あの、日本一の丹波の名工、丹波佐吉の「狐像」を訪ねます・・・
北山稲荷神社・・・真新しい鳥居が迎えてくれます
モミの巨木がそびえています
稲荷神社
祭神は「受母智之神」 当神社は、明暦二申年(1656年)八月八日、田原市三郎という人物が京都へ行き吉田殿(吉田神社)においてご神体を勧請し、同月二十八日遷宮鎮座されたことが始まりである 元禄十一年(1698年)再建する 境内に御輿倉、鐘楼がある 「狐像」 社殿の「石像の狐」一対は、当稲荷神社の狛犬として崇敬者の奉献したものである 彫刻は、大親屋の初代難波金治郎の養子で、名工とうたわれた丹波佐吉(源 照信)で、安政五年(1858年)の刻字があり、彼の四十三歳の心のこもった作である 丹波市指定文化財・・・案内板より引用 |
北山稲荷神社・・・社殿!
丹波佐吉の狐像を金網越しにユックリと拝見します
いや、お見事・・・(*^_^*)
立派な尻尾ですね・・・撫でてみたいね!!
昭和五十三年 再び鋳造する・・・とあります
御輿倉
今も続く・・創業文政五年(1822年) 石匠六代目 難波金兵衛
初代難波金兵衛の高燈籠は、柏原町新町にあります・・・2015年3月備忘録に・・・
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/03/blog-post_46.html
そして、丹波左吉の最高傑作といわれる、柏原八幡宮の狛犬・・・2015年3月備忘録に・・・
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/03/blog-post_15.html
丹波左吉・・・ググってみると・・・
丹波佐吉 文化十三年(1816)
・・但馬国、竹田(現 兵庫県朝来市竹田町)に生まれる、両親と死別後、5歳の時、大新屋村の丹波の石工・難波伊助(初代金兵衛)にひきとられる
・・金兵衛の元で職人としての修行を経て、旅職人としていて大阪の石屋で仕事をいていた時に職人仲間と、石の笛を彫る、競争をし見事な石笛(尺八)を彫り上げた逸話がある
石の尺八を彫り、日本一の名声を得、以後「照信作・花押」を作品に彫るようにな・・とある!
難波金兵衛から、丹波左吉へ、そして、その弟子、綿貫重吉名照・・その弟子が森田藤四郎
丹波市の神社を巡るだけで、いろんなことが分かってくる・・・いやいや、興味津々です
これからも、狛犬君といい、石燈籠といい・・石細工の見る目が変わってくるでしょうね
いや、たまりませんね!!・・・神社仏閣巡りは!・・・
参拝日:5月13日
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