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2017年5月28日

関の氏神 亀山八幡宮…山口県下関市!!


本日のお宿は、下関・・・唐戸市場のすぐ、そばです!
お宿の方より、夜景がキレイですよ・・・と、云われ、下関と云えば、「ふく」「新鮮な刺身」など、いただき、ほろ酔い加減でブラブラ散歩しています

夜の唐戸市場・・・「ふく」ですよね・・・・(*^_^*)
その唐戸市場の前に・・・おおぉ、関の氏神 亀山八幡宮です
・・・ライトアップ、いや、これは、初めての夜間参拝・・・行きましょう・・・

世界一のふくの像・・・残念ながら、見えませんね・・m(_ _)m


関の氏神 亀山八幡宮ご由緒

当宮の御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇です
平安時代貞観元年(859)神託により国主が宮殿を造営し、以来、朝廷、大内、毛利藩主の崇敬が厚く、下関六十ヶ町の氏神として奉斎されています
神社地は昔は島でした
関門海峡から九州連峰を眺める景勝の境内は古くから鎮西第一勝の地と称されています

・・・ご由緒より引用

拝殿です

神様もお休みかもしれませんが・・・ここは、わがままで・・・m(_ _)m
本日一日の旅が無事終えたことの御礼と今後の安全を祈願して・・・(*^_^*)


石段上より唐戸市場、対岸、門司の夜景を・・・
床屋発祥之地・・・

ググってみました・・・
なんと、亀山八幡宮の境内散歩に記されていました・・・引用します

碑は正面大鳥居の右側に建立されています。
床屋発祥の地下関を継承すべく、全国の理容関係者の醵金により「床屋発祥の地碑」が建立され、平成7年7月17日に碑の除幕式が挙行されました。
毎年11月には、下関理容組合、宇部理容組合による毛髪供養祭が執り行われています。

「髪結職文由緒書」より
鎌倉時代の中期(1264~73年)、亀山天皇に仕えていた京都御所の北面の武士“従五位ノ下北小路蔵人頭・藤原基晴”は、宝刀紛失の責任をとってその職を辞し、三男“采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)”を連れて宝刀探索のため、当時蒙古襲来で風雲急を告げていた長門国下関に下った。采女之亮は、新羅人の髪結職からその技術を学び、我が国初の結髪所を開き往来の武士や金持ちを客として生計を立て、宝刀の探索を継続していた。

その結髪所の奥には、亀山天皇と藤原家祖先を祀る立派な床の間(とこの祭壇)があり、いつとはなしに「床の間のある店」と呼ばれ、転じて「床場(場は人の集まる場所)」、さらに「床屋」という屋号で呼ばれるようになり、下関から全国へ「床屋」が広まった。

その後、采女之亮は宝刀を見つけ朝廷に奉還し、鎌倉に移り住んで京都風の結髪職として幕府から重用された・・・と、あります



港、夜景を見ながらブラブラ散歩しています・・・対岸の灯は門司・・・

来たれ、決闘の聖地、巌流島・・・おおぉ、いいすね!!
うん? この港から門司港まで、渡れるの?・・・これは、これは・・・考えよう・・!!

今夜のお食事処は・・・魚正本陣・・・
・・・そう、フクの時期ではないですが、魚がおいしいと、お宿の方から聞きましたので・・


      ・・・・ヒレ酒です・・・しかし、ヒレ、小さいかなぁ?・・・・
・・・何年ぶりかなぁ・・・ヒレ酒飲むなんて、それに注ぎ酒・・酔っ払いそう・・!





と、いうことで、広島城、岩国城、錦帯橋等々…拝見して、下関でお宿を…
・・・無事、一日が終わりました・・・

船で、門司へ渡るのなら、明日の行動計画を、再考しなければ…は~い!!




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