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2013年12月27日

iPhone3GS・・iOS6.1.3・脱獄成功!

iPhone3GS・・旧ロム・・iOS6.1.3

2013年10月31日の備忘録に記しました・・・
  iPhone3GS-32Gが・・・SafetySight・・をインストールしようと思いつき・・
  しかし、iPhone3GSは、未対応だったんです・・

  ほんと、つまらないミスを犯すことに・・!・・・あさはかな考えでした・・はい!
  SafetySight・・調べもしないで、iPhone3GSに、出来ません・・未対応です・・と!云われ?・・
  だから、所謂、iOSが4.1だったので、iOSばかりに気を取られ・・
  iPhone3GSという、機種なんか、頭に浮かびもせず・・iTunesに繋ぎ・・iOS6.1.3に・・・入獄してしまいました!

それ以来、出獄?をどれだけ・・待ち望んでいたか・・・!
仕方ないことですが、モサモサ動く・・なんとか、できれば・・それだけなんです・・・

サンタクロースのプレゼントか?・・・

先人のブログに・・・完全脱獄の文字が・・12月24日、発表・・と、あり!!
・・・おおおおぉぉ・・・の世界です!

現状はiOSは6.1.3(10B329)で、使っています・・・

先人は、まず、iOS6.1.3 にしておいて・・・仮脱獄・・
ここから、始めなくては・・・さぁ、悪戦苦闘が、始まりました・・

なにせ、慌て者・・よく、読まない傾向がありまして・・・3回失敗・・・!
iPhone3GSも起動しなくなり・・・しかし、そこは熟練?・・えぃ!が多いのです・・

この辺の方法はどうしたか?・・よく覚えていません・・何回もトライしていると・・起動したのです!

2台のPCを開き、1台は先人のお知恵を・・表示させ・・1台は、iPhone3GSと手を繋ぎ・・・・
仮脱獄は、SnOwbreezeか、Redsn0wか・・・・・さぁ、どっち??
iPhone4の時、お世話になった、Redsn0w・・
あのパイナップルです・・・!

手順どうり、進んで、行きました・・・
先人、赤字で重要な点は・・と、書いていただいているのに、PCの縦幅が狭いので・・そのせいにして・・
スクロールもせず、よっしゃ・・と、始めて・・・失敗!

なんでや?・・と、自分のせいにせず・・・もう一回、同じ過ちを・・・
知ったかぶりばかり・・・ほどほど、情けない・・・・

で、再度、見ると・・・先人、赤字で重要な点はiOS6.1.3ではなく、iOS6.0のファームウェアを選択するのですと・・・

この関門?をくぐれば、後は、あのDFUモードへ、突入です・・・・
いや、なんででしょうね!・・軽く押さえればいいのに、DFUモードの時、力入れて、スリープボタン、ホームボタンを
押してしまうのは、私だけでしょうか・・・?

何度かタイミングのずれで、失敗して・・・無事、仮脱獄・・できました!

次は、教えのとうり、JustBootの実行・・・ここも、大事・・・iOS6.0のファームウェアを選択するのです
そして、又々、DFUモードへ突入です・・

仮は仮・・・今回のサンタクロースのプレゼント・・・完全脱獄!!

Cydiaから、p0sixspwnをインストールして、完全脱獄へ、移行するのです~よ!!

まぁ、以前色々トライして、失敗して、動かなくなり、お金だして、修復してもらい・・・
今度は、自分で、ミスって、脱獄できない状態にし・・・待つこと2ヶ月間・・・

いや、こんな備忘録記することさえ、恥ずかしいのですが・・・備忘録ですから・・・(^^;)

電源を切り、再起動させ、動作確認・・・OKです!
早速、最初の目的の「FakeClockUp」をインストール・・・いや、キビキビ動きます・・・
元来、PCのCPUをClockUpさせて、遊んでいましたから、iPhoneで、できると知るやいなや、早速、インストールです!
iPhone4、iPad2・・もち、インストールしています・・・まるで、「quad」CPUみたい・・
そりゃ、オーバーやろ!!・・・
そう、オーバークロックです・・・はい、だじゃれでした!

×3.3、×2.5・・・速い、しかし、WizMap+ドライブレコーダ・・・・動作しましたが、固まります?
これでは、ダメ・・・×2.0か、×1.6・・・で動作確認しました・・これで、OK! 
撮影録画を保存しても、スムーズに再生されているみたい・・・これは、いいですね!

そんなこんなで、丸一日を費やし、・・・見事、脱獄完了、牢獄からでました・・・万歳!!

2013年12月20日

遷都の地を訪ねて・・紫香楽宮です

京都市、滋賀県・・一泊二日の旅・・最終目的地・・紫香楽宮です
あの安土城跡を・・汗、ボタボタになりながら、友人と、おっさん二人で標高199mの安土山・・
180mの大手道、402段の石段・・登りました!

その、続きです・・・
昼食です・・・我が友人・・昼食後、実は、私と運転交代するのです!
なぜか・・一人、芋焼酎の水割り、飲みはります・・
私・・いつもの、ノンアルコールビール・・・うまい!!・・登山?の後のビール?最高です!
友人・・芋焼酎の水割り・・薄いと言って、ロックを注文・・・旨そうです・・
しかし、私は運転交代です・・・(^^;)
昼食も終わり、紫香楽宮の宮町資料館を「カーナビ君」に設定です!
さぁ、行きましょう・・うん!・・クラウン、運転、十数年、運転してません・・ホント!

ここで、「α君」との違い・・・クラウン、ノーマルなガソリン車、「α君」・・ハイブリッド車!
出だしのアクセル、開ける、踏み込み量・・トルクが違います・・!・・「α君」と同じような感覚で踏むと・・・
さすが、腐っても、クラウン・・・ドンッと・・走ります!!・・おお、ビックリ!

それからは、慣れるまで、法定速度で、「タラタラ」と・・・!
県道53号を・・・山道クネクネ・・と・・「カーナビ君」云われるままに、いや、助手席の友人の「左折や、右折や・の声で・・」・・私、運転中心・・・多分、友人、怖かったと思うよ・・芋焼酎飲んでるから、よかったけどね(笑)・・・・

★・・・・前置きが長くなりました、紫香楽宮跡です・・・・★

と、云っていたら、着きました・・「宮町遺跡 遺物展示室」・・えぇ!・・休み?・・プレハブ!です

帰って、調べると・・・
「宮町遺跡 遺物展示室・・前もって電話で予約」・・・そうなんや!
紫香楽宮跡・・全て、下調べが、甘かった・・反省!
仕方ないから・・持参した地図で・・ウロウロと・・ここで、「カーナビ君」・・表示サイズが25m、50m・・
そんなのでは近隣地図が表示されるわけがない・・・看板頼りに進むも、遺跡・・ありません・・・
で、助手席の友人・・・私のデジカメで、稲刈りが終わった田をパチリ、パチリ・・この辺やで・・と!
しかし、この、パチリ、パチリが見事的中する、凄いことに・・・
さすが、信楽・・焼き物の里・・道沿いに、狸の焼き物が・・・それも、パチリ、パチリ・・記念や!
でも、肝心な紫香楽宮・・ありません・・・再度、地図みて、こっち行ってみよう・・と!
そうしたら、「カーナビ君」の地図表示に出てきたではありませんか!・・紫香楽宮跡って・・おい!!

県道53号線・・その地図のとうり進むと・・・
はい!・・ありました・・史跡紫香楽宮跡・・

遷都を巡って、残るは、紫香楽宮跡だけでした・・・これで、平安京までの遷都の地は全て、訪れたことになります!

紫香楽宮・・・740年(天平12年)の藤原広嗣の乱ののち、聖武天皇は恭仁京に移り、恭仁京から甲賀郡紫香楽村に通じる 恭仁東北道が開通し、742年(天平14年)には近江国甲賀郡紫香楽村に離宮を造営してしばしば行幸したのである・・それが紫香楽宮なのです!

恭仁京の備忘録にも記しましたが、恭仁京は4年で造営が中止、しかし、聖武天皇は紫香楽宮で「大仏造顕の詔」を発し、甲賀寺の建設と大仏造りに着手します
さらに天平17(745)年正月元旦を、紫香楽宮にて迎えた聖武天皇は「新京」と証され、紫香楽宮は正式な都になったのです
しかし、都市をネットワークで結ぶという天皇の壮大な構想は過大な建設費や群発地震などの発生によって頓挫し、天平17年5月にふたたび、都は平城京に戻されます
幻の都と呼ばれていた紫香楽宮は短期間ではあったものの大仏建立など、「仏都」としての都市造りが始められた信楽の文化発祥の地なのです
平城京→恭仁京→難波宮→紫香楽宮→平城京と遷都していきましたが、僅かな期間ですが、都には間違いはありません

さぁ、散策です・・・小高い山を参道を登ると・・そこには、伽藍の後が・・、礎石が・・・・
最初の場所は・・中門(ちゅうもん)・・
完全に残った礎石からみて正面三間、奥行二間、おそらく二重の楼門と思われる
中門の東西から回廊が出、それぞれ北に折れ、金堂を取り巻いて経楼、鐘楼にとりついている

次は、金堂・・・
周囲より一段と高い基壇上に、1.5m前後の礎石をすえている
正面七間、奥行四間の建物・・内陣と思われる

講堂・・
金堂と並び重視される建物で、金堂と同規模の基壇上に建つ
正面七間、奥行四間の建物・・僧房に続いている

鐘楼・・・
金堂、講堂の東にあり、三間四面の礎石が完全に残っている
寺院としてなくてはならない堂宇である・・奈良時代の遺構としては数少ない遺例であり重要な資料であると・・

僧房・・・

塔院・・
塔は仏舎利を奉安する建物・・おそらく五重塔であろう・・
塔を囲んで、別区をつくっている

この遺構は紫香楽宮造営の一環として造られた寺院の遺跡であり、後に甲賀宮国分寺となったと推定されている甲可寺の遺構とみられ、東大寺に先立つ寺院の遺跡として貴重である
礎石図、復元図にあるように、この遺跡は全ての伽藍が礎石が残っているようです
他の遷都の地の遺構には、残っていない?埋め戻されて?無かったこと記憶しています・・
ここは、山の中?・・・それも幸いして開発されていないのかもね・・・!

と、いうことは・・・やはり、先ほどの宮町地域が・・紫香楽宮跡・・・
史跡紫香楽宮跡と、宮町遺跡からみて、紫香楽宮が大規模な造営であり、ここに都があったと解明されています

一番最初に伺った、「宮町遺跡 遺物展示室」・・が、中心位置に近いところなのです・・
しかし、車で農道を左右に走りまわりましたが、遺跡らしいものはありませんでした・・
前述しています、友人の畑の写真・・・これが!!・・新発見です・・

帰宅して、ググっていました・・そして、なんの気なしに・・紫香楽宮跡の公式サイトがあり・・・
なんと、宮町遺跡第40次調査発掘が終了しました。現地説明会資料が下記からダウンロードできますと・・・
早速、ダウンロード・・2012年/平成24年 宮町遺跡 第40次発掘調査 現地説明会が2012年1月22日、そして、宮町遺跡 第40次発掘調査 記者発表資料 2012年1月16日を、発見・・・この資料から、宮町地区集会施設・・付近と・・判断・・しました!

そして、なんということでしょうか!・・恐れいりました・・googleストリートビュー様!

失礼ですが、信楽の田の農道まで、googleストリートビューがあるとは・・・撮影時期2012年12月とあります・・
で、宮町地区集会施設に「ストリートビュー君」に立ってもらうと・・・・おおおぉ・・田の中に・・白い箱らしき物(プランタン)が、整然と並んでいるではありませんか!

写真:googleストリートビュー引用
「ストリートビュー君」に角度を変え、場所を変え・・見せてもらいました・・・その位置が、ダウンロードした、現地説明会資料にある宮町遺構遺跡配置図に示されている遺構と同じなのです・・・
この白いプランタンの位置が、遺構の場所なんです・・・と、云うことは、現地説明会が開催されたことを知って、googleストリートビューが撮影?・・そんな馬鹿な?・・説明会は2012年1月、撮影2012年12月・・
ほんと、いいタイミングで撮影されています・・・うん!! 永久に残してほしいね!
本当は、宮町遺構遺跡配置図載せたかったのですが・・著作権がね!
遺構は、埋め戻され、又、水田、田に・・・でも、田、耕すのに、メチャ気を遣うやろね・・・

いや、友人の撮った写真が、googleストリートビュー様が撮した写真が・・・これこそ、紫香楽宮跡、宮町遺跡なのです!
早速、友人にメールで知らせると・・「古代人の気配を感じたと!」・・なんということでしょう?・・感謝です!

史跡紫香楽宮跡と、宮町遺跡と広大な紫香楽宮跡・・・これで、目的は達しました・・・
友人と巡る、滋賀県の旅・・おっさん二人、珍道中・・お付き合いいただき、本当にありがとうございました!
又、古寺名刹を・・一緒に廻りましょう・・・嫌がられる・・かもね!!

はい、「α君」の待つ、京都市山科区の友人宅へ・・・今度は名神、京都東ICから帰ります!

一泊二日の旅・・・色んな意味で、充実した、そして、気の許せる友との旅もまた、いいものです・・・はい!

2013年12月19日

安土城跡・・・滋賀県近江八幡市です!

京都市、滋賀県の一泊二日の旅!
いよいよ、この旅の目的・・本番の日です・・・・

いつもなら、「嫁」と、なんですが、どうしたことか、山科の友人、おっさん二人で、散策なんです!
昨夜から、すっかり、お世話になっております・・そして、無理矢理・・引き回しですm(_ _)m

もう一つ、「α君」は、友人宅で、休憩・・・・なぜか?喫煙されるのです・・ご友人は!
勿論、「α君」は禁煙・・・・ですから、友人の車で・・参ります!

名神で・・竜王ICで、降り・・・そう、友人の車、クラウン・・その「カーナビ君」・・やはり、純正Panasonic!
「α君」の「カーナビ君」と表示など違うが、操作は同じようです!・・
しかし、友人の「カーナビ君」・・画面、消えています・・「なんで?」の質問に「要らんやろ」って・・なんと、いう返事!
でも、安土城跡にはさすが、「カーナビ君」・・ON・・・!ルート設定です!

「カーナビ君」の云われるまま、進みます・・・おっさん、二人して、どの山やろ、あの山かなぁ・・って!
私・・・久しぶりなんです、助手席に座っての、ドライブ・・・なかなか、ええもんやね!

暫く走ると、安土城跡の案内板が・・・それに向かって走ります・・
あれや!・・おい、「P」・・有料や!・この先には「P」ありませんって・・・
ええぇ!・・有料・・?500円!・・こんなとこで・・?
あとで調べると、安土町が管理しているのです・・ね!
既に6台の車が・・停まっています・・・

この場所、発掘で、大手門広場?みたいです
やっと、念願の安土城跡です・・・
標高199m・・この安土山の一帯にある、織田信長の居城・・そう、安土城!!
歴史上に名を残す名城跡なのです!

この特別史跡安土城跡は、そのほとんどが摠見寺所有地内にあります・・
知りませんでした・・お寺の所有か!・・大変なものを所有してはりますね・・!!

二人して、済ませる物は済ませ・・・登りましょう・・天主・・目指して・・
入山料・・500円を払い、・・受付のおばさん・・「階段、402段で急な坂道、杖をお使い下さい」・・って、ご親切に!
前回、金毘羅さんにて、杖・・使いました・・なかなかなので、拝借します・・

受付の場所から、まっすぐ延びる・・石段の坂路・・・大手道と云われる急坂・・・なんと、180m・・・
さぁ、登りましょうか・・大丈夫かなぁ・・友人!・・「大丈夫や!」と・・・
この大手道の両側に武将の屋敷跡が左右にあります・・・
まず、すぐ、右側、伝前田利家邸跡・・その反対側、左手に伝羽柴秀吉邸跡、進み、右手に伝徳川家康邸跡・・
今は、伝徳川家康邸跡は摠見寺仮本堂です

大手道・・何カ所か、石段に使われている、石仏が・・・そして、その前に説明が・・・
この石仏は築城の際に大手道の石材として使われた物です・・出土した石仏等は本来信仰の対象となっていたもの・・築城の経緯を示すため、発見当時の状態で保存しています・・と、あります
大手道は幅、約6mぐらい・・そして、両側に1mぐらいの石敷側溝があります・・凄い!

この石段、一つ一つの高さが高い、そして、次の段まで、長い・・登り辛い・・です!
だから、ブロックが置いてあったり、別の石を置いてあったり・・・してます

修復時のセメントが石に直角ではなく、円弧を描いて盛っているので、降ろす足位置が遠くになる・・
左手に武井夕庵邸跡・・あります!・・・
そろそろ、大手道も・・左へ、西方面?に曲がっています・・横道といわれるものか・・・?

私・・登りながら、いつものように、パチリ、パチリと・・・
ふと、友人を見ると、頭下げうつむき加減で、登っています!
大丈夫か?・・と、いうと、手を上げ、「先に行け・・」と、いう仕草・・言葉出ないのか・・?
・・出せないのやな!
そして、その先はジグザクに急勾配の坂路・・これは、七曲がり状部分か・・・・
木々の間から見える景色は・・すばらしいが・・
開けたところへ、出ました・・・結構、はぁはぁ・・と、云っています・・
天主へとの看板を・・・安土城は、天守ではなく、天主と表示されています
天主へ・・まだまだ続く、石段・・・
織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡が左手に・・・その先の登ったところの黒金門です・・本丸・天主への正門であります

野面積みの石垣が現れました・・・いかにも「野面積み」って感じですね・・
NHK歴史秘話ヒストリアでは、放送がありました
この野面積み・・4層に、別けて積み上げ工事をしたように判断できるとのことです!

写真左は放送と同じ石垣・・・!

放送・・覚えていましたよ・・・!
その先に「仏足石」・・室町時代後期・・・・
これも、石仏と同じように石材として使われ、登山整備の際、崩れた石垣の中より、発見されたとのこと・・中世の数少ない、貴重な遺物とのことです

石なら、何でもかんでも、石材としてを集めさせたようでね・・信長様!

二の丸跡に織田信長公本廟があります
豊臣秀吉が太刀、烏帽子、直垂など遺品を埋葬して本廟としたとのこと・・・確か、「切り込みはぎ式」石組みが時代を表しますね・・
写真右下:天主閣より、 織田信長公本廟を・・・

いよいよ本丸跡へ・・・・
この石垣の左手に、この石垣の側に建物跡が発掘され、柱が燃えたのか、炭化しており、ここに建物があったと考えられています
そして、燃えた証拠として、石垣の表面が焼けたことで、表面が変化みられるとのことで、なにか、バルコニーみたいな建物があったと・・それは謁見用のお立ち台みたいと、考えられていると・・・NHK歴史秘話ヒストリアで解説がありました・・これ、新説・・と!

本丸跡です・・・天主から少し降りたところにある、本丸御殿跡・・天皇を招き入れる「御幸の間」があったとされている
友人・・・いません・・私がウロウロ写真を撮っているうちに、天主へ上がり、休憩中みたい・・・

いよいよ、天主閣跡です・・・
おおぉ・・TVでよく見る、天主閣跡・・この礎石部分は地下一階とのこと・・この天主台は八角形!・・
NHK歴史秘話ヒストリアでは、廊下の幅を変えることで、部屋の配置を変えて作ったのではとの新説が放送されていました!
その番組を見ていましたので、「うん!・・なるほど」と感心しながら、天主閣跡を眺めていました

友人が休憩?している場所からみた北西方面?の景色・・・
そう、天主閣、石垣の上から・・
右には伊吹山・・雪かぶっています・・
その左は琵琶湖・・
広大に広がる田園風景・・・・

信長が見た景色と同じやなぁ・・・絶景じゃ!
さぁ、・・信長の気持ちにもなりました・・降りましょうか!
天主石垣は高さ11mはあったと、野面積みの限界は3mぐらいと、・・如何に当時の職人さんたちが知恵を出して造ったかですね!・・NHK歴史秘話ヒストリア

上から見た、黒金門あたりです・・・(写真右下)
次は、現存する、摠見寺、三重の塔へ・・・
三間三重の塔で屋根は瓦葺き、室町時代の建物で、棟柱に、享徳三年(1454)建立とある、・・・重要文化財

ここは摠見寺本堂跡があり、その石段の下には、二王門(楼門)があります・・重要文化財
しかし、石段、崩れており、ロープが張ってあり、通行止めに・・
しかし、三人ほど、降りていきました・・・
本来は此処を降りて帰路の順路・・しかし、私達は元へもどります・・・

降りる、大手道・・まぁ、降りづらいこと・・・
登る時も、そう大変とは思わなかったのだが・・
実際、降りてみると、大変、降りづらい・・です!

見て・・友人の慎重な姿・・・あぁあ・・・!
降りていく折に左右のそれぞれ武将の館跡を・・パチリです・・・!
伝徳川家康邸跡は摠見寺仮本堂です・・・なかなか、良い感じの写真です・・・
伝羽柴秀吉邸主殿跡
伝前田利家邸跡
上下三段の郭で構成されている・・・

おっと、友人・・もう、出口近くに・・行っています・・降りるのは早いね!
いや、大手道、天主閣・・・堪能しました・・
信長の安土城・・・いや、なかなかです・・TVで放映を録画しているので、もう一度みてみよっと!
受付のおばさんに階段数確認したおり、「いい汗かきましたね!」と・・汗、ボタボタです・・!
友人、汗かいているのかなぁ・・?

さぁ、昼食へ参りましょう・・・次なる目的地、そう、遷都を巡る・・紫香楽宮跡へ・・Let's Go!