ページ

2025年10月19日

登録有形文化財 比叡山鉄道比叡山鉄道線 ケーブル坂本駅です

比叡山に登るには、車で行くか、大津市側からこのケーブル坂本駅からケーブルカーを利用する方法があります
過去、数度比叡山には登りましたが、すべて車でした

しかし、この駅舎が1925年建築の有形文化財ということで、かねてから一度来たい、撮影したいと思っていましたが、そのチャンスが訪れました

穴太衆の野ずら積みの塀が並ぶ素敵な坂道を上がってきました

駅舎は洋風木造建築の2階建てで、1925年(大正14年)に建てられている
1階には待合室にベンチが置かれ、切符売場や売店、乗務員控室などがある。2階は事務所となっている。駅舎入口の上には「坂本驛」と旧駅名が記されている。・・Wikipediaより


1997年(平成9年)7月15日:駅舎が国の登録有形文化財に登録される


  良い雰囲気ですね

歴史
1927年(昭和2年)3月15日:坂本駅として開業
1974年(昭和49年)1月15日:ケーブル坂本駅に改称
1997年(平成9年)7月15日:駅舎が国の登録有形文化財に登録される


乗降口です

天井 

今回、ケーブル坂本駅の登録有形文化財の建物を撮影できました
たいへん良かったと思います
一度、ケーブルカーで比叡山に登ってみたいと思っています
さぁ、いつになるかなぁ?

記事中の写真には、人影はいません
実際は、お客さんは数名いますし、係員さんもいます
現像で、その人影を消しています
現像ソフトは、Adobe Lightroomです
そのAiの処理は見事です・・・・また記事にします


駅舎前のモニュメント、 車石

江戸時代、大津と京都を結ぶ東海道は旅人で賑わい、また大津港で荷揚げされた?の物資を?京都に輸送さる?として貴重な役割を果たした
当時、物資の輸送手段は牛車を用いておりこの区間には交通の難所として逢坂峠・日の丘峠があり牛車での輸送を円滑に行うために車石の轍?工事が施工された
車石は展示してあるように、石の中央部に溝を刻みこれを車の轍のように二列に並べ敷き詰めて、この溝に車輪を填めて運ぶ車道であり、文化元年(1804年)から二年がかりで江戸幕府の支援のもと大津宿の札の辻・京都三条大橋の間、約十二キロが竣工した
江戸時代の画期的な行政?を知る貴重な文化財となっている。
   平成十五年(西暦2003年)三月十一日 北山鉄道株式会社


大津市によれば・・
江戸時代[1603-1868]の街道は土道であったため、雨の時は地面がぬかるんで牛車の車輪が埋まり、進めなくなる可能性がありました。それを防ぐために敷かれたのが、この車石です。
物資の輸送には、大津から山科を通り京都へ向かう東海道が利用されました。この間には逢坂山(現在地)・日ノ岡峠という難所があり、こうした場所に車石が敷かれました














0 件のコメント:

コメントを投稿