ページ

2014年11月28日

興禅寺・・春日局生誕地・・兵庫県丹波市!

ご存じ、春日局・・お福!
お福は、父・斎藤利三の所領のあった丹波国の黒井城下館(興禅寺)で生まれる。丹波は明智光秀の所領であり、利三は家臣として丹波国内に光秀から領地を与えられていた。光秀の居城を守護するため、福知山城近郊の要衝である黒井城を与えられ、氷上郡全域を守護していたものと思われる。福は黒井城の平常時の住居である下館(現興禅寺)で生まれたとされている。お福は城主の姫として、幼少期をすごした・・・Wikipediaより引用

では・・興禅寺へまいりましょう・・

興禅寺の惣門・・・寺域では一番南、公道に面して建っている門、寛永三年、興禅寺となってこの地に移ったおり、黒井城の門材を使って建てたものといわれています
写真右下:門をくぐり、延びる参道・・その背後の山が黒井城です・・・

写真右下:楼門・・近年、法縁がある宮津市の智源寺より移築されたもの・・柱間三間一戸の二階建て、両脇に二天を祀り、二階は高欄をつけた廻縁をめぐらしています
創建は未詳だが、元禄年間改修の記録が残されていると・・・
楼門に祀られている二天・・・
写真左下:春日局出生地の碑  写真右下:局庵にある説明図

門前の石橋をはさんで、東西にのびる約80mの水壕を古くから「七間堀」と呼ばれている
高さ約4.5mの高石垣が連なります、中央部分石橋付近の積み方は「野面積み」・・黒井城と同じとある その他の部分は「切り込みハギ」で、後世の改修と思われると・・・ 水濠と高石垣、白のねり塀をめぐらせた景観は、かっての黒井城下館の姿とのことです・・・

写真左下:お福の腰かけ石  
写真右下:鐘楼・・寛永年間、赤井悪右衛門直義、寄進によるもの、大正二年に改築するも、創建当時の形のまま忠実に再現とある
写真左下:庭園・・本堂西の客殿前にある庭園は、近衛信尹がこの地に流寓したとき、自ら指導、設計して造らせた庭で400年を経ても林泉の美はみごとです
写真右下:お福産湯の井戸
近衛信尹・・安土桃山時代の公家・・結構有名な御方らしいが・・知らない・・後日ググってみよう!

本堂の紋瓦・・城主だった萩野直正の紋所は「下さがり藤」が高々と上がっており、直正開基説を裏付けています

楼門の境内側から上見上げれば・・・おおぉ、ススメバチの巣ではないか・・恐ろしい!!

写真左下:東側から七間堀と高石垣を・・・(手前、鐘楼、奥は小学校)

局庵・・NHK大河ドラマの放送時期に造られた?  観光休憩所!
実は、このとなりが「P」だったのだが、バキュームーカーが作業中・・で、黒井城登山「P」にとめることに・・・
黒井城跡、「P」・・・写真右下:登山口、片道約40分・・本日は時間的に無理・・・来年ね?
写真左下:黒井城跡説明  写真右下:赤井直正
直正は赤井氏の同族で黒井城に拠る荻野氏の養子に入って荻野姓を称した


写真右上の地図拡大・・・標高、竹田城は353.3m 黒井城は356m・・・
天空の城ですね!・・・必見かもね・・わぁわぁ、騒がないうちに登っておかなくては・・
それとも、ブームは去ったのか??

でも、来年、登山しましょう・・・





0 件のコメント:

コメントを投稿