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2020年12月6日

鶴丸城 御楼門・・・鹿児島旅日記

鹿児島旅日記、最終です
最終にふさわしい場所、鶴丸城 御楼門
2020年3月 147年ぶりに復元されました

西南戦争の痕跡とは思えば辛いですが、城址と思えば・・・イイ感じです


鹿児島(鶴丸)城は、慶長六年(1601年)頃、のちに初代藩主となる島津家第18代当主家久が建設に着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城です
居館の正面中央の御楼門は鶴丸城のシンボル的な存在でしたが、明治6年(1873年)の火災で焼失、約150年の時空を超え、高さ・幅約20mを誇る国内最大の城門が今年3月に完成


小学生の遠足? 一緒に入りましょう・・・

木造2階建て、高さ:約20m 幅:約20m 主柱(鏡柱):約90cm×70cm


手斧を用いた手加工による伝統技術によって、美しい魚の鱗のような模様に仕上げられています
ケヤキ3本を継いだ1本の冠木、断面約76cm×88cm 長さ8mあります


門をはいると、その枡形の石垣には・・・

西南戦争の痕跡

これでだけの弾痕数、無作為に撃ち込む猛攻撃だったのでしょう

くぼみには、銃弾や砲弾の破片が食い込んでいます



黎明館側から・・・



鹿児島県歴史資料センター「黎明館」

検温して、入場です


西南戦争の銃弾跡

私学校

国の登録有形文化財、鹿児島市中央公民館
大正13年1月の皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚の記念事業として大正15年8月に起工、昭和2年10月に完成し「鹿児島市公会堂」として発足
公会堂建築として最初である1918年竣工の大阪市中央公会堂の9年後の開館であるが、東京市公会堂(現日比谷公会堂)よりも2年、名古屋市公会堂よりも3年早い・・・Wikipediaより


鹿児島の旅の最後の一枚は・・・西郷隆盛銅像

身長5.257m 
西郷隆盛銅像は、鹿児島市出身の彫刻家安藤照により昭和12年(1937)に建てられました


Gotoトラベルを利用した、二泊三日の鹿児島県の旅
嫁にとって、人生二度目の新幹線・・・どこでもドア切符で、新幹線で往復
TOYOTAレンタカーで、霧島から大隅半島、雄川の滝、桜島、桜島フェリーで薩摩半島に渡り、長崎鼻、開聞岳、そして「仙厳園」を巡りました

Gotoトラベルを利用しての旅行は、宿は満杯・・・
そして、観光地の人の数は、コロナ禍など、どこ吹く風か・・・そんな状態でした
帰宅後、コロナの感染が増えて、今後はGotoトラベルは難しいことになるようです

そんなこんなで、大隅半島、薩摩半島をめぐった走行距離は・・・416.4km
よき旅でした!!

お伴は、TOYOTA ルーミー
運転のしやすい、ほぼほぼ、機敏に走るなかなか良き車でした
・・・写真がこれしかパチリしていなかったのです・・・








2020年12月5日

仙厳園内、磯御殿を拝見します・・・鹿児島の旅日記

仙厳園内の御殿、いわゆる磯御殿を拝見いたします
「NHK大河ドラマ西郷どん」で、いろんなシーンがありました
撮影は、平成27年(2017)に、10日間行われたとあります

配布案内書


錫門から入ります
この門は屋根を錫で葺いていることからその名があります
錫は薩摩の特産品です
江戸時代は、藩主とその世子(長男)だけが通ることを許された正門


御殿入口、玄関です

御殿案内と、29代忠義の家系図

仙巌園の御殿は万治元年(1658)、島津家19代光久によって建てられ、数百年の歴史の中で、建て直しや増改築が行われました
島津家歴代がこよなく愛し、幕末以降は国内外の賓客をおもてなしするための施設としても用いられました
29代忠義は、仙巌園を本邸と定め、御座の間などを改築
30代忠垂が跡を継ぐと、住まいを東京に移したため、邸宅は縮小されましたが、鹿児島に帰ってきた時の邸宅として維持・管理されました
和の趣の中にたたずむ風水を取り入れた作庭や西洋風の調度品を通して、公爵島津家の暮らしぶりを今に伝えています


鳳印の問(玄関の問)
島津家の世継ぎの部屋
床の間の甲宵はニコライ2世が仙巌園を訪れた際、島津家30代忠垂が着装していた複製品
大正時代に改築され、玄関になりました


謁見の間
賓客と面会するために用いた部屋
丸十紋が施されたシャンデリアに灯されたこの部屋は、明治17年(1884)に改築されました


謁見の間、ランプと欄間
・・・残念ながら、丸十紋は写っていません

寝所の欄間



風呂


御小座(化粧の間)の天井
御小座(化粧の間)は、29代忠義の着替えの間、天井は、矢羽根状になっており立体感や奥行きを出している


御小座(披露の間)

手水鉢

手水鉢

御居間の座敷机


神馬

島津家歴代を祀っていた祖霊社の跡には、園内の神社に奉納されていた神馬




この建物には、日本建築にみられる伝統的な装飾品である釘隠しが11種あります
その内の5種を・・・







釘隠し




薩摩焼蓋付壷
ニコライ2世がロシア皇帝に即位した際、島津家が贈った複製品です




        中庭
池中には八角形のくぼみがあります
また「化粧の間」の前庭にも八角形の出っ張りがあります
この二つの八角形は風水の影響を受けており、陰と陽を表しているという説があります



御殿外観

御居間



謁見の間付近から観る庭、望嶽楼越しの桜島
仙厳園、御殿・・・素晴らしい庭園、御殿です
じつは、二度目なのです
高校生の折の修学旅行で、訪れましたが、今日のようにじっくり見学していません
まぁ、それが普通かも・・・


追記:29代忠義からの家系図を眺めて・・・
婦人二人、側室二人、子供十三人・・・凄いの一言です
この家系図を見ていると天皇家は、島津の血が流れているのがよくわかりました










2020年12月4日

大名庭園「仙厳園」と近代化の拠点「集成館」・・・鹿児島の旅日記

鹿児島と云えば、大名庭園「仙厳園」と近代化の拠点「集成館」です

世界文化遺産 「明治日本の産業革命遺産」
2015年7月「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に
登録されました。鹿児島の構成資産「旧集成館」は、仙巌園や尚古集成館一帯を含むエリアです。ここでは、島津家28代斉彬が他に先駆けて近代化・工業化に取り組み、日本最初の洋式工場群「集成館」を設置しました。斉彬亡き後も、彼の志を受け継ぐ人々が集成館を舞台に強く豊かな国づくりを目指します。そして、彼らが培った技術が、近代日本の中核となり、工業国・技術大国の原点となりました。
現荏、この地は「日本の近代化・工業化発祥の地」として世界から注目されています。
・・・配布パンフより引用


大名庭園「仙厳園」の魅力

仙厳園は第19代島津光久によって万治元年(1658)に造られました
歴代当主の別邸として機能し、雄大な桜島を借景とする庭園や錫門、御殿、望嶽楼などが大名家の暮らしを今に伝えられています

仙厳園は薩摩藩主の別邸です
風光明媚な大名庭園で知られるこの地は、集成館事業の舞台でもあります
東シナ海を介して海外と交流のあった薩摩は、諸外国の動きを常に意識していました
19世紀になると西洋諸国がこぞってアジアに進出
第28代島津斉彬は軍備を近代化し、産業を興して国力を高めようと集成館事業に着手
海に臨むこの地は原材料や資材の運搬に便利でした
また関吉からもたらされた水は工業用水として活用されました


反射炉跡
鉄製大砲の鋳造のため、28代斉彬が築いた施設の跡です
斉彬たちは実物を見ず、オランダの書物を参考に苦心して建設
かつてはおよそ20mの高さの建物がそびえており、洋式工場群「集成館」の中核でした




正門
明治28年(1895)29代忠義が建てさせた正門です
建材は樟が使用されています
門の上部中ほどに島津家の家紋・丸十字があります
その左右には同じく島津家の家紋である桐紋が彫られています

この日は、菊花展でした






錫門
この門は屋根を錫で葺いていることからその名があります。錫は薩摩の特産品です。
江戸時代は、藩主とその世子(長男)だけが通ることを許された正門でした。


NHK大河ドラマ「西郷どん」撮影地

御殿前・・・御殿内部は、別ページで作成します

望嶽楼
江戸時代初期、琉球国王から薩摩藩に贈られたと伝わるものです
床に敷かれた碑とよばれる273枚の敷き瓦は、中国秦時代(紀元前3世紀)の阿房宮のものを写したといわれ、内部に掲げられた扁額は中国東?時代(4世紀)の書家、王義之の書を模したものと伝えられています
安政五年(1858)に勝海舟も異国情諸あふれる建物で、島津斉彬と対面しました

NHK大河ドラマ「西郷どん」撮影地


NHK大河ドラマ「西郷どん」撮影地

石階段

曲水の庭

この庭園の「桜島ビューポイント」


NHK大河ドラマ「西郷どん」の放映では、島津斉彬と西郷吉之助が相撲をとるシーンが
そして、望嶽楼には、篤姫が座って観戦していた・・・と、思うのです

鶴灯籠
安政四年(1857)、28代斉彬は鶴灯籠を用いてガス灯の実験を行いました。
この後、城下町をガス灯で灯す計画を立てますが、志半ばで急死。
豊かな国づくりを目指した斉彬の象徴となるものです。


正門の門番です

尚古集成館本館

近代化の拠点「集成館」
幕末の嘉永四年(1851)に始まった集成館事業は国を守り産業を発展させ、日本を強く豊かな国にするためのものでした 


現在、島津家800年の歴史や文化を紹介する博物館・尚古集成館本館として使用されている建物は、慶応元年(1865)に竣工した、現存する日本最古の石造り洋式機械工場「旧集成館機械工場」です

内部は、撮影禁止でした・・・

御殿へ参りましょう・・・