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2014年12月28日

兵主神社・・・兵庫県西脇市黒田庄町372-2

「黒田官兵衛の里・西脇市」を見所を巡ります・・・いただいたパンフは・・

「黒田官兵衛の里・西脇市」・・・新たな生誕地・発祥地説、そのゆかりの地をめぐると、あります
西脇市、西脇市観光協会の力の入れ具合が、違いますね・・・いろんなパンフから、幟、案内板まで・・・すばらしい!(*^_^*)

西脇市のパンフでは、この辺の地域を、比延地域、岡地域、黒田地域と分類しています

写真右上は、北から南へのルート・・・私は、南から来たので・・・逆を・・m(_ _)m

では・・・比延地域

この比延山城址・・・
標高287mの比延山の山頂から尾根筋に広がる山城
築城年代は応永年間(1394~1427年)ごろと考えられ、播磨守護、赤松氏の子孫の本郷氏が居城し、後に、比延氏を名乗るようになったといわれています
そして、黒田官兵衛生誕の地の新説がでてくるのです
それは、後ほど訪れる「荘厳寺」の荘厳寺本黒田家系図からです

写真は、西脇市配布パンフより引用

岡地域・・・兵主神社へ参りましょう
おおぉ・・・静かな雰囲気の大きな境内が見えます・・・横に広い「P」があります

鳥居をくぐり、随神門をくぐります・・・昭和57年、新改築とある

県重要文化財 拝殿です・・・安土桃山時代建築


式内兵主神社・・・創立は延歴三年(784年) 延喜式神名帳に登載された式内社です
主祭神は、大己貴命
拝殿・・・天正十九年(1591年)柱立て、の茅葺き入母屋造、長床式、平面で、支外裄で支えている、桧松材四十一坪である
羽柴秀吉が、戦勝祈願成就のために臣下の黒田官兵衛に奉納させた奉納金にて、建築に当てられ、されたと伝えられています。又、戦勝祈願に灯明田七反を添えて寄進したとも、伝えられています


正面から拝殿を見る・・・境内の中でど~んと、居座っていて、本殿がかすみますね!

写真左下:正面中央部三間の大広間  写真右下:鈴緒から屋根裏構造をみる

写真左下:本殿側横からみる・・・よく、雨、風、雪に耐えていますね

本殿・・・正徳四年(1714年)改築、権現造り、御拝千鳥建て、銅板葺き六坪
弊殿・・・平屋造り、桧松材、銅板葺き六坪 明治四十四年改築

・・拝殿横から・・

写真、中央・・・随神門
昭和五十七年新改築 銅板葺き七坪三合

写真、右端・・・手水舎
昭和五十七年新改築 銅板葺き一坪八合

JR踏切前の、大鳥居
享保十二年(1728年)・・文政十一年(1828年)改築・・・木造桧皮屋根、唐破風付四本支柱付
昭和52年改築・・鉄筋コンクリート、銅板葺き、唐破風付・・現在に至る

いやいや、ご立派なお姿です

大鳥居から戻りながら

いい雰囲気ですね

社紋は古くから右下がり三つ巴でしたが、拝殿寄進後は、豊臣太閤と同じ五・七桐が用いられるようになり今尚、これを社紋としていると


兵主神社、拝殿・・・その姿、大きく、どんっと、本殿の前にて、構えています

「黒田官兵衛の里・西脇市」・・・新たな生誕地・発祥地説、そのゆかりの地をめぐる・・楽しみです!



続きます・・・




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