中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統の足跡の原点・・・柏原八幡宮を訪ねます・・・
中井権次一統の足跡の作品集の第二版を入手すべく、柏原観光案内所へ参りました
勿論、柏原八幡宮へ参拝します
思い起こせば、2015年3月15日・・、
中井権次一統の足跡を巡って参拝した時のことが蘇ってきます
https://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/03/blog-post_15.html
社務所
・・・参道は社務所前から右へと進みます・・・
社務所の庭先を通って、五社稲荷神社への道でもあります
社頭
鳥居前、石灯籠・・・宝永六年(1709)と読める
手水鉢
柏原八幡宮由緒
御祭神
主祭神 誉田別命(応神天皇) 配祀神 息長足姫命(神功皇后) 姫三柱命
御鎮座
社伝によれば、舒明天皇の御代(629~641)出雲の連らが、当山(入船山)の頂きに素戔嗚尊を奉祀(現、八坂神社) したのが当宮の創始と言われている
その後、万寿元年(1024)に入船山周辺の三箇所から霊泉の噴出を奇端として、後一条天皇の勅旨により国家鎮護として 京都の石清水八幡宮より御分霊を勧請し、丹波国「柏原別宮」が創建され社殿を始め多宝塔、極楽寺、大安寺、清水寺が造営された
建造物
社殿は天正十三年(1585)に羽柴(豊臣)秀吉の造営によって再々建されたもので、三間社流造りの本殿に入母屋造りの 拝殿を連接し、軒唐破風の向拝一間を張り出す複合社殿で、桧皮葺の屋根に、箱棟、千木、勝男木をのせる。
「大正二年国宝保存法により特別保護建造物に指定、現在は国指定重要文化財」
明治維新の神仏判漸令により仏像、経巻、仏具の一切を別当院の東光寺(乗宝寺)に移し、円満に神仏分離が行われた
当宮には三重塔(兵庫県指定文化財)鐘楼に釣鐘(兵庫県指定文化財)など神仏混淆当時の景観を今日に保っている
拝殿、本殿、背後に三重塔・・・いつ見ても、すばらしいです
主祭神 : 誉田別命(応神天皇) 配祀神: 息長足姫命(神功皇后) 姫三柱命
向拝・・・彫刻は中井権次正貞
刻銘は、兎の毛通しの亀?の背面にあるようですが、確認は難しいし、できませんね
厄除神社
木鼻
柏原八幡宮、拝殿、本殿 そして、厄払神社の彫物を拝見し、しばし、眺めていました
社頭に着いたときは、薄曇り、境内をぐるぐる廻っていると、青空が・・・
掲載写真は、その関係で青空あり、薄曇りあり・・・です
三重塔、狛犬は別途、備忘録作成します・・・続きます
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