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2020年12月4日

大名庭園「仙厳園」と近代化の拠点「集成館」・・・鹿児島の旅日記

鹿児島と云えば、大名庭園「仙厳園」と近代化の拠点「集成館」です

世界文化遺産 「明治日本の産業革命遺産」
2015年7月「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に
登録されました。鹿児島の構成資産「旧集成館」は、仙巌園や尚古集成館一帯を含むエリアです。ここでは、島津家28代斉彬が他に先駆けて近代化・工業化に取り組み、日本最初の洋式工場群「集成館」を設置しました。斉彬亡き後も、彼の志を受け継ぐ人々が集成館を舞台に強く豊かな国づくりを目指します。そして、彼らが培った技術が、近代日本の中核となり、工業国・技術大国の原点となりました。
現荏、この地は「日本の近代化・工業化発祥の地」として世界から注目されています。
・・・配布パンフより引用


大名庭園「仙厳園」の魅力

仙厳園は第19代島津光久によって万治元年(1658)に造られました
歴代当主の別邸として機能し、雄大な桜島を借景とする庭園や錫門、御殿、望嶽楼などが大名家の暮らしを今に伝えられています

仙厳園は薩摩藩主の別邸です
風光明媚な大名庭園で知られるこの地は、集成館事業の舞台でもあります
東シナ海を介して海外と交流のあった薩摩は、諸外国の動きを常に意識していました
19世紀になると西洋諸国がこぞってアジアに進出
第28代島津斉彬は軍備を近代化し、産業を興して国力を高めようと集成館事業に着手
海に臨むこの地は原材料や資材の運搬に便利でした
また関吉からもたらされた水は工業用水として活用されました


反射炉跡
鉄製大砲の鋳造のため、28代斉彬が築いた施設の跡です
斉彬たちは実物を見ず、オランダの書物を参考に苦心して建設
かつてはおよそ20mの高さの建物がそびえており、洋式工場群「集成館」の中核でした




正門
明治28年(1895)29代忠義が建てさせた正門です
建材は樟が使用されています
門の上部中ほどに島津家の家紋・丸十字があります
その左右には同じく島津家の家紋である桐紋が彫られています

この日は、菊花展でした






錫門
この門は屋根を錫で葺いていることからその名があります。錫は薩摩の特産品です。
江戸時代は、藩主とその世子(長男)だけが通ることを許された正門でした。


NHK大河ドラマ「西郷どん」撮影地

御殿前・・・御殿内部は、別ページで作成します

望嶽楼
江戸時代初期、琉球国王から薩摩藩に贈られたと伝わるものです
床に敷かれた碑とよばれる273枚の敷き瓦は、中国秦時代(紀元前3世紀)の阿房宮のものを写したといわれ、内部に掲げられた扁額は中国東?時代(4世紀)の書家、王義之の書を模したものと伝えられています
安政五年(1858)に勝海舟も異国情諸あふれる建物で、島津斉彬と対面しました

NHK大河ドラマ「西郷どん」撮影地


NHK大河ドラマ「西郷どん」撮影地

石階段

曲水の庭

この庭園の「桜島ビューポイント」


NHK大河ドラマ「西郷どん」の放映では、島津斉彬と西郷吉之助が相撲をとるシーンが
そして、望嶽楼には、篤姫が座って観戦していた・・・と、思うのです

鶴灯籠
安政四年(1857)、28代斉彬は鶴灯籠を用いてガス灯の実験を行いました。
この後、城下町をガス灯で灯す計画を立てますが、志半ばで急死。
豊かな国づくりを目指した斉彬の象徴となるものです。


正門の門番です

尚古集成館本館

近代化の拠点「集成館」
幕末の嘉永四年(1851)に始まった集成館事業は国を守り産業を発展させ、日本を強く豊かな国にするためのものでした 


現在、島津家800年の歴史や文化を紹介する博物館・尚古集成館本館として使用されている建物は、慶応元年(1865)に竣工した、現存する日本最古の石造り洋式機械工場「旧集成館機械工場」です

内部は、撮影禁止でした・・・

御殿へ参りましょう・・・









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