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2026年6月13日

Rufus バージョン 4.14 (2026.04.30)を試してみました

なんでも新しいものに興味がありまして、Rufusも便利そうな機能がついたと知りました
それなれば、試してみなければね

これ、Rufusの説明です
で、興味があるので試してみようと思った項目は⋯

更新内容   バージョン 4.14 (2026.04.30)

    Windows ユーザーエクスペリエンスの改善:
    Teams、Outlook、Copilot、その他 Microsoft が強制的にインストールする不要な機能を
    無効にする「利便性向上」オプションを追加
    検出された最初のディスクに Windows を自動的に、プロンプトなしでインストールする
    「サイレントインストール」オプションを追加
  


では、ダウンロードです


Windows11-ISOをダウンロードしておきました

Rufus 4.14.2377起動させると、下赤枠で↓が表示されなかった
この辺は深く考えません
事前にWindows11-ISOをダウンロードしていますので、保存場所を選んで進みます



下「レ」して、前に進みますが、「サイレント、ディスクの削除とインストール」に「レ」をいれます


Windowsのサイレントインストールオプションを選択しました
と、確認が表示されます

USB-16GBを使いますが、消されますと警告表示
はい、無事にUSBインストールメディアが完成です
今回、これを使ってWindows11をインストールするPCはHP-8300
ほんと、なにも問いもなく自動でインストール作業は進みます
で、放置していると⋯
「Windows11のインストールが失敗しました」と表示されました



 さぁ、なんで?

Rufusのエラーか?

なんででしょうか、調べてみました

ありましたね!
先人の方のブログには⋯
・検出された最初のディスクに Windows を自動的に、プロンプトなしでインストールする
ノートPC とかだと、増設したデータードライブのディスクが 0 番で、システムが入っている
ディスクが 1 番になっていたりします。
なので「検出された最初のディスク」= 0 番のデータードライブになるので…という訳です

どうもドライブの指定がおかしいらしいのです

で、そうなれば、Windowsのサイレントインストールオプションを外すしかありません
外してて試してみました


今度は通常?のように言語設定

キーボード設定もありました

インストール場所指定
**ここがミソなんですね**





インストール準備完了


はい、無事、インストールできました

Microsoft が強制的にインストールする不要な機能を
    無効にする「利便性向上」オプションを追加

うん?
よくわからんのです、無効にされるはずが、インストールされているようですが!
28個のアプリとありますが、少ないかなぁ?


SSDの容量
Windows11の初期状態の容量は、24.7GB
今回、Rufus バージョン 4.14 (2026.04.30)を試してみました
なにせ、こういうのって、すぐ試してみたくなる性分

まぁ、エラーがでましたので、今後は気をつけて試しましょう!!







2026年6月12日

今年もちゃんと生まれてきました、オタマジャクシ

田植え終わり水田にはうごめく生き物が出てきました
そう、オタマジャクシです

パチリしようと静かに近づくのですが、パァッと散って逃げていきます


どうするか?
そうです、ズームレンズで、逃げて隠れている場所を狙ってパチリです

ちょっとトリミングして

これからの生育を見守っていきましょう

しかし、隣の水田の中をさがすも、見つからない!

次もがんばって?探しましょう






2026年6月11日

長野の旅 帰路のSAでみた絶景です

楽しい長野の旅も終わり、中央道を南下して帰途につきます
途中、駒ヶ岳SAで休憩しました
空を見上げれば、素晴らしい青空、そしてなんと両側の峰々に雪の残る山々がみえるではないですか
いや~ 絶景です
ここはスマホでパチリしましょう
GoogleMapより切り取り

スマホ片手に景色が一望出来る場所を探してこの位置まできました
GoogleMapより切り取り


わぁ! 凄いね
青で広がる空に飛行機雲が数本見えるね
これは、明日は雨か?
東側に奥のほうに見える山々は南アルプス(赤石山脈)となり、甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳などと、ある

お! エンジンは4基ですね

振り返って、パチリ
お! もしかしたら、「木曽駒ヶ岳」?

  中央自動車道の駒ヶ岳SA(下り:名古屋方面)から西に見える雪の残る山々は、中央アルプス(木曽山脈)です。具体的な山としては、主峰である木曽駒ヶ岳(標高2,956m) や、鋭い岩峰が特徴の宝剣岳(標高2,931m)などが見えますと、あります


ズームでパチリ、少しトリミングで雪の残る山並みを!

と、いうことですっかり雪ののこる中央アルプス、南アルプスの山々を初めてこの目でみて魅了され感動した長野の旅にでした

GAS満タンで出発して、帰路中央道に入る前に20L補充して、帰宅
到着は19時46分
往復走行距離は、998.9km 平均燃費は24.5km


自分におみやげ「信州名物 わさび漬」

信州長野を二泊三日で旅してきました
諏訪大社、善光寺、真田の上田城、国宝 旧開智学校、そして念願の現存天守国宝松本城をこの目でみて撮影できました
そして、雪ののこる山々をみて感動もいたしました

Geminiに調べてもらった宿、すてきな温泉宿、4つ星HOTELにもゆっくり泊まりました

道中、道を選択ミスで山の中を走行しました、野生の鹿親子に遭遇しました
恵比寿ビールのラッキアイテムも引き当てました

往復走行距離は、998.9km
愛車、プリウスα君も快調に走ってくれました
これで、オドメータは129825kmとなり、いよいよ130000kmになるのも時間の問題です

さぁ、次はどこへ旅しましょうかね












2026年6月10日

長野の旅 旧開智学校校舎の文化財を散策します

国宝 旧開智学校校舎を拝見いたしました
その近くに文化財がありますので、散策しましょう
旧開智学校の「P」は無料ですので、急いで周る必要もありません


旧司祭館

○松本城周辺の都市計画街路拡幅事業に関連して松本カトリック教会 は、施設の再配置を計画し、旧司祭館の取り壊しを予定したが、貴 重な文化財の保存を決意、平成元年十月旧司祭館を市へ寄贈した。
○松本市は、この建物の文化財としての価値を認め、保存のための移 転復原事業を進め、移転先を重要文化財 旧開智学校の在る開智公 園に定め、平成二年十月解体工事着手、翌平成三年三月復原工事に 入り、同年十月に竣工した。
○この移転復原事業に際し、 平成元年十二月松本市芳野十九番四十八 所在のキッセイ薬品工業株式会社(代表取締役・神澤邦雄氏)から 文化財存事業のためにと寄附金六、〇〇〇万円が寄せられた。
○このほか、この復原事業に当たっては、大河直躬博士、百瀬常雄氏、 カトリック教会横浜司教区等をはじめ、多くの関係者のご指導、ご 尽力があったことにより進められた。
○旧司祭館は、明治二十二年(一八八九) 松本カトリック教会神父ク レマン(フランス人)により、旧藩政時の武家屋敷跡 (松本市丸の 内九番三十二号) 地に建築された西洋館で、アーリーアメリカン風 の建築様式を伝え、各部屋には暖炉を配し、一・二階ともベランダ を備え、外壁に下見板張りを施すなど、随所に西洋館の特徴を表し ている。

建築年 明治二十二年(1889)
建築面積 一階 102.64㎡  二階 100.09㎡
建築様式 アーリーアメリカン(コロニアル)風 木造二階建て
平成3年11月吉日  松本市教育委員会


カトリック松本教会の施設

昭和前期の教会敷地内の様子をみてみましょう。
中央に位置するのは、明治23年にクレマン神父により建築された天主堂(聖堂)です。天主堂を中心として北西に旧司祭館が、東に家老屋敷の名残である池がありました。南の道路側には、昭和7年(1932)にデルボス神父により創設された聖テレジア幼稚園と、伝道士館·信者会館がありました。クレマン神父が敷地を購入して以降、歴代の神父によって教会の施設が整備されていきました。

暖炉



旧開智学校校舎前を通って、市重要文化財、高橋家に向かいます

歩くこと5分? 住宅が並ぶなか、忽然と現れます
「高橋家住宅」

松本市重要文化財 高橋家住宅

高橋家住宅は徒士町にあり、高橋家が享保11年(1726) に戸田氏にしたがって鳥羽から松本に移住してきたときに、 松本藩が藩士の住まいとしてあてがった、いわば官舎である。
敷地は間口約7間(13m) 奥行約26間 (47m 現在公開している部分は北側の半分)で、南北 細長い形をしている。 建物の大きさは、 間口約6間半 (11.6m) 奥行4間半 (8.2m) である。
間取りは、玄関にとりつぎの間があり、この奥に田の字型に中床や押入がついた4部屋が配置され ている。この4部屋の東側に台所と通り土間が設けられている。
平成16年に、 松本市が高橋氏から建物の寄附をうけ、平成19年から20年にかけて復元工事 を行なった。
平成24年3月 松本市教育委員会


しかし、休館日 
暑い中、歩いてきたのに残念です、またまた調べの甘さがでてしまいました
松本市さん、休館日、旧開智学校校と合わせてくれないかなぁ・と、思った次第です
しかし、屋根に石をおいて防風対策?とは、久しぶりにみましたね


さぁ、長野の旅 最終観光場所「なわて通り」に向かいます


   プリウスα君に乗り、「なわて通り」に、向かいました、「P」へと左折しました
その時、車中から見えた「なわて通り」の光景
わぁ! 外人観光客で、メチャ混雑しています
それをみて、嫁と顔見合わせ、「やめよう!」と意見が合いました


定番、松本市のマンホール



と、いうことで、長野の旅、目的地は、ほぼ予定どうり周ることができました
さて、ここで長野の旅の記事も締めくくりたいと思ったのですが、帰路の途中、またまた絶景に遭遇しましたので、其の記事で締めくくりたいと思います

と、いうことで、長野の旅、最終の記事に続きます


旧司祭館



高橋家住宅









2026年6月9日

長野の旅 国宝 旧開智学校校舎です

閉館に間に合わなくてもかまわないと思いながら上田城から旧開智学校へ走ってきました
時間には間に合ったが、感があたったのか、下調べが甘いというか、なんと休館日でした

一応、背面をパチリいたしました


国宝 旧開智学校 校舎
国宝指定(今和元年 2019年 9月30日)附建築関係資料(文書56点図面7点) 
※重要文化財指定建築面積 昭和36年(1961) 3月23日
建設面積:513.58m2  木造二階建 寄棟造 桟瓦葺 中央部八角塔屋付
建築樣式:擬洋風建築
建築年 明治9年(1876)  移築復元工事 昭和38年~39年(1963~64)
設計・施工:立石清重 Seijyu Tateishi(1829-1894)


翌日、再びやってきました

入場券です、来校記念になります


上右の入場券の裏の説明より⋯

校舎の建築

開智学校は、明治6年(1873)筑摩県学を継承して開校され、同9年校舎を新築した。
校舎の新築は、教育を立県の指針とした筑摩県権令永山盛輝のもと、地元住民により計画され、松本の大工棟梁立石清重がはるばる東京·横浜へ出向き、東京大学の前身開成学校などを参考にして設計施工した。工費約1万1千円の約7割が地元住民らの献金によるものであった。

国宝指定

昭和36年(1961)に重要文化財に指定された校舎は、令和元年(2019)に、近代学校建築としては初めての国宝に指定された。国宝指定にあたっては、文明開化期の洋風建築受容の様子を示し、近代教育の黎明を象徴する擬洋風校舎として、深い文化史的意義を有することが評価された。

昭和の移築·修理

旧開智学校は市内の中心部を流れる女鳥羽川沿いにあったが、同河川改修工事のため昭和39年現在地に移築復元された。開智学校に保管されてきた明治時代から現代にわたる教育資料などの収蔵資料は約11万点にのぼる。その一部を展示して昭和40年から教育博物館として一般公開されている。

青い空になんとマッチングしていることか、実に美しいです

真正面です
画角、入いりません
旧開智学校校舎は、明治9年(1876)4月に完成し、その後90年近く使用された小学校の校舎です。地元松本の大工棟梁立石清重が設計·施工しました。和風と洋風が混ざりあった擬洋風の校舎は、東京の開成学校(東京大学の前身)や国立第一銀行をはじめとして、当時の擬洋風建築の特徴をよく取り込んでいます。東西南北の風見を配した八角塔がそびえ立ち、
舶来のギヤマン(ガラス)が散りばめられた白亜の広大華麗な校舎の出現に、人々は新しい時代の幕開けを感じたことでしょう。
昭和36年(1961)3月23日に重要文化財に指定されていた校舎は、同38年1月から翌年8月にかけて、市街地を流れる女鳥羽川のほとりから現在地に移築され、新築当時の形に近づけて復元されました。昭和40年4月から校舎の公開と教育資料を展示する博物館として開館しました。
令和元年(2019)、近代学校建築としては初めて国宝に指定されました。開化期の洋風建築受容の様子を示し、近代教育の黎明期を象徴する校舎として、深い文化史的意義を有すると評価された校舎は、激動の時代に立ち向かった当時の人々の気概と新時代への希望を今に伝えています。
開智学校は、江戸時代の松本藩校崇教館の流れを引き継ぎ、明治5年(1872)5月に開校した筑摩県学を母体としています。

すこし右に移動し、見上げてパチリ





      和風と洋風が混ざった擬洋風建築

     この説明、案内でそれぞれの名称がよくわかります


風見鶏は、東西南北の方位です

さぁ、校内に入りましょう
校章 三枝の松

国宝 旧開智学校校舎
国宝 旧開智学校校舎
旧開智学校校舎は、明治9年(1876)に完成した小学校の校舎です。
筑摩県権令·永山盛輝の学事奨励策のもと、学区内の住民が建設費を出し合い、松本の大工·立石清重が設計·施工しました。
当時の地元新聞で「目今日本第一等の小学校」と評された擬洋風の校舎は、完成から140年以上の時を経た令和元年(2019)9月30日、近代の学校建築として初めて、国宝に指定されました。



天使と龍はどこから来たか?
旧開智学校校舎の象徴となっている天使と龍の彫刻。
天使のデザインは、当時の代表的な新聞である『東京日日新聞』(錦絵版)のタイトルデザイン
から引用されたと考えられています。龍の彫刻は、移築前の開智学校に隣接していた浄林寺
(当時は廃仏毀釈で開智学校の支校になってから持ってきたといわれています。
校舎の真正面に天使と龍を配置した理由は定かではありませんが、新しい文化と伝統が混ざり合った、まさに文明開化を体現したデザインです。



「丸太柱」はお寺の柱

校舎中央の回り階段を支える丸太柱は、松本藩主戸田家の菩提寺全久院からの転用材といわれています。全久院の建物は、開智学校の初代校舎で、現存する国宝校舎を建てる時に取り壊されました。
経費捻出や工事費節約が課題となっていたので、お寺の古材は貴重な資源でした。松本を襲った廃仏毀釈の嵐は、近代教育の芽生えを支えた一面もあったのです。

この螺旋階段をよ~くみると、左隅がすり減っていますね、左しか使えませんね


教室
どこか、懐かしさを感じますね

成績不良児学級

開智学校は明治23年(1890)から成績順にクラスを分ける能力別学級編成がなされ、これにあたる教師も学年で一番優秀な者が担当しました。しかし実状はいじめの問題や担任確保が難しく、一旦廃止となりました。
そんな中で輪湖卓三先生は自ら志願して学級を再開させ、それまでの反省を活かし児童への配慮も行い、並々ならぬ努力と熱意をもって指導にあたりました。


成績不良児学級 先生の言葉
(成績不良は)先天的か否や之れを知る能はず只々各人が社会、家庭、児童の 已往及現在を顧み又深知して自己の作れ尺度を以てはかり断定を下すのみ
(中略)自分の脳裏を顧みれば先天的の不良児童の方少く家庭に於て又社会に 於てこれが原因をなしたるを深く思ふ (中略)吾人は之れに向って益々注意し 教育の道をたどらんとす

いつの時代もいじめはあったのですね
・・家庭に於て又社会に 於てこれが原因・・と、あるね


いや~ なつかしいですね? 「九九」ですね
この図、フォントは違えど、いまも使っているのかなぁ?



御座所の由来

明治天皇が開智学校を視察した際、この部屋で休憩をしていきました。もともと普通の教室
でしたが、お出迎えのために現在の形に改造されました。その後、明治天皇との由緒がある
特別な部屋として扱われるようになります。明治20年代以降は御真影と教育勅語の保管場所
となり、あわせて来賓の応接にも使われました。
校舎完成からわずか4年で、特別拝観や掃除以外では自由に出入りできなくなってしまいました。



桟唐戸

この扉は「桟唐戸」といいます。
一際、和風·寺院風の印象が強い扉ですが、移築前の開智学校の隣にあった浄林寺というお寺から持ってきた扉です。当時、浄林寺は廃仏毀釈で廃寺となっており、開智学校の支校として使っていました。
扉上部についている彫刻は、飛竜という仏教上の生き物と波しぶきが対になっています。





飛竜


螺旋階段を2階から見ると…
なんと、急な階段ですね、上から見れば、右端がすり減っているのがわかります

謎の扉

階段の踊り場の、床から1メートルほどの高い位置に扉があります。ドアノブに手が届きにくく、部屋へ入るにも一苦労です。この不思議な扉はなぜ生まれたのでしょう。
この場所にはかつて教室棟へ続く廊下があり、この扉は創建当初は「世話役詰所」の出入口でした。現在の場所へ移築した際に教室棟が復元されず、廊下を階段に変更したことで扉だけが残ったのです。謎の扉は、教室棟が続いていたことを示す名残です。


よき雰囲気の灯りです


出てきました
看板の後ろは開智小学校の校舎、グランドです

ベンチに座って涼を取りながら、パチリです



はい、国宝、旧開智学校校舎を見学いたしました

校門からの写真を撮影いたします
やはり撮影ポイントでしょう、撮影する方が多いですね
でも、内側におられる方が写り込まないように、シャッターチャンスを待ちます
はい、パチリです
うまくパチリできあtのですが、左端に人が写り込みましたのでトリミングです
だから、中心が左に寄っていますね


長野県松本市の国宝「旧開智学校校舎」は、約3年半にわたる大規模な耐震対策および防災設備工事を終え、2024年11月9日にリニューアルオープンしました。現在は創建当時の姿を保ちつつ、最新の展示や見学が可能となっています

そうなんです、実は大規模な工事を行っていることは知っていました
なので、松本市、長野県への旅は2025年以降と思っていました
そして、2028年から松本城の大規模な耐震工事に入いる予定とありますので、数年間城内に入れなくなるので、これも合わせて結果、この2026年5月となりましたが、大正解でしたね