その中の一つ・・・太閤腰掛けの石があります・・・いや、探すのにちょっと手間取りました・・・ね!
極楽寺の境内にありますと・・本堂の裏手と・・書かれています・・しかし、・・探しました!
蓮根池?の周りの狭い道を入り・・極楽寺の門の前に・・・やっと、到着・・・・
この辺は兵主神社の森続きであったと思われます・・そう、兵主神社のすぐ、東南に位置してますね!
極楽寺も迎春の飾り、門松が・・準備完了ですね・・・
そこは、えい・・!・・入ってしまえ・・なにやら、本堂の左端に紙に手書きで「こちら・・」とある・・
その案内とうり・・廊下の下をくぐり、お墓の前を通過・・石段に官兵衛の里の幟・・・ここや!
太閤の腰掛石・・・羽柴秀吉が三木城を攻めた時に、兵主神社への戦勝祈願とともに、大志野(現在の西脇市黒田庄町南部)に陣をとり、この石に腰掛けて采配を行ったとの伝承があります
なぜ、極楽寺にあるのか?・・・と、思ったのですが・・・・
由来記・・・・石碑より引用 極楽寺が福谷の故地よりこの地に遷る際会し、寺の開基源太少広直の一族がおのが遠祖と仰ぐ具平親王社を勧請し祠宇を創建せしとき、かの太閤石を申し受けて社前に据え保存せり、爾来此の石の由来と大願成就の霊験とは私かに一族子々相伝へて今に至ると謂う・・・と、刻銘ております |
はい、由来記じっくり、拝見しました・・・石・・座っていません・・、いや、座れませんね・・(^_^;)
極楽寺を出て、振り返ると・・
そして、門の張り紙に・・ いつでもどうぞ、蓮根掘り・・ 一声おかけください・・ 堀り方指導いたします スコップで掘れます・・って! ええのぉ・・・チャレンジしたいのですが・・・m(_ _)m |
極楽寺の前が蓮根畑?・・・・
さぁ、次なる「「黒田官兵衛の里・西脇市」・・新たな生誕地・発祥地説、そのゆかりの地をめぐます・・・
続きます・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿