のある石段をあがります
石段、あがれば・・目の前は国宝、浄土堂(阿弥陀堂)です・・・なにやら、入口の案内があります

ここは、浄土寺の受付は無く、浄土堂の内部に入る、参観料が必要なのです・・500円
くぐり戸みたいな出入り口から、入ります・・・
拝観料をお支払いした折、受付の方より「撮影禁止です!」と云われました
後でわかったことですが、首から下げている、愛用のデジカメ、スリープになっていなかったようで、ディスプレイが光っていたらしく、それを見逃さず、ご注意を受けました・・・
堂内には何ヵ所も撮影禁止の表示がされていますから、・・
勿論、撮影はしませんが、先手打たれてしまいました・・・注意、注意!(^^;)
 国宝、浄土堂(阿弥陀堂)に国宝、阿弥陀如来及び両脇侍立像 三躯が堂内中心に東を向かれ、屋根裏いっぱいまでに雲形の台座に立たれております
金箔で、燦然と輝き、鎌倉初期、名仏師快慶の作とのこと・・・中央の阿弥陀如来は5m30cm 両脇侍立像は3m70cm 

堂内には、人工の光はありません・・・堂背にあたる西側から、蔀戸から射し込む西日が床に落ち、その反射を背景に、西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊のお姿を排することができます!
本来の私の基本は、ご本尊さんは、備忘録には載せませんが、ここのお堂内部の説明は難しい・・
そして、 天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁がよくわかる一枚です・・・
そして、写真右上の赤四角部分、西面の外壁?の板に江戸時代?昔の方々の参拝時の書き込みされた板が保存されていますので、両方合わせて、いただいたパンフから、掲載いたしましたm(_ _)m

確かに、日が射し込み、見る角度を変えると、趣が変わります・・一旦出てから、日が射し込んできたから、受付の方が親切に呼んでいただきました・・・
これを、きっかけに又々、いろんな貴重なお話をお聞かせいただきましたよ!・・末尾に記しますね!

国宝 浄土寺浄土堂・・・建久五年(1194年)
写真左下:東面  写真右下:北面
写真左下:西面全面の蔀戸  写真右下:南面
天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁・・朱と白にて日がこの西面(写真左上)射し込めば、一段と綺麗にみえます

写真円柱から何本も突き出ている挿肘木などに見られる
天竺様を伝える貴重な建物で、お堂としては、我が国唯一のものである

そして、昭和32年の解体修理工事は3500万円の費用と、2年半が要したと・・・
その解体修理の一部分を教えてもらいました・・・

北側から周っていきましょう
鐘楼堂― 鐘楼(県指定文化財)
創建不明、現在のものは1632年築、入母屋造 本瓦葺

八幡神社本殿・・重要文化財
室町時代中期 浄土寺伽藍の中央正面に位置している、これは開山の重源上人が八幡信仰を重視したためと考えられると・・・ 室町時代中期の代表的な檜皮葺、三間社流造、手狭の絵様彫刻や、蟇股内の花鳥や透彫に時代を見ることができる
八幡神社拝殿・・重要文化財
嘉禎元年(1235年) 桁行七間、梁間三間、寄棟造の割拝殿・・・ゆるやかな屋根の勾配、繊細な繁垂木、木鼻、蟇股などから室町時代の折衷様式の原型とも云える
写真左下:鳥居から見た、八幡神社 写真右下:東側からみた本殿、拝殿、奥に浄土堂が・・・

本堂(薬師堂)・・重要文化財(明治、国宝指定)
桁行五間、梁間五間、単層、屋根宝形造、本瓦葺、浄土堂と同形同大の建物、浄土堂と相対し、浄土寺の根本道場となっている
重源上人によって建立され、天竺様であったが、室町時代焼失、永年十四年(1517年)再建されるが、和様、唐様が混じっているのが惜しまれると!
 「本堂(薬師堂)」の本尊、薬師如来坐像はかつて広渡寺の本尊であったが、広渡寺自体が荒廃していたため、この「薬師堂」に移し本尊として安置したとされている。
 「薬師堂」が本堂と呼ばれる所以は浄土寺の前身である広渡寺から本尊が移されたことによるものと思われる。

開山堂・・県指定文化財
創建は延応元年(1239年)以降らしい・・
明応7年(1498年)薬師堂とも焼失、
現在のものは焼失後の1520年築、方三間、宝形造、本瓦葺、前面一間通りを吹き放し庇とし、組み物は隅柱の上だけ舟肘木をのせた簡素な形式からなる
写真左下:開山堂を薬師堂裏面よりみる  写真右下:不動堂

短歌のまち小野市・・・小野市で生まれた偉大な歌人、故上田三四二氏の文芸界での功績を称え、短歌の創作に取り組む方が多いとのこと・・写真右下:短歌ポスト

さぁ、素晴らしい、浄土堂・・本尊、阿弥陀三尊・・うん!・よかったです
播磨の国宝を巡る・・鶴林寺、浄土寺の国宝、重要文化財を拝観いたしました・・

ここで、お聞きしたお話・・・撮影禁止とされていますが、やはり、撮影される方がいます・・
注意して写真、削除お願いするのですが、開き直る方が・・・ 警察でもどこでも突き出せ・・と!
土足厳禁だが、土足を注意すると、その場では脱がず、そのまま戻る・・100人に一人ぐらいしか、その場で脱がないって・・・
いやいや、どこでも困った拝観者がいますね・・・
ここは、浄土堂だけで、500円・・・高いって・・云われるようです・・(^^;)

浄土堂拝観に纏わること・・・不思議に思っていました・・・昼12時~13時間は、閉館なんです!
で、私、笑いながら、なんでですか?・・ここだけですよ!・・っと、云うと・・
この1時間は私のお昼休憩ですって・・二人して笑ってしまいました!
しかし、驚いていました!・・他の所は?の質問に、常に開いていますよ・・・ってね!

こんなやり取りが、鶴林寺、浄土寺でできました・・・よき、日、時間そして、よきお寺でした!