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2019年6月6日

明日香の地を巡っています・・・飛鳥寺です

飛鳥寺・・・ 奈良県高市郡明日香村飛鳥10

前回訪れたのが、2013年10月12日・・・
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2013/10/blog-post_8383.html

どこか懐かしさを感じさせる雰囲気です




飛鳥寺


「日本書紀」によれば、崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子は法興寺を建立することを計画、同五年には仏堂(金堂)・歩廊(回廊)が完成、推古天皇元年(593)には塔を起工し、同四年には一応の建物が完成した。同十三年には丈六仏像を造り、翌十四年に安置したとある。
日本最古の本格的な寺院で、その造営に際して多くの博士・工人が朝鮮半島から渡来してあたったことが記されている。
大化改新や天皇の病気平癒など飛鳥時代を通じて飛鳥における中心的な役割を果たしたが、建久七年(1196)に消す失し、現在に至る。
法興寺・元興寺とも称され、現在は止利仏師の作と伝える重要文化財の金銅丈六仏が残る。
昭和31年から継続的な発掘調査の結果、塔を中心に三方に金堂を置き、北側に講堂、南側に中門・南門の跡があることが判明した。
寺域は南北290m、東西200~250mの規模をもち、飛鳥では大官大寺とともの、最大規模の寺院であった





飛鳥大仏標石

江戸時代の寛政四年(1792)飛鳥寺参拝の道しるべとして彫刻された優秀な文字で台石は飛鳥寺創建時(588~1400年前)の礎石を用いてる


本堂

飛鳥寺は第32代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第33代推古天皇4年(596)に創建された日本最初の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。
近年(昭和31年)の発掘調査により、創建時の寺は塔を中心に東西と北にそれぞれ金堂を配する日本最初の本格的寺院で、その外側に回廊をめぐらし更に講堂を含む壮大な伽藍であった。
本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は推古天皇十七年(609)天皇が詔して鞍作鳥(止利仏師)に造らせた日本最古の仏像である。
旧伽藍は仁和三年(887)と建久七年(1196)の火災によって焼失し、室町以降は荒廃したが、寛永九年(1632)と文政九年(1826)に再建され今日に至っている。
現在、真言宗豊山派に属し、新西国第9番、聖徳太子第11番の霊場である


飛鳥寺は、ご本尊、写真撮影は可能なのです
じっくり撮影させていただきました

本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)銅像 重要文化財

推古天皇十三年(605)、天皇が聖徳太子や蘇我馬子及び各皇子と誓いを立てて発願し、同十七年(609)鞍作鳥(止利仏師)によって造られた日本最古の仏像である。
高さは約3メートルで当時銅15トン、黄金30キログラムを用いて造られた。
平安・鎌倉時代の大火災で全身り躍災、後補を受ける。
しかし概形には飛鳥彫刻らしい形をとどめ、細部にもかなりはっきりした飛鳥の特色を伝えている。

右側からお顔を・・・

左からお顔を・・・


    阿弥陀如来座像(木像、藤原時代)
    ・・・堂々とした量感、写実的表現は藤原の特色をよく伝えている・・・


    聖徳太子孝養像(木像、室町時代)
    ・・・太子十六歳のとき、父用明天皇のご病気回復を祈願されている姿である・・・



本堂、裏のお庭に・・・
・・・右:道標、左、宝篋印塔・・・室町時代


    飛鳥寺形石燈籠(南北朝時代)
   「日本の燈籠」に選ばれている極めて清楚な形で、完全に保存されている。
    裏面に「梵字?飛鳥寺」の刻名あると・・・


境内

飛鳥寺西門跡へ



         蘇我入鹿の首塚・・・伝! 


日本最古の飛鳥大仏・・・また、拝顔できました
そして、見る角度で、表情が異なります
そのときの心の有り様なんでしょうか?
今の自分を問いかける時間でもありました


追記:文中説明は、配布パンフより、一部引用いたしました










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