羽曳野市周辺は、古代には「近つ飛鳥」と言われていました
大陸との交流の玄関口であった難波(現在の大阪市)から近い方の飛鳥という意味とのことです
竹内街道は、「近つ飛鳥」を経て「遠つ飛鳥」まで続く、外交使節も通った日本最古の官道と言われています・・趣のある古民家が連なる風情ある石畳や、堀割が美しい街並みなど、 様々な表情を見せてくれます・・と、観光案内にありますが・・!
実は、友人の会社から聖徳太子御廟所・・磯長山、叡福寺へ向かいました・・「カーナビ君」が設定した、竹内街道、国道166号線・・ 国道だから、安心して、走っていくと・・
急に・・おいおい、大丈夫か・・と、云うぐらい狭い道へ突入・・
写真右下:単車の方が待っています・・想像するに、Google・ストリートビュウの撮影の車を除けるための待機じゃないでしょうか?(写真下:ストリュートビュウ引用)
しかし、対向車でも来たら・・万事休す・・ で、今日はドライブナビゲーター取付ていませんので・・すみません・・ 写真、その様子はGoogleMap・・ストリートビュウを引用させていただきますm(_ _)m デジカメ、「α君」車内から、パチリ・・ この度は、そんな、とんでもないこと、できません!・・ |
古民家の街並を見ながら・・・とんでもない、「α君」ギリギリです・・必死で、この付近を抜けようと・・・ここは、国道166号線ですよ!・・GoogleMapでは、「竹ノ内街道」です・・
で、この 狭い「竹ノ内街道」を抜け広い?「竹ノ内街道」の太子役場付近を右折・・聖徳太子御廟所・・磯長山、叡福寺に到着ってな訳です・・
磯長山、叡福寺の参詣を終え、地図上に・・・源氏三代の墓、通法寺跡・・帰り道の途中・・立ち寄ろうとと思い・・・
源氏三代の墓・・・ 源頼信 その子である頼義、孫の義家・・ 三代の墓です 後に鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖にあたるのです! 系図では 頼信が6代前になるようです・・・ その墓があるのが、通法寺跡なのです |
・・・羽曳野市の市内遺跡の紹介から引用・・・
11世紀の中頃、源満仲の子、頼信は、河内国司に任ぜられて、河内国石川郡壺井に屋敷を構えました。
その後、頼信の子である頼義と孫の義家の三代が壺井本拠地としたことから「河内源氏の発祥の地」と言われるようになりました。
頼義と義家は、前九年の役や後三年の役で活躍し、特に義家は八幡太郎と呼ばれて東国に地盤を広げ、武家の棟梁としての地位を確立しました。
88歳でこの世を去った頼義は、遺言により河内源氏の菩提寺である通法寺の観音堂の下に葬られたと伝えられています。
現在、通法寺境内の西端に頼義の墓があり、石垣に囲まれた基壇が残っています。
江戸時代に書かれた『河内名所図会)』には堂が描かれており、かつては墓堂が建っていたことがわかります・・・
通法寺山門です・・
写真右下は、鐘楼・・明治6年(1873年)になって、山門、鐘楼以外は取り壊されたと・・・
通法寺跡から歩くこと、僅か・・源頼信、義家の墓・・この山の上にありそうですが、夕闇迫る中・・・
竹藪の道、真っ暗で、・・・止めましたm(_ _)m
写真右下:源氏館跡とあります・・説明板、読めません・・・
河内国石川郡壺井に屋敷を構え・・って、ありますが、今の壺井八幡宮の地との説も・・・・
再度、通法寺跡を・・
写真左下:中央部分、盛り上がった地に礎石があります・・本堂の跡か?
写真右下:手水鉢・・通法寺の刻銘が見えます・・・
まぁ、ここもめちゃ、狭い狭い道・・・ しかし、恐るべきかな、GoogleMap・ストリートビュウ・・入っています 画像、引用です 「α君」ギリギリ・・四つ角、下手すると、ガリガリ・・っと! コーナーセンサーあれば、ピピピ・・なるでしょうね!・・すみません! 付けていませんm(_ _)m |
しかし、今日の竹ノ内街道、国道166号線といい、通法寺跡への道といい・・凄すぎです・・
因みに、Wikipediaで国道166号線を調べると・・・・・
道幅が狭い区間が多く、羽曳野市内の近鉄古市駅から臥龍橋西詰付近と、大和高田市内の大中橋から旭北町国道165交点の2つの区間は西向き(終点→起点方向)の一方通行となっている。
そのため起点から終点方向へは自動車や原付による全線走破は不可能である。
また、一方通行でない区間でも道幅が狭い部分は多く、羽曳野市内の駒ヶ谷駅から上ノ太子駅間においては未整備区間が多く、民家の軒が張り出した路地のような狭路が続く。
そのため「国道」でありながら、大・中型車の通行は不可能で「都市型酷道」と呼ばれる。
竹ノ内街道・・官道 ・・官道とは、国家によって整備・管理・維持がなされた道路のこと。
特に古代律令制国家においては、中央と地方機関を結ぶための経路として整備された・・・知りませんでした・・・
そうなんや・・・!それなら環境保全の観点から、仕方ないね・・・次回来ることがあれば、歩きましょうかね・・・!
前回も記しましたが、羽曳野・・なにか、はまりそうで~す!
追記:地図画像、Google引用 文言は羽曳野市 市内遺跡の紹介から引用、Wikipediaから引用させていただきました
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