路面電車の一日乗車もあと僅か・・です!
最終目的地・・・「出島」に向かいます・・・
出島、路面電車・・出島駅の真ん前・・・さぁ、入りましょう・・・
写真左下:路面電車・・出島駅
写真右下:水門 出島の西端に位置し、荷さばきの広場と、荷船用桟橋となっていたと・・・
出島内の建物の多くは、1階が倉庫となっていました!
写真左下:天秤と分銅 写真右下:その側にあったその当時の絵・・分銅の代わり人が乗っている・・この天秤はオランダのデルフト大学計量博物館から寄贈されたものと・・
輸出磁気・・・写真左下の赤い、まるくくびれている磁器は、そこに人の頚をあて受け皿とし、髭剃りや病気の治療時に使われたと・・記してあります
写真右下:磁気皿の梱包ですね・・・なんでも鑑定団で出てくる輸出用工芸品じゃなぁ!
写真左下:新石倉 慶応元年(1865年)
写真右下:旧石倉 安政の開国時期 輸出用の国産磁器が出土していることから、輸出品の倉庫とみられる
江戸時代、対岸の江戸町側から表門橋を渡るとこの表門があり、探番が出入りする人を改めていました |
出島に住むオランダ人の風習を紹介した「紅毛雑話」にバドミントンによく似たラケット(羽子板)、ウーラング(羽根)を使って野外で遊んでいる図が描かれています・・と! |
日本側で出島管理の実務を一手に担ったのが、長崎の有力町人から奉行が選任した出島乙名です 貿易事務を一切行うとともに、商館員の監視役でもありました |
乙名部屋には、夜警の番人と船の往来を見張る番人が滞在することが「ドゥーフの解説」に記されていると・・・
この青銅製大砲は、昭和29年(1954年)浦上河口で発見されました。オランダ船の絵姿と、オランダ東インド会社の社章「VOC」とAMSTERDAM ANNO1640の文字が刻まれています このことから寛永17年(1640年)に鋳造界の名門アスウェーラス・コスター(1604~61)によって製作され、アムステルダム支部所属の船舶に搭載されていたと考えられます・・と! |
瓦敷の側溝・・
江戸時代の出島では、道の両側に、雨水を流す瓦を敷いた側溝が設けられました 発掘成果をもとに江戸時代の側溝を復元しています |
写真左下:デジマノキ
写真右下:ヘルト部屋・・オランダ商館のヘルト(商館長次席)の住まい
デジマノキ・・・日本では唯一出島でみることが出来る樹、1966年(昭和41年)、県の天然記念物に指定された。 オランダ人が東洋貿易の根拠地としたジャカルタ(旧パタブビィア)から幕末のころ、この地へ移植したもので、日蘭貿易の歴史を物語る記念樹。ナンヨウスギ科の常緑高木。出島の旧出島神学校脇にある |
写真左下:西側護岸石垣 写真右下:玉江橋?から中島川沿いの出島を見る
長崎のカステラといえば・・文明堂・・あくまでも私感ですが・・文明堂本店です!
・・・粗目の甘い砂糖のカステラ・・・昔懐かしい味・・美味しかったです・・・
長崎電気軌道・・路面電車、大波止駅から、「α君」の待つ、宿の「P」へ
長崎でのお宿は、「α君」にとっては、大変ありがたい「P」でした チェックイン前でも「P」して下さいよ! 何回でも出入りして下さいよ チェックアウ後も一日中「P」、構いませんよ! ・・って! お陰で、路面電車乗ったり、「P」したり・・・ 助かりました・・・・ |
さぁ、これで嫁のご希望の長崎市観光、コーディネートした私・・嫁、喜んでくれているでしょうか?
まぁ、半分以上は私が行きたいとこでしたけど・・・・
長崎市、いい町です・・車のマナーはいいし、街、きれいし・・整備が行き届いた観光都市ですね・・・
また、機会があれば、夜の長崎も・・・飲み明かしたいですね・・おっと!・・それは(*^_^*)
佐賀県名護屋城跡から、長崎市で一泊二日の行程で、良き長崎市の街・・・・でした
これから、長崎市を後にして、諫早湾へ向かい、諫早湾干拓堤防道路を走り、島原へ、そして、フェリーに乗り、熊本市へ向かいます・・・・
未だ未だ、続きますぞ!・・・九州への旅は・・・m(_ _)m
追記:文中文言は、説明パネル、配布パンフより、引用いたしました
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