兵庫県養父市の公式サイトに紹介されている・・まちの文化財を訪ねます
・・兵庫県養父市八鹿町青山82、大蔵神社です
まちの文化財(156) 青山の大蔵神社 には、下記の説明があります
・・・彫刻師は嘉永年間から明治時代前半に活躍した秋塚広貞です。彫刻の一部に「彫工師豊岡住、秋塚法橋廣貞」の文字が彫られています。法橋は彫刻師や絵師の位を示す尊称です。
養父市の社寺建築の彫刻師は、江戸時代後期から明治時代にかけて丹波市柏原町の中井権次の一門、大正時代から昭和時代には姫路市飾磨区の松本義広の一門が活躍します。これに対して、秋塚広貞は、豊岡市小田井町に住んだ但馬を代表する、知る人ぞ知る彫刻師です。但馬の彫刻史を代表する人物であり、突然現れる謎の多い彫刻師です。
この記述は、彫刻を追って巡っている私には、うれしい文書ですね!
さらに、青山について記述があります・・・
・・・宿南に青山集落があります。青という文字には緑色の意味があります。青山という地名は緑の木々が茂った美しい土地という意味であり、春の新しい新緑を青葉と呼びます。
養父市ふれあいバス・・・終点です
ここ、大蔵神社への道、参道・・まったく分りません
GoogleMapでは、位置は表示されるのですが・・・
管理神社さんに問い合わせしました・・・う~ん? 道、教えるのが難しいそうなんです
仕方なく、いつものように、とりあえず、行きましょうと・・・
青山バス停に到着したら、運良くクロネコヤマト便がきました
・・・・すみません、大蔵神社はご存じではないですか?
・・いや~、わかりません
で、歩いていると、上からクロネコヤマトの方が、配達先で聞いてくれたようで・・・
写真下の道を教えてくれました・・・ご親切に、ありがたいことです・・・
個人のお宅の庭先を通り、獣除け柵?板を外していくように云われましたので・・
お! 石段・・
急坂を登ると、見えてきました・・・社殿です
鳥居です・・・正面から撮影は不可!
境内です
主祭神: 高皇産日命
配祀神: 高倉下命
由 緒: 創立年月不詳
宝永三年(1706)正遷座を奉仕し当時大蔵山大明神と称せり。文化十年(1813)本殿を再建し、明治六年(1873)10月村社に列せられる。同24年(1891)本殿覆を再建せり
覆屋
戸を開け、失礼して、参拝と、撮影を・・・
獅子噛、龍、兎の毛通し・・・なかなか立派ですね
木鼻、持送り
木鼻、持送り
刻銘・・「彫工師豊岡住、秋塚法橋廣貞」
左脇障子・・・脇障子撮影失敗しました
右脇障子・・・
・・・鯉にのった琴高は、中国の周の時代の琴の名手です(養父市サイトより)
狛犬と石燈籠・・・寛政七年(1796)と刻まれている
戻ります・・・この急坂、慎重に下ります
青山バス停の前にお堂が・・・
そして、その右手には、お地蔵様が六体、おられました
八鹿 汚水マンフォール
兵庫県養父市八鹿町青山82、大蔵神社・・・マップでは表示してくれています
これまで、いろんな鎮座地を巡りましたが、今回が一番難しい場所でした
ヤマトクロネコさんが聞いてくれなければ、恐らく分らなかったことでしょうね
地元、ご近所の方のお宅を訪ねて聞くしか方法はありませんが・・・
兵庫県養父市の公式サイトに紹介されている、まちの文化財とはいえ、「近寄るな!」と、思えるぐらい、不明な場所でした・・・
江戸時代後期から明治時代にかけて丹波市柏原町の中井権次一門
そして、嘉永年間から明治時代前半に活躍した秋塚広貞
大正時代から昭和時代には姫路市飾磨区の松本義広の一門が活躍します
秋塚広貞、松本義広の一門・・この彫工師達の足跡を巡ってみます
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