2018年5月19日

日牟禮八幡宮・・・ 滋賀県近江八幡市宮内町257

滋賀県近江八幡市を訪れています

近江八幡市といえば、豊臣秀次ですね・・・
その八幡城、八幡山(271.9m)の南麓にある神社・・・日牟禮八幡宮を訪ねます
千年以上の歴史を誇るこの神社は近江商人の絶大な信仰を集めてきたと・・・

立派な鳥居です

日牟禮八幡宮の参道、「P」と思っていたら、なんと、普通の道路なんです

             楼門

正面から・・・全景、写りません


梁上、漠か? 見事ですね  
・・・しかし、この千社札なんとかならないものか!! 建物が傷むよ・・・

楼門、境内側から見る梁上、鯉がいますね

手水舎
手水鉢・・安政五年(1858)と読める


・・・御由緒・・・
当社の伝記によれば、応神天皇六年に天皇当国の奥津嶋之神社へ行幸なされんと思し召しになり、知波之御崎と云う所より船をお使いになり湖水に到着なされた。
入口に小嶋があり、此の嶋にお着きになって、天皇自ら垢離を行われて、奥津嶋之神社にお詣りになられた。遷行の折に宇津野々辺に御少憩になり、四方を御覧遊ばされて、「知葉崎の加津野を見れば百千足家も田もみゆ国の府もみゆ」と御詠になり御座所を置かせられたという。
その後年を経て御仮屋の跡に日輪の形二つ見る事が出来た。それ故祠を建て、日群之社八幡宮と名付けると記されてあり、続いて持統天皇五年に藤原不比等日群社に詣でられ、「天降の神の誕生の八幡かも比牟礼の社になびく白雲」とお詠になり、故に比牟礼之社と改むと記され、寛平元年奥津嶋神殿鳴動して、火玉飛出て比牟礼之社に入ると云う。
奥津嶋之宮所は一夜にして湖水と成り、奥津島之神霊比牟礼社に移られた。故に当社八幡宮を三社二神九所之社とするとある。
正暦二年法華峰に社を建て、宇佐八幡宮を勧請して上之八幡宮を祀り、寛弘二年遥拝の社を山麓に建て、下の社と云うと記されている。又天正十八年関白秀次公が法華峰に城を築くに当り、上之八幡宮を外に遷し、城が完成の後は日杉山に社を建て、お遷しする間御神体を比牟礼社に遷させていただきたい、との事であったが城が完成せず秀次公高野山に於いて他界の為、社も完成せず現在の一社の姿に成ったと伝える。
皇室の御崇敬をはじめ、足利徳川両将軍、近江守護佐々木氏も、蒲生野の守神と崇められた。八幡神社として明治九年郷社に、大正五年県社、同六年神饌幣帛料供進指定をうけた。
昭和四十一年には神社本庁別表神社に加列、神社名を日牟礼八幡宮と改称、昭和五十六年境内整備事業が実施され社務所の新築等が行なわれた・・・神社庁より引用


拝殿・・・入母屋造 間口三間三尺 奥行三間三尺

鎌倉時代の初期文治三年(1188)源頼朝公近江の守護職、佐々木六角に命じて建立
元文、文化の改築を経て明治二十四年昭和十三年五十三年に屋根茅葺を行い、先年の葺替えで銅板葺に改めた、平成九年床板等を主に改修の工事を実施、現在に至っています



                  御神木
本殿

三間社流造 向拝千鳥破風付  間口三間三尺 奥行三間
八幡大神をお祀りした建物で正歴二年勅願により宇佐の神を勧請して創建されました
嘉歴、弘治、万治、享保、文化と数回に及ぶ修復造替を経て、明治二十四年昭和十三年五十三年に屋根茅葺を行われ、先年の葺替えにより桧皮葺を銅板葺(軒付桧皮)に改めた



祭神: 譽田別命  比賣神  息長足姫尊

左脇障子

鏡池・・・
世に謂う長命寿松ヶ崎に相通ずと云う。嘘偽の心にて顔を水に写すと池に没すと云う。後ろの大岩は鏡岩又は屏風岩と云い、神座を護る岩として天下に名高い・・案内板より引用


能舞台

「能舞台」と能楽「日禮詣」




奉納鳩

八幡山(271.9m)の南麓にある神社・・・その八幡山へのロープウエイもあります
約4万4000平方メートルという広大な神域はエノキやムクの樹が生い茂り、その環境は素晴らしいものです
平安時代の創建といわれ、歴史ある、大型?の神社を久しぶりに参拝できました・・・






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