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2017年7月7日

真名井神社・・・京都府宮津市!


元伊勢籠神社を参拝して、奥の院「真名井神社」へ向かいます
写真下、縄鳥居をくぐり、右へ、進みます・・・

道路脇に石標と、鳥居が・・・うん? 
・・・真名井神社殿内にお祀りしている神様は平成28年10月15日に仮殿遷祭りを行い籠神社にお遷し申し上げました
真名井神社境内にの磐座には縄文時代より神様をお祀りしており、引き続きご参拝して頂く事ができます・・と、ある!
完全な工事中・・
・・・ここまでの道のりは、竹林に囲まれ、結構、距離ありますね・・・


都市伝説・・・(*^_^*)

写真下:赤い枠が三つ巴の紋・・・
・・・以前は、籠目紋(ダビデの星・六芒星)が彫られていた・・・
古代ユダヤを想起させるため?三つ巴に変えられたと・・・云われている!
ちなみに、籠目紋は籠神社宮司家・海部氏の裏家紋とも言われる・・・講演会で聞きましたね!


真名井原縁起・・・
天橋立北浜にある真名井原に鎮座する真名井神社は元伊勢籠神社の奥宮であり、古代には「匏宮・吉佐宮」と呼ばれていました。 匏宮は天照大神の孫神であり、海部家の始祖でもある彦火明命が創祀した「宮」で、丹後の最高神である「豊受大神」をお祀りしていました。
その御縁故により、第十代崇神天皇三十九年に皇女豊鋤入姫命が御杖代となって「天照大神」を倭国笠縫邑から当地の真名井原にお遷しになり、豊受大神と天照大神を並び併せて「吉佐宮」と称して四年間お祀り申し上げました。つまり「吉佐宮」とは、神代から豊受大神をお祀りしていた「宮」或いは、崇神天皇の御代に真名井原において豊受大神と天照大神を一緒に四年間お祀りした「宮」のことを云います。
天照大神は最終的には垂仁天皇二十六年九月に皇女倭姫命が伊勢の地にお鎮め申し上げました。 その後おおよそ四百八十年経った第二十一代雄略天皇二十一年に倭姫命の御夢に天照大神がお現れになり、「皇大神(天照大神)、吾、天之少宮に坐しし如く、天の下にしても一所に坐さずは御饌も安く聞こし食さず、丹波国の與佐の小見の比沼の魚井原に坐す道主(丹波道主)の子、八乎止女の斎奉る御饌津神、止由居太神(豊受大神)を我が坐す国へ坐さしめむと欲す」とお告げになりました。それによって豊受大神は雄略天皇二十二年七月七日に天橋立北側にある真名井原から伊勢の地にお遷りになりました。両大神が伊勢にお遷りになった後、飛鳥時代に「宮名」を「吉佐宮」から「籠宮」と改め、奈良時代に奥宮の地から現在籠神社が鎮座する場所に遷宮いたしました。遷宮した後の「吉佐宮」においても祭祀は続けられ、「真名井神社」と呼ばれるようになりました・・・神社由緒より引用



狛犬ならぬ、阿吽の龍か?

御霊水 天の真名井の水・・・

社殿がすべて覆われ、ここから、拝礼いたしました・・・
「P」に戻る途中・・・天橋立 対岸のロープウェイが望めますね・・・逆さ?でしたけ?
「P」



神秘?に満ちた、元伊勢籠神社、真名井神社と参拝してまいりました・・・あいにく、真名井神社は工事中でしたが・・・

都市伝説もそうですが、いろいろ想い巡らすのも、また、これ、楽し・・・ですね!


天橋立の観光客が、その帰りか? どっと、元伊勢籠神社へ・・・
その時の会話が聞こえました・・・
・・・なぁ、この神さん、なんの御利益があるの? まぁ、ええか! とりあえず拝んどこか・・ってね!
所謂、大阪のおばさんでしたね・・・いやはや、バスガイドなり、由緒案内など、読んでほしい・・・のです!
まぁ、それでも、ちゃんと、拝殿で、お賽銭を入れ、二礼二拍一礼してはりました・・・(*^_^*)

どこか、おかしく、それでいいかもですね!!







参拝日:2017年6月15日





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