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2018年7月25日

野村城跡・・市指定文化財・・兵庫県丹波市春日町野村1809-8

丹波市柏原町新町の難波金兵郎作、高燈籠の他に、もう一基、石灯籠の存在は知っていましたが、場所が分らず、やっと、その位置が判明しました
その位置を確認すべく、GoogleMaPを眺めていたら、「野村城跡」を発見・・
平地の・・田の中に・・・これは、行ってみなければ・・・と!

丹波市春日町野村 野村城跡です
北近畿豊岡自動車道、春日ICより僅かなところです・・・残念ながら、道標はありません
写真下、田の中、あの竹藪の所が、野村城跡だろうと・・・

市指定文化財 野村城跡  所有者:個人


城跡は春日町野村の小字木寺の水田地帯にある。土塁が突起しているだけで、内濠も水田になっているが平面形は、そのまま残り、外濠も埋められて農地に利用されている。
掻上げの方形館で、土塁は北・東・南面にコの字型に残っている。西側の土塁は削平され農地になったが、西北隅には城の守神だった八幡社が残っている。城の大手は西側で、下野村から奥野村へ通じる道路を「大門道」と呼び、道に面して大手門があったものと考えられる。
土塁は東西・南北とも70mで、土塁沿い幅3~4mの内濠をめぐらし、それより約50m隔てたところに外濠の跡がある。
土塁の基底部が約7m・高さ4mありその内側が本城跡である。中世初期にみられる典型的な掻上げの城である。
野村城は、黒井城の属城で、永正年間(1504~1521)に野村出雲守家長が築城し、野村信濃守家久、野村太郎兵衛有久と続き、天正七年(1579)の黒井城落城と命運を共にしたと考えられる   ・・・平成29年3月 丹波市教育委員会


掻上げの方形館って? 
掻揚城とも記述するが、は、日本の城のなかでも守備設備がシンプルで、城の周りに堀や土居だけを置いた城や砦のことを意味する。堀を造って、その堀を掘った土で土塁を築く。城は、断崖絶壁や谷など、地勢が険しくなっているところを天然の要塞として生かして設計することがあるが、掻揚城はこうした地勢の利をあまり持たない物を指すとある・・・

城跡からみた、黒井城跡(野村城は、黒井城の属城)

木寺公民館があります

グルッと回って、土塁を・・・東面です

永正年間(1504~1521)に黒井城の属城として築城されたと・・・
丹波市春日町といえば、春日局・・その春日局生誕地が、興禅寺・・そして、興禅寺は、 黒井城の下館跡と、その背後の山が、猪ノ口山、黒井城なのです・・・歴史はつながっていくのです








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