尼崎寺町七福神めぐりですが・・・その道筋、寺町の寺院を訪ねます
尼崎、元気街ホームページには、寺町界隈、尼崎寺町七福神めぐりの案内PDFが掲載されています
専念寺の東隣、妙見院です(下、黒丸)
表門から入りましょう・・・
・・・表門・・・
桁行一間、梁間一1間半、切妻造、本瓦葺の薬医門
様式的には本堂建立と同時期の十七世紀末頃の建築とみられます・・・尼崎市より
・・・本堂・・・
桁行八間、梁間九9間半、 寄棟造、銅板葺の建物で、残されている棟札から元禄九年(1696)に建立されたことが知られます・・・尼崎市より
・・・沿革・・・
元祖円光大師(法然上人)二十五霊場第四番札所です。
1300年前、奈良時代に聖武天皇の厄除けを祈願して、行基菩薩が尼崎市神崎に、神崎釈迦堂を建立したのが始まりと伝えられています。
戦国時代、城主細川高国の菩堤寺となり、旧尼崎城下(現在の大物町)に移り、江戸時代には現在の寺町へ移転しました・・・尼崎市教育委員会
・・・鐘楼・・・
尼崎市指定文化財 銅鐘・・応永三十二年(1425)の年号があると
・・・手水鉢・・・明和七年(1770)
左:神崎五人遊女遺跡 右:第四番 如来院(二十五霊場第四番札所)
・・・遊女物語り・・・
神崎川と淀川が奈良時代の延暦四年(785)に結ばれ、瀬戸内海方面から京に至る船泊が神崎に停泊するようになりました。次第に河口の港町として繁栄し、「天下第一の楽地」と呼ばれるようになります。遊女たちは今様など諸芸を泊客に披露し、宴遊に興じる人々でにぎわっていました。 遊女五人の名(吾妻・宮城・刈藻・小倉・大仁)
鎌倉時代、建永二年に「法然上人」が神崎に立ち寄られた時、お説教を聞いた五人の遊女達は、頭の黒髪を切りとり出家者となって、お念仏を称えながら入水往生しました・・・尼崎市より
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