2018年7月8日

斎神社・・・兵庫県養父市長野265

兵庫県養父市長野265、斎神社を訪ねます

本殿の再建中に本殿彫刻が、姫路市飾磨区の三代目松本義廣の作品であると判明したと・・・
その三代目松本義廣は、祭礼で使う屋台彫刻の専門家で、名工と言われた人物です
その、本殿彫刻を拝見します・・・

社頭


・・・社頭・・斎神社、案内板・・・

祭神    天太玉命 手置帆負命 彦狹知命
由緒    聖武天皇の天平二年(西暦七三〇年)の創立と伝えられ、足利時代 山名氏の崇敬を受け、江戸時代は生野代官の信仰を得たり

・・・お走り祭りの伝説・・・
お走り祭りは、養父神社の神輿が四月十五日・十六日の二日間「ハツトウ、ヨゴザルカ」と掛け声を掛けあい ながら、斎神社までの往復四十キロの道のりを練り歩く祭りである。神輿は重さ百五十キロもあり、途中川渡御を しながら進む奇祭である。斎神社拝殿に奉納されている絵馬から、江戸時代の祭りの様子がうかがえる。この 祭りの由来については「神代の昔、円山川下流地域は、泥海になっておりなんとかこの地が豊かな農地になら ないかと但馬五社の神様が寄られ、相談されたところ。土木の神様である斎明神にお願いしてはということに なり、その名代として養父大明神が鮭の背にのって川を遡り、ちきり渕からお願いされた。斎明神は快く引き 受けられ、早速川を下られ、円山川河口の瀬戸を切り開かれると、泥海はたちまち引いて肥沃な土地が現れた。 喜ばれた五社の神様は、再び養父大明神を名代として旧暦師走(十二月)の未の日と申の日にかけてお礼参り された」のが、お走り祭りの始まりと伝えられている。なお、明治十年より四月十五日・十六日に祭日が変更された


二ノ鳥居?

斎大明神


新しくなった拝殿

平成21年8月10日未明、兵庫県北西部では台風9号によって大変な豪雨災害が発生しました。特に朝来市に隣接する建屋川上流では、土石流が各地で発生しました。斎神社では、境内が土石流で埋まって神社の中心建物が全壊するという大惨事となりました。
神社の裏山から土石流が発生し、本殿・弊殿・拝殿が完全に倒壊しました。本殿を倒壊させた土砂と杉立木は、境内全体を埋め尽くしています。本殿の建っていた場所は土砂で完全に覆われ、元の位置も全く分かりません。
本殿の柱は倒れ、建物は10mほど前方に飛ばされました。拝殿も前方に倒壊しました。拝殿の屋根は、建物の前にある杉の立木が支えとなって、そのままの形で落下しています。
そして、斎神社本殿は、土砂の中から救出されました。破損した部材を修理し、すべて元通りに組み上げて保存修復されたのです・・・



土砂の中から救出され、破損した部材を修理し、すべて元通りに組み上げて保存修復、再建された本殿・・・


本殿、背面・・・脇障子が、斜め後方へ開いている
・・・福知山の御霊神社、稲粒神社、生野神社もそうだったが、福知山方面の造り方か?

・・・本殿、左側面・・・


向拝

ズームして

その龍の背面に刻銘を発見・・・「ハリマ飾?之 松本義廣 之作」と読める

左面、妻飾り

右面、妻飾り

左脇障子 「須佐之男命 八岐大蛇退治」

    右脇障子「天照大神 天の岩屋戸」

手挟み


摂社・・楯縫神社本殿・・・兵庫県登録文化財  

この建物は宝暦十年(1760)に斎神社本殿として建立されましたが、昭和12年に本殿が新築されたことから、旧本殿が摂社楯縫神社の本殿となったものです。災害の土石流で基礎まで埋まりましたが、奇跡的に無事でした。
本殿は正面の柱間が一間(1.69m)で、一間社流造、高さは5.2mあり、当時では大きな社殿です。大工の棟梁は播州三木の黒田源左衛門で、地元長野村の大工など4名で建築しています・・・養父市観光より引用

蟇股・・・松と鶴

摂社楯縫神社左側、歳徳金社の三本の巨木・・・おもわず、パチリ!

拝殿内・・・もしかしたら、由緒書
・・・格子天井の板目が美しいです・・

養父市指定文化財 民俗文化財 斎神社のお走り絵馬
・・・明治32年に地元の絵師村上墨渓が、斎神社に到着した江戸時代のお走り祭りの祭礼行列を描いた奉納絵馬・・・


手水舎

可愛いすね・・・

鳥居が二基、連なるのも珍しいのでは・・・明神鳥居と両部鳥居

鳥居横、石灯篭・・嘉永二(1849)年と読める

ちと、離れて社頭全景を・・・「α君」と比べると、右の木の大きいこと!

復興、再建された本殿 そして名工の三代目松本義廣の見事な作品を拝見できてよかったです
一億ともいえる、再建金額も凄いが、氏子さんの想いが立派な本殿、拝殿が再建されて何よりです
また、彫刻を拝見に伺います