大沢八幡神社の鳥居の前に、「伊能忠敬この道を歩く」を、発見
以前記しましたが、国道179号線沿い、JR草野駅付近にも、ありましたね
2016年5月11日 伊能忠敬、笹山領測量の道…兵庫県篠山市草野字横道ノ坪
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2016/05/blog-post_8.html
伊能忠敬この道を歩く~
伊能忠敬は1804年から17年間かけて、全国を測量して、大日本島興地全図を完成させ、日本の歴史上初めて国土の 正確な姿を明らかにしました
伊能忠敬の測量隊は、前後2回にわたって丹波に足を踏み入れました
味間地区に入ったのは、1814年(文化11年)九州第二次測量の帰路のことです
測量日記には「これより大阪街道仕越し」と記されています
「仕越し」とは、時間的余裕が生じ、精度を高めるための予定以上の測量のことです
・・・案内板より引用、一部省略
「右きよ水、左なれあい(宮津橋立の成相山のこと)」と、刻ざまれているようです?
・・・判別が難しい‥(>_<)
伊能忠敬笹山領測量の道
文化十一年(1814)二月四日晴れ後曇
伊能忠敬測量隊十名は、百三十一人の労役村民を従えて北野新村から大阪街道を南下し、一ノ瀬川に架けられた仮橋 二十一間を渡り、古佐村に入る…と、刻まれている
左の方一ノ瀬川向こうに丹波少将屋敷跡あり 味間村の皆川を渡り、新村の立場、大沢村に入り、大阪・笹山街道の 分岐点に丸に山印杭を打ち込み測量を終える。同所で昼食後、無測で北野新村まで引き帰り止宿した。夜は天体観測 …と、刻まれている
この石碑がある場所は、大沢八幡神社鳥居前です
寛政十二年(1800)第一次測量、蝦夷地から始まり、その時56歳
文化十三年(1816)第十次測量、江戸府内で終わる その時72歳
74歳で死去するも、喪を秘して地図製作を続行、
文政十四年(1821)『大日本沿海輿地全図』完成、三ヶ月後喪を公表とある…Wikipediaより引用
ホント、凄いことを成し遂げたのですね…m(_ _)m