中井権次一統の足跡を巡って、京都府宮津市へ・・・
ここ、仏性寺の位置する場所は、中井権次の十一代目の居宅のすぐそば・・・
・・・先日、お会いするのに夢中で、つい、見逃していました・・・
今回、再度、宮津市を訪れ、中井権次一統の足跡を巡っていますが・・・・
・・・この日は、なぜか? カメラの設定がおかしく、ハチャメチャな写真になりました・・・
Pentaxで曰く、TAV・・・絞り、シャッタスピードはマニュアルで、ISOはオートです・・・
その、ISOが、なんと現像時に判明したのですが、10000とか15000とか・・・
絞り値、 シャッタスピードの設定値が、絞りすぎ、遅かったか・・ISO連動ですからね!
・・・と、いうことは、ノイズだらけ・・・
言い訳はそれぐらいで、鑑賞に堪えないですが、そこんとこ、よろしく・・・m(_ _)m
仏性寺・・・
・・・仏性寺の開基は天正十八年(1590)本願寺顕如上人より寺号を授与された
開基は小浜の天ヶ城・城主内藤伊賀の守楠重吾の五男明誓である
明誓は、細川幽斎の田邊城篭城に京都より夜をこめて立ち帰り徒党を催して共に篭城をした功労によって幽斎の妹を妻とし田邊に瑞光寺を宮津に仏性寺を建立してもらい、仏性寺住職として、開基する・・と、ある
山門です・・・嘉永年間(1848~1854)に建立されたもの
・・・いや、みごとです、木鼻、持送り、兎の毛透しの鳳凰・・・
梁の上・・狭いところに横たわる、龍・・・
門扉・・・細川の紋所「細川九曜」が打たれている
うん? 発色が違う・・・失敗です、あえて、修正しませんでした・・m(_ _)m
浄土真宗 山号を金谷山といい、御本尊は阿弥陀如来である
本堂です
・・・残念にも、戸の組格子も痛んでいますね・・・
山門の木鼻とは、雰囲気が違いますね・・・
手挟み
そして、山門に戻り、下から、キョロキョロ刻銘を探していたら・・・ある高齢のお方が・・・
・・・名前さがしているのか?・・と!
はい、見当たりません・・・
・・・あそこや! と、指して・・(写真下、赤丸)
・・・その望遠レンズでみてみたら・・・ドキッ! 的を得たお言葉です
・・・ここは、細川家やから、細川の紋所「細川九曜」がこれや・・ってね!
境内から出てきたわけではないので、近所の檀家さんか?
でも、教えていただき、大助かりでした・・・感謝!!
しかし、文字が消えかかっているのか、現像で、ここまで、回復してみました
・・・彫物師 丹波 柏原住 中井?? 橘?貞・・・ そう、六代目、中井権次橘正貞
境内から、山門越しに寺町?を眺めます・・・
この仏性寺、近いうちに、再訪したいと思います・・・
・・・六代目、中井権次橘正貞の作品、そして、こんな汚い出来の悪い写真がと思えば、自分が許せません・・・再訪して、取り直しです・・・・
最近、拝観している最中に、関係者の方とか、お話をさせていただくと、何か、忘れている・・・
・・・あっ! あの写真をね!・・って、現像中に我に返ります・・
・・・困ったもんです・・・・ボケてきてますね・・・(^^;)
参拝日:2017年7月21日
そして、下図の右、桜山天満宮も、中井権次一統の足跡らしい・・・作品集には掲載されていない・・