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2016年4月30日

済納寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市市島町上田!

中井権次一統の足跡を巡って、済納寺に参ります・・・下図、赤丸!
左下、赤四角が、同じく、中井権次一統の足跡の鴨神社です・・・距離、僅か・・ホント! 休憩出来ません (*^_^*)
しかし、社寺の多いこと・・・下図の狭い地域でも、8ヶ所あります・・
う~ん? 訪れてみたい・・しかし、目的が違うのだからと、我が心に言い聞かせながら・・(^_^;)


慈眼山 済納寺・・石門です!
立派な石垣の上に・・・山門です
・・・天台宗、済納寺・・・
済納寺は「創立不詳、中興開山を実海法印という・・・元禄二年(1593年)再建されたらしい
本堂は、明治三十三年に和光寺を廃寺として、移築したもので、ご本尊は阿弥陀如来・・と、ある
・・・中井権次一統の資料より引用
いきなりですが・・・・
門前に立ち、彫物見上げれば、彫物背面の刻銘が二つ・・・
写真左下:彫り物師 柏原中井 橘正實・・と・・中井橘正實は正貞の甥である・・・
写真右下:當門建設 願主坂東善久?・・と、よめる!
その刻銘の表面・・・おおおぉ、龍や!
そして、虎もおるぞ・・・
うん! 斜め横から写真を撮ると、立体的に見えるね・・・
・・・木鼻の 唐獅子と象・・・
同じく、斜めから・・・
山門と鐘楼・・・

本堂・・赤・白・金字の「円戒場」の掲額・・
天台宗の古い道場に見かけるもので、戒(教え)定(行い)慧(学び)を表し、授戒の場を示すと・・・
・・・丹波市観光案内より引用・・・

本堂の外から手を合わせ・・・写真を撮りながら、彫物眺めていると・・・・
なんと、本堂から、ご住職が・・・出てこられ・・・
普通なら、なにかご用事で? と、なるのだが・・・!  
今日は、違いました・・・うん?と思うでしょう・・訳は末尾に記します・・m(_ _)m

・・・・ピンポン押しても、だれも出てこなかったですか?・・家内がいるのですが!・・と!
・・いや、ピンポン押していません・・・中井権次の彫物を拝見しに伺いました・・と!
・・・・それはそれは・・と、どうぞ、本堂へ・・お上がり下さいと・・・
・・ご来客のようですから・・と、一端断りましたが・・
・・・・どうぞ、どうぞ・・と!
そして・・・写真を出してこられて、この写真が中井権次の彫刻です・・と、説明いただきました!
そして、須弥壇の左右の龍を指さし、あれもそうですと・・
・・写真は構いませんか?・・と、聞くと・・・
・・・・どうそ、どうぞ・・そして、暗いでしょう! 懐中電灯を持ってきていただき、これ、使って下さいと!
奥様が、まぁ、お茶でも・・・と、  当方、恐縮し放し・・・(^^;)
住職、お客様に・・ちょっと、お待ちをといい、奥の位牌堂までご案内いただき、ここは、七福神の絵画をと・・・ユックリご覧下さいと・・・


遠慮無く・・須弥壇の左右の龍を・・・
・・・龍の口から、火炎を噴き出しているようにも、見えるのだが・・・私感!
しかし、堂内にいてる龍は、よき色してますね・・
折上げ格子天井ですね!

アコーディオンカーテンに隠れているのかなぁ?・・唐獅子・・(*^_^*)

写真上下、阿吽の唐獅子やね・・すごみ、きかしているのかなぁ?・・うん! ええぞ!!
しかし、中井権次一統の作品にこのような顔つきの唐獅子を見たのは初めてかなぁ?
須弥壇裏の位牌堂・・・その廊下の左右に七福神?の絵画が・・・ユックリ見て下さいと案内されました・・・(*^_^*)
・・・失礼なので、位牌堂奥は、マスキングしました・・・m(_ _)m
ご住職に丁重に御礼申し上げ、失礼しようかと・・・そうしたら、本堂、縁に中井権次一統の資料があるので、見て下さい・・と!
丹波新聞の中井一統の技というコラムの切り抜きから、山門改修の記録など・・見せていただきました・・・
・・・時間、あれば、縁側にすわり、熟読したい気持ちになります!

済納寺の「P」より・・・真ん中が本堂・・


いや! 清々しい気持ちです・・・なんでしょうか?
唯々、中井権次一統の足跡を訪ねただけなのに、こんなに親切にしていただいたのは、初めてです!
彫物も立派でしたが、済納寺のご住職には、親切な対応いただき、そのお心使い、感謝の念で一杯です!
・・・・・ありがとうございました・・・・・


参拝日:4月15日





2016年4月29日

鴨神社・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市市島町梶原537!

兵庫県丹波市春日町多利に位置する、阿陀岡神社を尋ねました・・・
下図の赤の線が、阿陀岡神社・・鴨神社まで、ホント、すぐです!・・休憩さえ、出来ません・・(*^_^*)


鴨神社の由緒・・
御祭神 賀茂別雷命
創建は賀茂縣主真蓑にかかるとの口伝があるが不詳である
応永二十八年(1421年)「再造鴨大明神社殿」の棟札があり、禰宜賀茂縣主経良の名が記されている
天正七年(1579年)明智光秀の丹波攻めにより兵火にかかり、社殿ほか一切焼失した
現在の本殿は延宝八年(1680年)に、拝殿は文化八年(1811年)に再建されたものと伝えている
江戸時代、鴨郷(加茂乃庄)九か村の総社として、地域住民の尊崇を集め、四社(鴨神社と貴船神社、八幡神社、春日神社)を合祀したことから当時は鴨四座大明神と称し、氏子六百四十戸を擁したという
時の領主旗本川勝氏の崇敬の念篤く、神社の繁栄維持に勤めた
大正十三年五月に郷社に列せられる
境内面積約二千四百坪、本殿の両脇に二社と一社を配し、祝詞殿に続く東西十間南北二間の広さの拝殿、それを三方の塀で囲んだ社殿は壮観である 戦後に宗教法人鴨神社となる
一の鳥居(大正三年三月再建、柏原中井権次彫刻)の脇に御神木の天然記念物・大公孫樹(推定樹齢数百年、高さ20m、幹周6m)がある

参考・・・京都・上賀茂神社の御祭神も当神社と同じく賀茂別雷命で、神社の正式な呼称は賀茂別雷神社という 同、下賀茂神社は賀茂建角身命と、娘、玉依比売命が御祭神である 玉依比売命の子が賀茂別雷命であることから賀茂御祖神社が正式名称 賀茂建角身命は丹波国の伊賀古夜比売命を妻に迎え玉依日子命と玉依媛命の二人をもうけ、兄の玉依日子命は後に父のあとを継いで賀茂縣主となる
・・・案内板より引用

彫刻は・・中井権次一統の資料では、中井権次橘正胤とのこと・・・

この由緒を熟読して・・・うん? 一の鳥居?・・・無いのです、見つかりません・・・さて、後で探すか?
狛犬・・台座には、文久三年(1863年)とよめる・・
随身門内より、拝殿をみる・・・・・・写真、全体、正面からは全景写りません・・・(^_^;)
東西十間南北二間の拝殿・・
向拝・・龍!
拝殿内・・神額、左から、春日神社、加茂皇大神、八幡神社、貴船神社・・・
左手から、塀に沿って、回ってみますね!
・・・本殿、背面・・・
本殿、真裏に・・柿本神社
本殿、右手から・・手前の社殿は、八幡神社・・
楠木・・・
・・・右手に随身門・・
拝殿内、奉納絵馬・・・
・・・案内板によれば、「桃園義盟圓」長澤蘆州(丸山応挙の高弟で蘆雪の義子)の画を蔵とある・・
この絵馬類は、文字判別不可・・・



拝殿・・蟇股

社頭から、見渡せば・・・おおぉ、鳥居発見・・・一の鳥居です!
・・・鳥居越しに見える森が、鴨神社の社叢・・・

      鳥居、神額・・・兎毛通が、案内板の説明であった中井権次の彫刻か?・・・

        御神木の天然記念物・大公孫樹
        隆盛のころは推定樹齢数百年、高さ20m、幹周6mだったのでしょう・・ね!!

御神木・・・大公孫樹を守る会・・日本樹木保護教会より、手術と治療が施されたと・・・
結果、写真上のように、若葉が・・・元気でね!



田の中に位置する、鴨神社・・このように田、畑の中に位置する神社の参道は長く・・・おやっと、思ったところに、鳥居があることが多いでね!

そして、東西十間南北二間の拝殿もお見事でした!


参拝日:4月15日





阿陀岡神社・・・兵庫県丹波市春日町多利!

阿陀岡神社・・丹波国氷上郡の延喜式内社・・そして、寛保二年(1742年)造営の本殿を拝見すべく・・
実は、中井権次一統の足跡の「鴨神社」へ向かってる途中に立ち寄りました・・・
この国道175号線沿いには、中井権次一統の足跡の寺社が、並んでいる?のですよ・・・(*^_^*)

縣社阿陀岡神社・・

境内へとすすみます・・・左手が社務所?  一般のお宅かな?
こちらの石碑には、延喜式内阿陀岡神社とあります・・ね!
阿陀岡神社由緒・・・
主祭神:吾田鹿葦津比売命
配祀神:品陀別命 菅原道真命  
社格:旧県社

由緒:・・・
創立年代は不詳なれども延喜式内の神社にして、延喜式神名帳(平安時代)に当社の社名、鎮座地が所載されております。 明応元年(1492年)八月に再建され、元文四年(1739年)七月八朔祭も松明の火で炎上、
寛保二年(1742年)九月に再建し現在に至る
 伝説には、欽明天皇三年三月即位三年(583年))春日部乙身勅命により幣物を奉ったと言れ、1400年以上も昔から鎮座されていた古社であります。 公卿や武家の崇敬が厚く、明治維新の元勲、岩倉具視は自筆の神号を奉納している・・・案内石碑より引用

拝殿・・
拝殿、向拝・・・
神額・・
拝殿内・・うん! この雰囲気、身が引き締まりますね・・
拝殿、本殿・・流造銅板葺
・・・本殿、全く、外観が、うかがえませんね・・・(^_^;)
本殿裏手、社叢に・・・巨石群・・・ 境内社、稲荷神社!!
明治神功遙拝所・・
・・上の写真といい、巨石群が社叢にある・・・

・・・・伝承によると、一帯で洪水が起こり、木花咲耶姫命が濁流に襲われた。流される途中でこの岩にとどまり、事なきを得たのだという・・・「平地が続く土地の真ん中に、こんなに大きな岩があったのは不思議」・・・と、・・・神戸新聞より引用
社叢奥に・・・ツクバネカシ・・詳細不明・・(^_^;)

社務所・・・立派ですね!・・・一般のお宅ではなかったです・・m(_ _)m
舞殿・・・
・・・うん? 忘れ物か?  リュック置いてあるぞ・・・!



私の新シリーズ・・・「指定文化財を巡る」の資料で、知った、阿陀岡神社・・・ ・・江戸時代、寛保二年(1742年)造営の本殿を拝見しに参拝したのですが、外観の様子がうかがえず、残念です!
ググってみると、阿陀岡神社の例祭(八朔祭)8月は、すごいらしい・・
・・・しかし、由緒で・・・元文四年(1739年)七月八朔祭も松明の火で炎上と、ある!・・・
いや、その時代は、社殿も茅葺きだったかも?・・・それで、火の粉が・・私感!!

近くの神社の例祭にも行かないのに、まして、丹波市の神社の例祭には、絶対来ないだろうね!・・って、なにやら、落ち込んでしまいました・・・はぁ!(ため息)・・・m(_ _)m


参拝日:4月15日