その途中の道端に、「黒田官兵衛生誕の里」の石碑が建っています・・・(写真右下)
NHK大河ドラマ黒田官兵衛の影響は大きいですね・・・・私はきっちり、はまってしまいました(*^_^*)
写真左下:赤丸左から・・多田城址、姥が懐、上、黒田城址、下、黒田官兵衛生誕の里」の石碑、右、荘厳寺・・
坂道、走れば・・荘厳寺に到着です
白雉年間(650~654)年中、天竺(インド)の僧の法道仙人の開基と伝えられる観音霊場です。
慶長年間(1596~1614)の頃、徳禅上人が当山に入り、堂宇を修復して「荘林山荘厳寺」を再興されました。
それ以後、徳禅上人を忠興開山として、真言宗高野山派となりました。 盛時には本堂への参道沿いに十ヶ寺程の塔頭を構えていたようで現在その建物跡地から往時のことが偲ばれます。
宝暦年間(1751~)には社町の朝光寺と鴨川の西光寺(廃寺)を行場とする権現信仰の修験道の寺として交流していたことが伺われると・・・
では、先に、参道を登って本堂、多宝塔や梵鐘へ参りましょう・・・
苔むした石垣の上、漆喰壁の美しさを見、角を曲がった瞬間・・・おおおぉ!・・これは、楽しみです~さぁ、登りましょう~
・・・どこかで、見たような光景?・・そうや!・熊野古道や!・・・写真でしか知りませんが・・・
苔むした石段、それを取り巻く杉木立・・ 云われれば、杉木立、苔むした参道は、どこも、 同じかもしれませんが、黒田官兵衛を巡って来て、 この光景に会えるとは・・ 約三百メートル・・ほぼ、直線の参道、石段です・・・ この参道に沿って、僧房の跡が残っていると・・・ |
帰路時、数えてみました・・・240段です ・・あまりに多すぎて、違うかも・・(*^_^*) |
・・・梵鐘にその刻銘もみてとれます
本堂「観音堂」・・・・慶長十六年(1611年) 再建
四百年を経た本堂は老朽化が著しく、平成修復工事では、本堂の屋根をチタン板で葺き替えたとあります・・チタン材は、現時点では半永久的だといわれていますと・・・
チタン材の大屋根、初めてです・・・
うん?・・指定文化財として認定を受けるには、創建当時を保存した修理をしないとだめじゃないのかなぁ?
・・チタン材は覆い屋根? もとは茅葺きとあるが・・よく、わかりませんm(_ _)m
多宝塔(県有形文化財)・・正徳元年(1711年)再建とある・・伝、建久年間
多宝塔は修復工事は平成27~28年に・・本堂の、修復工事は3億前後の費用がかかったようです!
文化財、維持管理は大変なことですね・・・
三社八幡宮・・こけら葺・・
宝永五年(1708年)建立( 伝、室町時代創建)・・三百年の歴史を経ており、腐食や破損が激しい状況です
多宝塔から見下ろすと、修復工事、真最中・・
山門をくぐり、持仏堂へ参ります・・・拝観料200円、手前の箱に入れます
こちらも迎春準備完了・・立派な門松があります
平成23年8月、歴史研究家によって詳細に解読された結果、この系図こそが信憑性の高いものと確認されました・・・
そのなかで、インターネットのホームページ、「播磨黒田氏黒田官兵衛」をご覧くださいとあります
早速、見てみました・・
持仏堂内を・・資料が沢山展示されています・・鬼踊りの面も・・写真、ミス・・m(_ _)m
黒田官兵衛生誕地の会事務所・・・沢山の幟がありましたが、この会の尽力で、官兵衛も喜んでいるでしょう・・・
2014年も押し迫った日に、一人、 「黒田官兵衛の里・西脇市」・・新たな生誕地・発祥地説、そのゆかりの地を訪ね、新説に触れながら・・・2014年も終わりです
又、新年2015年も黒田官兵衛の足跡をたどりながら・・一人旅?二人旅?・・・あっちこっちを旅します・・・
そう、九州、豊前、中津城・・そして、福岡藩、福岡城へも是非、行ってみたいです
2014年、長々と・・・m(_ _)m
追記:インターネットのホームページ、「播磨黒田氏黒田官兵衛」・・
Youtubeで講演会の動画(95分、6分割)があり、なかなか興味深いものがあります
そして、 黒田家前史の真実をたづねるに、播磨のことは播磨に聞け、というわけである。
・・と、結んでいる・・ |