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2014年12月2日

諫早湾干拓堤防道路、島原市へ・・九州の旅・・長崎県!

長崎市の観光を堪能して、移動です・・・島原市へ向かいます・・・
ルートを決める時・・・GoogleMapを見て・・・おい、この道は・・諫早湾の干拓事業でできた潮受堤防・・・走れるのかなぁ?
ググって見ました・・・平成19年(2007年)諫早湾干拓堤防道路が開通・・・とのこと!
おおぉ、これは、おそらく、多分、絶対、一生、通ることのない道・・・・ルートが若干、大回りになるけど、「α君」、「カーナビ君」・・・走りましょう・・・・!
長崎市から長崎自動車道を走り、国道207号を諫早湾干拓堤防道路へ入り、島原半島の国道251線を海岸線・・有明海から、島原湾を眺めながら・・・走ります・・・


てな訳で、又々、嫁にカメラを託して・・パチリです!

写真左下:いよいよ、諫早湾干拓堤防道路へ入ります・・・ 
写真右下:農道部分を走っています・・遠くに雲仙岳(雲に隠れています)見えます
写真左下:北部排水門   写真右下:海の上の道、走っているよ・・って、云って、嫁、パチリ・・m(_ _)m

案内パネルより・・・堤防道路(愛称:雲仙多良シーライン)8023m・・・潮受堤防・・7050m
総工費 2,533億円である・・・開門の是非の論争は続いている・・
はぼ、真ん中にある「P」・・・(上記、案内図の赤丸、現在地)
・・トイレもある・・歩道橋を登り、その上より・・・南北を眺める・・・
いや、ものすごい強風です・・・歩道橋に立っているのが恐ろしい・・・メチャ、寒い!
写真左下:多良岳(諫早市方面)  写真右下:雲仙岳(島原方面)

写真左下:歩道橋から見る、有明海 ・・雲、天気悪いです・・ 強風の割に白波は見えないが・・・ 
写真右下:閉ざされた側、調整池(「α君」内のiPhoneのWinMapより)
写真左下:「P」にある、干拓事業の説明パネル  
写真右下:島原へ走ります・・・南部排水門あたりです・・・    

この干拓事業、・・TVで放映された、あのギロチンのような、湾の堰き止め・・すごい印象として残っています
・・・よき、経験をさせていただきました・・・7kmの直線距離・・・じつに、面白い・・ネズミ取りは?

さぁ、国道251線を走り、一路、島原外海港へ・・・この港より、熊本へフェリーで渡るのです・・・
フェリーの時間が午後5時30分・・最終です・・もち、予約済み・・・
もし、その時間までに到着すれば、島原城、武家屋敷・・見物です・・うん・・1時間半ほど、あります(*^_^*)

島原城です・・・・すごい城壁、石垣に囲まれ、見事な城です
島原城由来・・・(Wikipediaより引用)
有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも言える。天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階(初重の屋根を庇として4重5階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。

火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。 明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。


城の「P」に「α君」を停め・・さぁ・・と、思いきや、何やら音楽が鳴り始め、若い女性が甲冑を着て躍って何やら叫んでいるではありませんか!・・・その姿を見て、興ざめ・・・城内見物・・止めました・・
天主の周辺を・・・写真左下:西の櫓・・
写真右下:松の長さ・・約15m10cm(平成25年11月5日計測)
キリシタン墓碑・・
寛永十四年(1638年)島原の乱 起こる

現在、島原半島で発見されたいる墓碑は約120基
右側、中央の墓碑は島原市指定有形文化財

島原の乱・・・ググって見ました
松倉勝家が領する島原藩のある肥前島原半島と、寺沢堅高が領する唐津藩の飛地・肥後天草諸島の領民が、百姓の酷使や過重な年貢負担に窮し、これに藩によるキリシタン(カトリック信徒)の迫害、更に飢饉の被害まで加わり、両藩に対して起こした反乱である(Wikipediaより引用)

写真左下:「P」のある天主への道、大手門     写真右下:二ノ丸か?
写真左下:史跡 時鐘楼  写真右下:史跡 島原城西虎口門跡・・・・目立つことなく、ひっそり建つ!
島原城周辺図・・・武家屋敷だけ訪問するなら、武家屋敷専用「P」があります お城は有料・・・
この石垣の続く武家屋敷群・・・その真ん中を水路が走る・・・じつに、美しい!
追記:2015年、まぼろしの邪馬台国という映画を観ました・・
この道が撮影されていました・・・もう少し、ゆっくり、時間をとるべきでしたね・・(^^;)
武家屋敷街並保存地区・・・長さ406.8m・・残念ながら、僅かの家の石塀がない・・・
写真右下:ここが終点・・上から清らかな水が常時流れている・・・

周辺の道路の両側も、見事な石塀が続く・・・・

さぁ、素敵な石塀の武家屋敷街並・・湧き水の多い土地・・雲仙岳の伏流水やろね・・

龍馬の長崎初上陸の地は島原だった~龍馬が歩いた島原街道~
知っていました~?

坂本龍馬が勝海舟に同行して初めて長崎を訪ねたのは・・・元治元年1864年!
長崎での活躍は広く知られているところだが・・・
その第一歩は島原の地だった・・と!
海舟日記から・・とある!

島原城、武家屋敷、湧水・・もう少し、ゆっくり、散策したかってけど・・・フェリーの時間が・・・

島原外海港・・・午後5時までに受付すませないと・・勿論、予約済みです・・・島原、熊本間、高速フェリー 30分の船旅です・・・

長崎県にお別れです・・・楽しかったです、また、何時の日か訪れる時ができること念じて・・・

出港は午後5時30分・・・ この時間ですでに、島原市の夜景が見られるとは・・うつくしい・・・
では、一路?フェリーは熊本港へ・・・・・
今宵の宿は、なんと、熊本城のすぐ側・・・・明日が楽しみじゃ・・・・

・・・続きます・・熊本の旅へ・・・


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