白山比咩神社・・・
この神社は、白山比咩神、大己貴の命を祭っている
創建年代は明らかではないが、伝承では加賀國の分霊を移し祭ったものという
もとこの社は永興寺の鎮守社で、永興寺の神輿に永禄二年(1559)正月の字が刻まれている
萩の近藤清石の風土記によると、鎮守社云々は誤りで一時永興寺僧徒の奉仕したことが推し図られるとしている社前の石鳥居は元禄七年(1694)吉川広紀(四代岩国藩主)のご寄進で、石柱に宇都宮遯庵の碑文がある
享保十二年(1727)再建された大規模に社殿は明治二十三年(1890)焼失、現在の建物は明治三十一年(1898)に完成したものである・・・社頭、案内板より引用
白山比咩神社 御由緒
御祭神:菊理媛命 小白山比咩命 大己貴命 大国主命
本神社の創立年月日は不詳と雖も、旧記正一位白山大権現社は清和天皇の御宇、貞観十八年(876)に勧請、元慶八年(884)、社殿を建立とある。
其後、応安年中に社殿の一切を焼失するも、後小松天皇の御宇 喜慶二年(1389)再建せらる
天正年間(1573~)には、毛利輝元公より神田を賜る
慶長年間(1596~)、吉川廣家公、雲州富田の庄より當地に移封されてより封内の鎮守と仰ぎ、吉川家歴世の産土神として崇敬せらる。
元禄七年(1695)大鳥居の建立、享保年間(1716~)社殿の大造営、同十三年(1729)に神社林として城山の一部を奉納等歴代の藩主の尊崇厚し
明治六年十一月縣社に列せらる
當時の社殿は壮麗豪華にして工作の妙を極め殊に拝殿、櫻門の如きは精彩粉飾を盡くし関西の東照宮と云い伝えられていたが、惜しくも明治二十三年十月二十三日(1890)神殿、拝殿、回廊、櫻門等の建造物を悉く灰燼に帰す
神社は安産の神として古より崇敬者多く氏子内には難産の有りし事無し
・・・境内由緒板より引用
どなたか、祈祷を受けられていたので・・ちと、遠慮して・・・・
本殿だけを・・・パチリです
通称「白山神社」 と言われており、境内にはモミジや杉の大木があり雨や霧などに煙る姿は幽玄と・・・
また境内横より城山登山道が通じています・・・
しかし関西の東照宮と云い伝えられていたとあるが、焼失とは残念ですね!
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