鉱山住宅、志村喬記念館を拝見?いたしました・・・
次は、寺町通りを歩こうと・・・鉱山住宅の前の本行寺を訪れます・・・
本行寺の山門をくぐり、本堂の前に立ち・・・うん?・・これは!・・・そう、中井権次の足跡があるお寺でした!! ・・わぉ・・・ビックリです!
この付近の情報を調べてこなかったので・・・では、本行寺は、別途後日、備忘録は記しましょう・・(*^_^*)
、桑田家住宅・・・国登録文化財
江戸時代後期に建築された旧地役人邸宅 中二階で煙出しをもつ母屋は大きな門や周囲を取り囲む白い漆喰土塀とともに重厚な雰囲気があり、土塀には江戸時代の「カラミ石」がつなぎに使われています・・・中略・・ 土塀の生野瓦は江戸時代のもので、母屋、蔵などは甲社宅と同じ新しい瓦です・・・ ・・・案内板より引用 |
桑田家は、屋号を「玉屋」と称し、金融、買吹、山林業、薬の販売業を生業とし、八代目松五郎は地元有志と生野信用組合うを設立、その後現在の但陽信用金庫へ引継ぎ、今日に至ると・・・
そうか、それで、この街には、但陽信用金庫の関係の・・そりゃ立派な建物があるのか・・・
そして、生野街道沿いに 但陽信用金庫職員専用ゴルフ場を発見しました・・・いや、すごいすね!
旧生野警察署・・・朝来市指定文化財
この建物は、明治十九年(1886年)八月生野警察署として建てられました
明治初年の建築様式が残された建造物です
また、正面から見上げる煉瓦には警察紋章が、その下に元の町章も残されており当時が忍ばれます・・・ 現在は一区公民館として利用されています・・・案内板より引用 ・・・ |
今井家・・国登録文化財
明治時代中期に建築された大山師邸宅の別荘
大阪出格子に区切られた西面の板張り、白漆喰塗りの壁の落ち着いた伝統的な佇まいと、一種独特な雅な風格と品格を備える風貌です・・と・・・案内板より引用
今井家は但陽会館、但陽美術館などに取り囲まれていますね・・・中央の民家が今井家!(ちょっと写真が小さかったかなぁ!)
生野書院・・・材木商の邸宅を改修した郷土資料館・・・ちと、時間の関係で、前を素通りです・・
この北側にも大きな観光者用「P」があります!・・もちろん、無料です!
松本邸・・・国登録文化財
旧松一醤油店邸宅として明治時代後期に右側の建物が、大正時代に左側が建築されました。 右側の古い建物には、袖壁があり、その下に大阪出格子、内側に飾り石を置き、左側にの大正期の建物には、洋風建築に見られる軒蛇腹が施されています・・・・・・案内板より引用 |
いよいよ、トロッコ道を歩きます・・・
ここまで、上からしか、見ることしかできなかったのですが、絶対トロッコ道を歩けると・・探しました!
この民家の路地を入ったところが市川沿い、そう、トロッコ道です・・・(*^_^*)
昭和三十年(1955年)飾摩港までのトラック輸送が始まるとトロッコ道のレールは撤去され貨物支庫も廃止となりました・・・・案内板より引用
写真下・・・このトロッコ道の行く先の一軒の民家の庭の木、草がが生い茂り、通行不可・・
これが無ければ・・ずっ~と、市川沿いに歩けるのに・・・残念ですね!
佐藤家住宅別邸・・・国登録文化財
江戸時代に郷宿として掛屋を兼務した建物で、住宅建築としては珍しい重厚な土蔵造りです 外観は開口部以外は漆喰で塗られている玄関や二階の窓、屋根にある越後屋根など多くのデザイン要素が建物右側にまとまって配置されています 一階壁面は腰高付近まで焼き杉張りで、全面には大阪出格子が設けられ飾り石が置かれています・・・案内板より引用 |
きれいに修復されていますね・・・国道429号、生野支所もあるメイン通りです・・
生野の汚水マンフォール・・・
デザインは・・・ ・・町の木ドウダンツツジ ・・生野銀山の金香瀬坑口 ・・町の花リンドウ ・・魚ヶ滝 ・・・という、デザインとのこと! |
これで、口銀谷町並みは、主たる部分はぶらり拝見しました・・・そして、トロッコ道もその道を歩きました・・
他にも、生野駅近辺に国登録文化財の建造物が数カ所ありますが・・・今回は、これまで・・・(*^_^*)
追加として、ここまで来たのだから、生野銀山の入り口まで、走ってみます・・・
写真下、銀山入り口です・・・「P」よりパチリです・・・誰もいません・・そりゃそうでしょう、もう、17時前ですから・・・閉場やね!
・・・また、来ましょう・・・
予定外の朝来市生野、口銀谷町でした・・・「P」、トイレなど、よく整備され、ゆったり町を散策を楽しめました・・・そう、観光客が少なかったのです・・・
次回は、今回、入っていない資料館、まだ訪れていない国登録文化財建造物など、拝見したいと思います・・・(*^_^*)
訪問日:9月11日
0 件のコメント:
コメントを投稿