お福は、父・斎藤利三の所領のあった丹波国の黒井城下館(興禅寺)で生まれる。丹波は明智光秀の所領であり、利三は家臣として丹波国内に光秀から領地を与えられていた。光秀の居城を守護するため、福知山城近郊の要衝である黒井城を与えられ、氷上郡全域を守護していたものと思われる。福は黒井城の平常時の住居である下館(現興禅寺)で生まれたとされている。お福は城主の姫として、幼少期をすごした・・・Wikipediaより引用
では・・興禅寺へまいりましょう・・
興禅寺の惣門・・・寺域では一番南、公道に面して建っている門、寛永三年、興禅寺となってこの地に移ったおり、黒井城の門材を使って建てたものといわれています
写真右下:門をくぐり、延びる参道・・その背後の山が黒井城です・・・
写真右下:楼門・・近年、法縁がある宮津市の智源寺より移築されたもの・・柱間三間一戸の二階建て、両脇に二天を祀り、二階は高欄をつけた廻縁をめぐらしています
創建は未詳だが、元禄年間改修の記録が残されていると・・・
門前の石橋をはさんで、東西にのびる約80mの水壕を古くから「七間堀」と呼ばれている
写真左下:お福の腰かけ石
写真右下:鐘楼・・寛永年間、赤井悪右衛門直義、寄進によるもの、大正二年に改築するも、創建当時の形のまま忠実に再現とある
写真右下:お福産湯の井戸
本堂の紋瓦・・城主だった萩野直正の紋所は「下さがり藤」が高々と上がっており、直正開基説を裏付けています
楼門の境内側から上見上げれば・・・おおぉ、ススメバチの巣ではないか・・恐ろしい!!
写真左下:東側から七間堀と高石垣を・・・(手前、鐘楼、奥は小学校)
局庵・・NHK大河ドラマの放送時期に造られた? 観光休憩所!
実は、このとなりが「P」だったのだが、バキュームーカーが作業中・・で、黒井城登山「P」にとめることに・・・
写真右上の地図拡大・・・標高、竹田城は353.3m 黒井城は356m・・・
天空の城ですね!・・・必見かもね・・わぁわぁ、騒がないうちに登っておかなくては・・
それとも、ブームは去ったのか??
でも、来年、登山しましょう・・・
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