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2014年12月1日

興福寺、眼鏡橋・・・九州の旅・・長崎市!

長崎・・亀山社中跡・・龍馬通りの坂を・・登って、降りてきました・・気分は、龍馬です!
で、降りて来た道・・石垣が続く道は、寺院が並んでいます・・・


光源寺、禅林寺、浄安寺
興福寺、長照寺、皓台寺
大音寺、発心寺、大光寺
崇福寺・・・!

地図上では、長崎市の東側の北から南へ並んでいるようにみえますが・・・

石垣を眺めて、そぞろ歩き・・・・興福寺の山門にきました・・・県有形文化財
三間三戸八脚の入母屋造単層屋根、総朱丹塗りの豪壮雄大な山門、


祝・・平成23年 黄檗宗創建350年
   隠元禅師初登の寺
釜妙茶、いんげん豆渡来地
    東明山 興福寺

国内最初の黄檗禅宗の唐寺でその由来も古く、中国・明の商人が長崎と行き往来を始めた頃に渡来した中国人が1620年ごろ航海安全を祈願して、この地に小庵を造ったことがはじまりです

大雄宝殿(本堂)・・国重要文化財
桁行三間、梁間四間、一重もこし付、切妻造、本瓦葺・・
寛永九年1632年、第二代黙子如定禅師が建立 元禄二年再建 さらに明治十六年再建、現在に至る・・中国工匠による純粋な中国建築で、氷裂式組子の丸窓、蛇腹型いわゆるアーチ型の黄檗天井が珍しい・・・

氷裂式組子の丸窓とは、氷を砕いた如く紋様・・当時は裏側がガラス張りで、まるで、ステンドグラスのようだったとある・・しかし、原爆の爆風にて大雄宝殿も大きく傾いたが、幸いにも裏の石垣にて支えられて助かったが、格子戸、丸窓は吹き飛んでしまったと・・・

氷裂式組子の丸窓
蛇腹型いわゆるアーチ型の黄檗天井  

魚板(蹶魚・けつぎょ)・・庫裡の入口に下がっています・・
正式の名称は飯梆僧達の飯時を告げるために叩く板の魚・・この魚板は全国に禅寺にあるものの中、最優秀作といわれています

今も延び続ける・・
・・・樹齢四百年の蘇鉄の木

この木の種を拾うと良縁、子宝、長寿の言い伝えがありますと・・・

残念!・・拾ってはいません(^^;)
鐘鼓楼・・県有形文化財
寛文三年の市中大火のあと、元禄四年(1691年)再建

二階建で上階は梵鐘を吊り、太鼓を置き階下は禅堂とした

媽姐堂・・・県有形文化財
なんと、呼び名が難しいのでしょうか! まそ、まぁずぅ、ぼさ・・と読む
寛文十年(1670年)の扁額、「海天司福主」がある最古の建物・・・
唐船に祀る守護神の媽姐小像を在泊中、安置した・・・媽姐堂があるのは長崎の唐寺だけの特徴!

旧唐人屋敷門・・・・国指定重要文化財
元禄二年(1689年)に完成した広大な唐人屋敷に遺存した門を保存の為、興福寺へ移築

三江会所門・・県有形文化財
江南、浙江、江西三省出身者が明治初期に設立した集会所、原爆で大破して門だけ遺存
写真右下:豚よけの高い敷居が中国風・・・・・

中島聖堂遺構大学門・・県有形文化財
儒学者向井元升の流れをくむ聖堂、学舎に門で正徳元年(1711年)に竣成 昭和34年保存のため移築・・・写真右下:隙間から奥を覗く・・・?
屋根の瓦・・ひょうたんかなぁ・・?
前述したように、興福寺は、元和六年(1620年)創建された国内最初の黄檗禅宗の唐寺です・・
興福寺は臨済宗黄檗派(明治9年より黄檗宗)発祥の地として、記念すべき地なのです・・・・

次なる目的地・・・寛永11年(1634年)興福寺、第二、黙子如定が架設した日本最古の石橋の眼鏡橋へ向かいます
石橋の眼鏡橋・・国重要文化財です・・日本三名橋です・・・
眼鏡橋です・・・ついに雨が降ってきました・・でも、雨に濡れて相合い傘にて、渡ります・・
写真左下:中島川バイパス区間平面図  写真右下:魚市橋付近の右岸バイパス
昭和57年7月23日に長崎市周辺を襲った集中豪雨 3時間連続総雨量313mm・・長崎市街地に未曾有の洪水被害をもたらせました・・・
国重要文化財である眼鏡橋をのこしたまま洪水を安全に流下させるために、両岸にトンネル水路(バイパス)を設置しました・・・・

いや、眼鏡橋・・洪水でも、助かったのですね・・・右上写真みれば、欄干の一部が欠落していますが、よかったです

亀山社中、興福寺と巡ってきました・・・段々、夕刻で暗くなってきました・・・
本日、夜のお楽しみは・・・1000万ドルの夜景・・稲佐山!・・しかし、風、強し・・・
そして、待望の長崎チャンポン、皿ウドン・・・・そして、お酒!!

では、賑橋駅より路面電車に乗り、一旦、宿へ戻り・・「α君」・・出陣です・・

・・続きます・・





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