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2014年11月1日

京都を巡ります・・国宝、二条城、本丸御殿・・・京都府京都市!

国宝、二条城、二の丸御殿、唐門を巡ってきました!・・豪華絢爛の意匠に驚いています!
本丸御殿へ向かいます・・・東橋を渡り、本丸櫓門をくぐります・・・
写真左下:氏橋車引通???・・分かりません   写真右下 :本丸櫓門
東橋から左みれば、写真左下:奥に重要文化財、桃山門  写真右下:奥に重要文化財、鳴子門が見えます・・堀は内堀です
二条城 配置図です・・・パンフより引用
本丸櫓門をくぐり、振り返り・・パチリです・・櫓門、写真はありませんが、堀の中程に建っています
御常御殿、奥に御書院が見えます
本丸は寛永三年(1626年)三代将軍家光の命により増築されたものです。もとは五層の天主閣がそびえていましたが寛延三年(1750年)に雷火により焼失、また、天明八年(1788年)には、大火による類焼で本丸内の殿舎をもなくしました。
現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を明治26~27年(1893年~94年)にわたり、移築したものです。
この建物は弘化四年(1847年)頃に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な姿で残っている貴重なもので、重要文化財に指定されています
天主閣跡より・・写真左下:内堀、その奥に重要文化財、西南隅櫓が見えます
写真右下:西橋が・・その奥に、重要文化財、西北土蔵が見えます
天主閣跡より・・・「よき、眺めでごじゃるなぁ・・おほっほっ・・!」・・
重要文化財、玄関です・・派手さのないですが、素晴らしい玄関です!

写真左下:西橋から南を見ると、天主閣跡の石垣が見えます
写真右下:西橋です

本丸御殿は、質素な感じがいたします・・・私感ですがね・・

北大手門から二の丸御殿の方面に向かいます

西門は、埋門(非常時には、土砂などで埋めて塞ぐことを想定して構築された門)で、江戸時代前期の寛永年間(1624年から1643年)に造 られたと推測されています。
他の門と違い、厳重な造りです。折れ曲がって東側に高い石塁を築き北側に出入り口が設けられています。現在は、外濠にあった橋 が取り払われており西門からは出入りできませんって・・
写真左下:重要文化財、西北土蔵・・ピンぼけm(_ _)m 写真右下:お堀端といい、二条城の松の立派なこと・・・
重要文化財、北中仕切門・・・
写真右下:左隅の外人さん・・写真を何枚も撮しています、その奧さんが多分、フランス語?で、旦那?に文句言っています・・多分、早くしてよ・・ってね!・・先へどんどん歩いて行っています・・(^^;)
どの国も同じですね・・・そういう私も、いつも言われていますから・・はい! 耐えましょうね!
和楽庵の前に、加茂七石・・・
一般的に、鴨川上流の「紅加茂石」「雲ヶ畑石」、貴船川の「貴船石」「畚下石」、鞍馬川の「鞍馬石」、静原川の「賤機石」、高野川の「八瀬真黒石」の七つをいう。
現在は、どれもほとんど産していないという・・・・
清流園・・江戸初期の豪商、角倉了似の屋敷から、建物の一部と庭石約800個を譲り受け、それに全国から集めた銘石300個と茶室を加え昭和40年(1965年)完成・・・と、ある
奥に見える茶室は香雲亭です
写真左下:北大手門、重要文化財  写真右下:土蔵、重要文化財 
築城400年記念 展示・収蔵館・・・入館料100円・・・
覚えていないのですが・・多分、大広間四の間障壁画「松鷹図」・・黒書院二の間障壁画・・・
すべて狩野派です・・・本物です・・ガラス越しにじっくり、眺めてきました・・よく、わかりません(^^;)
展示・収蔵館前のお店・・お腹空いたので、みたらし団子を、赤い毛氈の上で食しました!
いや、美味しかったで~す!
写真左下:修復の終わった、築地塀、飾金具の見事な姿・・・
写真右下:来ました・・小学生、団体さんですよ!
写真右下の東大手門の左端の建物・・番所・・
徳川将軍不在時の二条城は幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士たちが、宿直、警備していた。一つの組は五十人で構成され、二条城には二組が常駐し、毎年四月に交代していた・
この建物、寛文三年(1663年)、間口十間、奥行三間の切妻造りである。
城郭の番所は全国的にも少なく、貴重な建物である・・・と!

国宝、二条城二の丸御殿、唐門、本丸御殿・・・初めて訪れ、驚きと、感動の連続でした・・

慶応三年(1867年)一五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、明治17年(1884年)離宮となりました。 その後、昭和14年(1939年)に京都に下賜され、平成6年(1994年)には、ユネスコの世界遺産に登録されました・・・ はい!・・・みんなで守りましょう・・文化遺産です!!・・京都市、がんばれ!!




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