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2021年10月9日

興位神社の社叢・・・山崎町指定文化財です

兵庫県宍粟市山崎町与位129、興位神社です
興位神社の社叢は、山崎町指定文化財に指定されています

 社頭


山崎町指定文化財「興位神社の社叢」

当社叢は、15000平方メートルの広大な鎮守の森であり、温帯常緑林としての性格を持っている


南端にそびえるイチイガシは、幹周囲4m、推定樹齢400年である

山崎町指定文化財
社殿のそばの推定樹齢400年の巨木、見事な大杉


      見上げれば・・・



       参道 鳥居をめざす

久しぶりの巨木の社叢を堪能いたしました
そして、パワーもいただきました
















2021年10月7日

山崎町指定文化財<名勝>与位の洞門 兵庫県宍粟市

宍粟市波賀の宝殿神社を訪ねる経路で、中国道山崎ICで降り、北上、国道29号線を通るわけですが、そのルートを再確認する際、見つけた、「与位の洞門」
立ち寄ってみました
山崎町指定文化財 <名勝>与位の洞門
この洞門をくり抜いた乢(がけのこと、歩危)と、その東にあった田井の船渡し付近
は、奇景として有名であったが、宍粟奥地へ向かう交通の難所でもあった

大正十二年刊行の「宍粟郡誌」に・・・
「田井より与位に至る途、揖保川の清流山脚を洗う処に二個の巨巖あり、其の形頗る奇なり。巖頭には老松枝を伸べて空に翻り、断崖数十尋、羊歯岩松の類これに叢生し、下部は碧潭に臨みて倒映の景奇絶なり。もと桟橋を架して風到を添えたりしたが、今は隧道を穿ちて奇いよいよ加われり」と説明されている
明治三六年頃に村民が二年がかりで遂道を掘った
その後、昭和初年には荷車が通れるように広げられ、さらに昭和四三年ぬ大型自動車が通行できるように改修され現在に至っている・・・案内板より引用

そして、対岸からは今でも岸壁に桟橋の腕木を差し込んだ四角い穴が確認できる


遂道を対向車が来ないか、安全を確認して、北側へ・・・
流れる河は、一級水系、揖保川です

        縦撮りしてみました

明治三六年、二年がかりで掘ったとありますが、難工事だったことでしょうね
いやいや、知らない景勝地がたくさんありますね・・・














2019年11月12日

水尾神社・・・兵庫県姫路市安富町関554

兵庫県姫路市安富町関554、水尾神社です
奥播磨かかしの里への道沿いに位置します

       水尾神社の磐座

巨石です

「伝承安富」を訪ねて・・・宮ノ下渓谷の巨石群

昔々、伊和の大神が安志姫に求婚をしましたが、聞き入れて貰えなかった大神は、たいそう怒って大岩でここを堰き止めて、
ここの水を三方(宍粟市一宮町)の方に流しました。
それで、安師川は水が少なくなったと、播磨風土記に記されています。
堰に使った大岩がこれらで、そのことから、ここの集落を「関」とよんでいます。


水尾神社へ

社頭

社殿
主祭神:象罔女神  配祀神:素盞嗚尊

伝え云う安志郷に安志姫神御坐ありし頃、揖保川の上流神戸村に伊和の大神坐しまして安志姫神妻問いし給いしも姫神聞き入れ給わざるによりて大神怒りて其の郷を流るる林田川の上流を埋めらる。
故に川の流水著しく減じ屡々断水して不潔となりしかば流域の住民大いに嘆き上流の地に水神象罔女神を斎き祀りしに境内より清水湧出で断水の憂いを免れしという。
是れ当社の創立とす。
降って鎌倉時代には関大明神といい暦応元年(1338)10月社殿を上棟す。
応永二十年(1413)2月領主修萬寺住持朝尊社殿を修理せり。・・・神社庁より


本殿は、覆屋で、全然見えません

       県指定天然記念物 水尾神社の大スギ


立入禁止・・・ヒメボタルの幼虫が生育しています
そして、毒蛇まむしに注意・・・二重の立入禁止勧告ですね・・・






2019年11月8日

宝巖寺・・・京都府与謝野町、ちりめん街道を歩きます

与謝野町加悦伝統的建造物群保存地区を、ぶらぶら歩きながら、撮っていきます

京都府与謝野町加悦985、宝巖寺です

彫刻:木像阿弥陀如来坐像:町指定文化財 南北朝時代 像高42cm

建造物:山門 江戸時代
門の形式は、二間一戸の楼門建築で、上下重の間には回縁がついているが、戸扉は設けられていない
門には二枚の棟札があり、それからすると、宝巖寺の門は、元禄十三年(1700)に建てられ、その後、現在の門は文化十五年(1818)に建てられたことがわかる


山号:西荘山



本堂

宗派:浄土宗
開山:称誉
開創:慶長四年(1599)



獅子噛と龍

木鼻、持送り、蟇股


欄間の彫刻のようですね? 

本堂、大屋根の妻飾り

丹後ちりめん創始者の一人、木綿屋六右衛門の菩提寺で、本尊の阿弥陀如来像はちりめん商家の尾藤家が寄進したものである






2019年11月2日

加悦SL広場の車両・・・京都府与謝野町加悦

京都府与謝野町加悦、加悦SL広場の車両達です
奥に見える、国道176号線、福知山から加悦谷バイパス?をと、北上してきました
写真左側は、道の駅、その道の駅から、加悦SL広場への歩道橋を渡ります


その歩道橋から見える、C57189号、C58390号 機関車

加悦鉄道駅舎

加悦鉄道の歴史
SL広場の主役は、この地にあった小さな鉄道で活躍したSLです
加悦鉄道は、大正14年(1925)、丹後地方の町民823名により設立されました。
翌年、旧国鉄の連絡駅、丹後山田駅~加悦駅間5.7kmが開業、この時、雄姿を見せたのが、2号機関車でした。
以後、村人の足として、また丹後ちりめんの輸送に活躍した鉄道は、昭和14(1939)年に大江山で発見されたニッケル鉱石の輸送も担うことになり、営業距離も伸びました。
しかし戦後は、SLからガソリン車、ディーゼル機関車に主役が変わり、昭和31年(1956)頃にはSLも廃車になりました。
さらに、自動車交通の波に飲み込まれ、昭和60年(1985)、加悦鉄道は60年間にわたる歴史に幕を降ろしています・・・案内書より引用


構内から見た、駅舎、重要文化財、2号機関車
左には、1261号機関車

1261号蒸気機関車


2号機関車に連結されている「ハ4995号客車」

ハ4995号客車(町指定文化財)
明治26(1893)年新橋工場製(定員40人)。
昭和3(1928)年、国鉄より加悦鉄道へ。
明治期の代表的非買通型客車でマッチ箱とも呼ばれていた。

座席は、畳敷き・・・


4号蒸気機関車

4号機関車(町指定文化財)
大正11(1922)年 川崎造船所兵庫工場製のC形タンク機関車。
昭和9(1934)年長野電鉄から加悦鉄道へ
後方から

東レ103号蒸気機関車(旧長門鉄道101。本形式の同形機)

右:C57189号、左:C58390号

C58390号
昭和21(1946)年、汽車製造製。国鉄函館本線、石北本線で走行し、昭和50年(1975)使用廃止。
自重70トン。

動輪・・・迫力満点です

C57189号機関車

昭和21年(1946)三菱重工業製
国鉄新潟機関区等で使用し昭和46年(1971)使用廃止。自重79.9トン


ハ10形 付属客車 (町指定文化財)

大正15年(1925)10月、大阪梅鉢鉄工所で新製

どこか懐かしい? 上部の明かり取りの窓がいいすね!

ラッセル雪かき車(キ-165)



        まず、入れないラッセル車の内部
        前後の円筒は油圧系で、鉄翼をひろげるのかなぁ?
       


キハユニ101

キハ101形は、1936年に加悦鉄道が自社発注で製造した車両
NHK プレミアムカフェ「消えた鉄道を歩く 京都・加悦鉄道」で走る姿が映像として流れていました


キハ08 3

小型内燃機関車 通称”カトーくん”


遠州鉄道ト400型 無蓋貨車(ト404)

大正12年製 
加悦鉄道では、ニッケル鉱石を輸送するための無蓋貨車

転車台・・・今ではほとんど見ることができない手動式の転車台



「P」広場の片隅には、「日本最古の路面電車 No.5号車」

明治28年(1895)京都の七条駅ー伏見間(6.7km)に日本最初の電車として開通した
チンチン電車として親しまれてきたと・・・

二回に分けて、加悦SL広場の車両を撮ってきました
ちょうど、重要文化財の2号機関車の撮影がされていました

SLが牽引する列車に、幼いころに乗ったことを思い出しました
懐かしい思い出です・・・