尼崎寺町七福神めぐり・・・法園寺です
・・・ 東へ、寺町を歩きます
大覚寺の東隣が、法園寺となります(下:黒丸)
山門
本堂
開基は天文年間(1532~55)、勝誉恵光法園上人と伝えられ、元和年間(1615~24)に寺町に移転しました。当寺には佐々成政の墓碑があります。成政は織田信長に仕え、猛将として名を馳せ、その功により越中守に任じられます。
本能寺の変後は、織田信雄(信長の次子)を奉じ天正十二年(1584)小牧長久手戦に参戦しますが敗れ、のち豊臣秀吉に属することになります。肥後守在任中、領地内で反乱がおこり、その責により幽閉され、天正十六年(1588)閏5月14日に切腹を命じられます。恨みの秀吉のいる大阪城の方向に自らの臓腑を投げつけたと伝えられています。
寺宝として、後陽成天皇(1571~1617)直筆の和歌一首「なき人のかたみの雲やしぐるらん 夕の雨に途はみえねと」の掛軸や成政肖像画などがあります。特に山門の内に桐、外には菊の紋があり、由緒ある寺院を偲ばせています・・・尼崎市教育委員会
尼崎寺町七福神めぐり
・・・浄土宗 恵光山 信長の重臣 佐々長政の墓碑がある
家庭円満・子宝の福宝・・・布袋尊
佐々長政公生涯
・・・これ、すべて読むと歴史の流れがよ~く、分かります・・・
天文六年(1536)生まれ 天正十六年(1588)切腹 52年の波瀾万丈の人生ですね
佐々長政公供養五輪塔
・・・実物は本堂内に保管されていると・・・
山門の外には菊の紋
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