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2014年11月1日

京都を巡ります・・国宝、二条城,・・・京都府京都市!

ついに、京都の地を訪ねることになりました!
いままで、京都観光、古寺名刹など、多々あるのに・・行こうという考えさえ起こらず・・・
なぜ?・・車、多い、渋滞・・人、多い・・何でも料金高い・・観光地!
古寺名刹など、多々あるが・・静かに、ゆっくり見て回りたい、田舎大好きな平凡な、おっちゃんにとっては・・遠い地でした!
比叡山、大津、滋賀県、名古屋へ参りましたが・・・京都は素通りでした!

そうそう、昨年、友人のお招きで、山科区、毘沙門堂は待ち合わせに時間があったので、伺いました!

しかし、遷都を巡ってきた私・・残すは平安京のみ・・・・・いつかは行かなければとおもいつつ・・・
嫁は友人達と、バスツアーとか、散策へと、京都へは行っています!

今日は晴天・・又々、青空、青しか見えない、最高の日です・・・
数日前、TV番組で、「京都、国宝浪漫」という番組で「仁和寺」を見ました・・・う~ん!・・いいね!
で、京都へ・・・単純な考え方です・・主張がないのかと言われそうですが・・(*^_^*)

赤枠:二条城、京都御苑、仁和寺
青丸:妙心寺、金閣寺、龍安寺、等持院
今回の旅は、二条城、京都御苑、仁和寺・・・この三点に絞ります・・・
・・・なぜかって?ぜひとも、あの広大な京都御苑内をただ、歩きたかったのです!・・・

では、二条城から参りましょう・・・結構、ドキドキしています!
名神高速で、京都南ICで降り、「カーナビ君」の指示されるまま、堀川通を上がります・・・
東寺、本願寺を横目で見ながら、その大きさに驚きながら、また、何時の日からきますから・・って、ブツブツと!

おおぉ、二条城の東大手門前の「P」へ・・・おっと、行き過ぎてしまいました・・えぃ、一周してしまえ!・・で、二条城一周です・・大手前「P」へ無事?「P」できました・・時間は10:00過ぎ・・
車、そんなに多くなく、楽勝で、「α君」は「P」に・・・・

さぁ、 東大手門前の入場券売場で、購入・・・重要文化財、東大手門・・世界遺産登録、二条城です!!、

国宝 二条城 NIJO CASTLE・・です!

まだ、人の数、少ないですが・・・写真の顔マスク修正・・大変なことになります
城内配置図と、世界遺産登録です
写真左下:東大手門、城内からです   写真右下:東南隅櫓です 隅櫓は西南にもあります
写真左下:東南隅櫓の位置からみた景色です・・・
お初にお目にかかります・・「唐門」です・・感動してます! あまりにも豪華絢爛の意匠に・・(*^_^*)
ほぼ、100%の方が立ち止まり、見上げ、写真を撮ります 無人はありえませんね!
上、見上げて、撮影です 「特大」です・・・クリックしてみて下さいm(_ _)m

二条城は,慶長八年(1603)に徳川初代将軍家康が,京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営した城です。その後,寛永三年(1626)に後水尾天皇の行幸を迎えるにあたって拡張されています。唐門は二の丸御殿南側築地塀に建ちます。小屋内に寛永二年(1625)の墨書があり,行幸にあわせた一連の工事として建てられたと考えられます。
唐門は,一間一戸の四脚門で,檜皮葺切妻平入の屋根の前後に唐から破風をつけています。極彩色の彫刻を多用し,冠木上には龍虎,両妻には唐獅子など様々な主題で飾られています。木部はすべて欅材で,破風には漆を塗り,各部に金箔を押した飾金具を打っています・・京都市資料より引用
思うに、修復されて間もないのでしょうね・・・金色、鮮やか、見事な彫刻も鮮やかな色です!
ググって見ました・・・
平成23年12月から唐門、築地保存修理 平成25年8月 完成とあります・・・お見事です!
構造形式:四脚門,切妻造,前後軒唐破風付,檜皮葺
建築年代:寛永2年(1625)
主要寸法:桁行 6.37m,梁間 5.45m,平面積 34.69㎡,屋根面積 145.00㎡

修理の際,飾金具を取り外したところ、垂木鼻先金具で,菊紋の下に葵紋を発見しました。前回修理(昭和48年~50年度)で破風飾金具の菊紋裏に同様の葵紋があることは知られていましたが,この部分に関しては新発見と言えます。
徳川家の城であった二条城は慶応三年(1867)十五代将軍慶喜の大政奉還により,一旦朝廷の管理下となり,京都府,陸軍省と所管が移った後,明治17年(1884)宮内省の所管となりました。葵紋から菊紋への改装の時期は定かではありませんが,城の主人が天皇家に変わった明治中頃に実施されたと考えられます。江戸時代から明治時代へ。激動の歴史をその身に刻む唐門ですと・・・・・・京都市資料より引用

葵紋は取り外さないで、菊紋を取り付けた・・なぜかなぁ?・・考えれば貼り付けた方が簡単なのか?・・単純な私感ですm(_ _)m

人の少ない、いない南門へ行ってみました・・・築地壁の破風の飾金具も綺麗です!

では、いよいよ唐門をくぐり、二の丸御殿へと、向かいます

建物は、右から、車寄、遠侍、式台、大広間の誇らしげな屋根が・・・車寄から入ります
車寄の唐破風の彫刻も見事ですね・・・上を見上げてパチリです!
これ以上は、撮影禁止と、案内のお嬢さんに言われました・・は~い!


いただいたパンフより見学順路と、二の丸御殿廊下の構造図を合成、引用しました!



黒丸の白地の数字、1~10まで部屋の外廊下をまわります


1:遠侍
3:式台
4~5:大広間
6:黒書院
7:白書院

青枠がかの有名な大広間・・・
一の間に15代将軍、慶喜が・・・
二の間に諸国大名が・・・

この場所で、大政奉還が告げられたのです!
この大広間にはその光景が人形を並べて表現しておりますが・・人形のホコリ、払ってね! ・・やや、目立つよ!
江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に上奏し、翌15日に天皇がこれを勅許した政治的事件である
徳川幕府が終わり、日本が新しい方向へ向かう出発でもあったのです!・・

カメラ撮影禁止・・それぞれの部屋の造形は・・欄間、襖絵、天井、障壁画・・徳川幕府の財と権力を見せつけんが為、それは豪華絢爛の言葉がピッタリの部屋の数々でした

撮影禁止ですが、団体出口の外側からパチリです・・思わぬ一枚が撮せました・・
左隅の説明・・・御殿の障子紙は一枚ずつ手ですいてつくられる工芸品です。貼り方は桟に合わせて一こまずつ切りつなぎ石垣を積む様に貼っていきます。
桟洗い、紙つなぎ、貼りこみと手間がかかるものです・・・石垣張りと・・なるほど、すごいね!

うん?・・この説明は修学旅行生の為か?・・・個人入口には気が付かなったよ・・・
奥の障子の上の欄間の細工も影絵みたいで、美しいです!

さぁ、堪能しました・・・しかし、物足りませんね・・何度か、来ないとそれぞれに何があったかわからないのです・・・

さぁ、出口でて、お庭から、本丸へ向かいましょう・・・

鐘楼・・・この鐘は幕末の政変の時期、二条城と、北側の所司代との連絡に使われたものです
武家風書院造・・建物面積3300㎡ 部屋数33 畳800畳余り 飾り金具が金色に輝く、修復はいつかなぁ?
この金具の構造が二の丸御殿の床板を踏むと音がなるため、「うぐいす張りの廊下」と云われています
実は、中学校の修学旅行生が覗き込んでいました・・私、説明を左耳で聞きながら・・金具みて・・
うん!うん!・・と、修学旅行の時に戻っていました・・(*^_^*)

さぁ、これで、二条城、二の丸御殿見学は終わりました・・・・あまりにも長くなりますので、・・・
「二条城、本丸御殿」は、別途、備忘録に記します・・・

では、続きます・・・しかし、人、多いよ・・(^_^;)








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