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2023年4月8日

天満神社・・丹波篠山市上板井字平城ノ坪345-1

丹波篠山市上板井字平城ノ坪、天満神社です
この神社は、天文二年(1445)創立という歴史があり、そして奇祭といってもいいといわれている脈々と受け継がれている風習があるという

農道に「α君」を停め、ぶらぶら景色を眺めながら、前の山へ向かいます


白壁が、そして巨木が見えてきました

珍しいですね・・・漆喰、瓦の土塀です



      文字が刻まれているが、?永と読めそうだが・・・



由緒
文安2年(1445)創立。天正11年(1583)、社殿再建。当時、岩崎天満大自在天神と称す。
篠山城主松平家より神領寄進あり。自家の息災延命武運長久を祈り、元禄13年(1700)より14年にわたり社殿再建。
明治5年(1872)、社殿再建。


主祭神:菅原道真

彫刻を拝見しましょう

木鼻・持送り

木鼻・持送り


右、脇障子

左、脇障子

手挟み

持送り

蟇股が外れている

石灯籠

手前:明和三(1766)

文化十三(1816)

狛犬

古そうですね

境内社・・・岩壁が続いています

鳥居越しに、宮田川桜並木が見えます

樫の木の前の道を奥に行くと、板井城跡へといくようである

       町木・・・樫の木

ここ樫の木の根元に・・・

この木札は、なんなのでしょうか?

調べてみました
丹波新聞2020年12月の記事を発見・・・一部、引用します

大晦日、正月が近づき、普段なら日本人が最も神社に足を運ぶ時期になる。兵庫県丹波篠山市上板井の天満神社では元日に行われる神事の中で、ふしぎな「モノ」が登場する。木の板に過去と現在の男女を描き、境内や御神木の下に置くというユニークなもの。地元住民は、「意味は分からへんけれど、ずっと続いている」。研究者でさえ、「いわれは不明。ある意味『奇祭』」という謎っぷりだ。意味は分からないまま、脈々と受け継がれている風習。

2組の男女が描かれた板。1組は現代風の洋装で、もう1組は江戸時代風の着物。男性はちょんまげに裃、女性はまげを結っている。

「その名はネムリ神」

過去と現在の男女計4枚が1組となり、御神木2カ所と本殿の裏の計3カ所に置かれていた。
この板は地元で「ネムリ神」と呼ばれており、毎年、元日に行われる神事「シシオイ」で使われる。ネムリ神はその年度の宮当番によって毎年、元日に新しいものに更新されるという。既製品の板を使わず、ヒノキの丸太を割って板にするなど、こだわりがある。

いやいや、不思議な神事があるものですね


そして、地図を見ていると、この山は、板井城跡
そして、南側には上板井の道標があります
その写真をみると、伊能忠敬篠山測量の道の石標がありました

残念・・・下調べが甘かったですね


念のために、板井城も調べてみた
・板井城は山名氏清の家臣である丹波守護代・小林左近将監の居城として知られています。1391年(明徳2年)に起きた「明徳の乱」で氏清が敗れると、丹波守護に細川頼元が、守護代には小笠原備後守成明がつきました。のちに足利義満から山名氏はこの地に復帰を許されると、以後60年にわたって山名氏が支配しました。戦国時代には山名小太郎が城主でしたが、明智光秀の丹波攻めにより1578年(天正6年)に落城したと伝えられています。現在城址には天満神社があり、土塁の遺構を確認することができます

うん? 土塁の遺構、あったかなぁ?

久しぶりの神社探訪・・・
調べの甘さで、見逃したところが多く、残念ですが、またまた走ろう、動こうという心がメラメラと燃えてきております











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