ここ赤間神宮は、旧社格は官幣大社、壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る
・・・神門・・・
赤間神宮 寿永四(1185)年三月二十四日源平壇浦合戦に入水せられた御八歳なる御幼帝をまつる天皇社にして下関の古名なる赤間関に因みて赤間神宮と宣下せらる 昭和20年7月2灯戦災に全焼せるも同40年4月24日御復興を完成する・・・ ・・・案内板より引用 |
・・・竜宮造りが、はっきり見ることができませんでした・・・左隅に緑色が・・・これ、水ですね!
・・・日本西門鎮守八幡八幡宮御由緒記・・・
御祭神 八幡大神 神功皇后 今から約千二百年のむかし貞観元年行教和尚が宇佐から京都の石清水へ御分霊を勧請される途次関門の風光絶佳なる当地に日本西門の守り神として創建された鎮守八幡宮である それより鎌倉時代を始め南北朝室町時代から江戸時代まで大内毛利両氏など多くの戦国大名の尊崇を集めた ・・・社頭由緒記より引用 |
・・・芳一堂・・・
そう、ここは、前身の阿弥陀寺、「耳なし芳一」の舞台であったのです
・・・平家一門之墓・・・
水天門(本殿側より)
・・・竜宮城を模した竜宮造の楼門・・「水天」の名称は安徳天皇が水天宮の祭神とされることによる
・・・人皇第八十一代の安徳天皇阿弥陀寺陵・・・
・・御廟所・・勿論、宮内庁管轄
国道9号線を渡り、海岸へ・・・いや! よき眺めです・・・
帰路・・・ふくヒレの天日干しが・・・・う~ん! ほしいね!!
過日、NHKのTV放送、新日本紀行の中で・・・・
この赤間神宮の前を通過し、漁へと向かう、漁師さんは、船上で正座して、参拝されていると・・・
・・・そして、以前は、正座して漁をしていたと・・海中に安徳天皇が眠っておられるのに頭の上で漁をすることは・・・と、放送を聞いた覚えがあります・・・さすが、無理がありそうな?
一度、観なおしてみようかなぁ・・・
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