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2014年12月1日

名護屋城・・・九州の旅・・佐賀県唐津市!

嫁と二人して、「α君」で神戸市から、山陽道を走り・・九州へ、ふたり旅、いたします!
最初の地は、佐賀県唐津市です・・・・ この旅行は、天気が心配でしたが・・・残念ながら、本日は、曇り一時雨、強風注意報でています・・(^^;)

早朝、宿を出発前に近くを散策・・・この海岸線は、東の浜、特別名勝、虹の松原・・松林の中を通り、唐津街道・・・絶景なんですが・・夜が明けていない感じ・・・車、ライト点灯しています・・・

写真左下:東の浜(唐津湾)・・天気であれば、綺麗な海岸でしょうね・・ずっと続く海岸線、緑は松林・・・
写真右下:特別名勝「虹の松原」・・唐津街道、昨日、晩走ってきましたが、残念ながら、夜でした・・素敵な松並木が続きます・・

早朝、唐津の宿を出発・・すぐ、そばに、唐津城があります・・・
残念ながら、唐津城は、午前9時からしか入れません・・そして、今、工事中らしい・・
と、いうことで、残念ですが、「α君」の中から、遠望ですが・・パチリです!


では、国の特別史跡・・名護屋城跡へまいりましょう・・・唐津城からは、約30分ぐらいですが、強風吹き荒れています・・う~ん!

名護屋城は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市)にあった城であり、今から約400年前、豊臣秀吉が朝鮮半島、中国大陸にも侵略しようとして、1592~1598年にかけて文禄・慶長の役を起こしました。その時出兵基地として築かせたのが名護屋城なのです・・

いや!・・訪れたかった城跡です・・名護屋城は、日本100名城の一つなんです・・・そう、黒田官兵衛もここにいたのです・・・!

名護屋城博物館・・・残念ながら、お休みです!
「P」は開いています・・・人影ありません・・・名護屋城・・貸し切りで~す・・!


名護屋城跡及び陣跡・・・・
地図上の黒四角点の連なるのは、唐津~名護屋間を軍用道として結んだといわれる「太閤道」である
写真左下:名護屋城跡及び陣跡  名護屋城中心し半径3km圏内に130箇所が確認されている
写真右下:名護屋城跡部分拡大 赤丸の箇所・・名護屋城跡・・その周辺の緑色部分は諸大名の陣屋跡です・・

名護屋城跡図は、このページ、最下部にあります・・・
いや、この石垣群、そして整備状態・大手口から緩やかな坂道みれば・・想像していた以上に、よりすごい城跡の予感が・・ワクワクするね!・・しかし、強風が・・でも、行くぞ!・・・(*^_^*)

まずは大手口から・・・
写真左下:名護屋城址 内務省と刻銘がある  写真右下:名護屋城説明・・なんと、焼き物じゃないですか!
大手口・・・唐津~名護屋間を軍用道として結んだといわれる「太閤道」の終点・・
櫓や門といった建物がないだけではなく、石垣が自然に崩れたのではなく、人の手により破却されているとのこと・・・
写真左下:櫓台跡(北東面)  写真右下:同場所から博物館を眺める、立派な建物、休みで残念!

写真左下:大手口から上がる、緩やかな坂を東出丸から見る
東側の防御をも兼ね備え、武者溜まり的な機能が・・地元では、千人枡と呼ばれている(写真右上)

写真左下:東出丸   写真右下:名護屋大橋?方面を眺める・・その手前に徳川家康別陣跡か・・しかし、寒い!!
名護屋城跡並びに陣跡の説明板・・案内板は、写真下も含め・・焼き物である(唐津焼?)
三ノ丸・・・
三ノ丸は本丸より一段低いところに位置する・・
東西68m、南北124mに及ぶ曲輪です
三ノ丸井戸跡・・・城内では井戸が各所で発見されていますが、三ノ丸井戸はそのなかでも最も高所(標高76m)にあります・・現在の深さは2mほどですが、後の時代に埋められています
さぁ、本丸へ向かいます・・・
破却された石垣と修復された石段を上がります・・風が更に強くなってきています・・・

本丸へ到着です・・・・
写真左下:本丸図 左上の赤丸部分が天主台 ・・・
本丸跡・・
標高約87m、東西145m、南北約125mの四角形状の空間で、ここに本丸御殿がありました(写真左上参照)
写真左下:高さ約5m?の石碑  写真右下:発掘中か? 天主近くからパチリ・・・
いよいよ、天主台です・・・強風です・・・
下の写真2枚を撮影するのがやっとです・・・写真左下の最先端の案内板まで行くことができません!
人生で一番の強風を体感しています・・風に向かって歩けません・・・
天主台にいることは危険です・・・嫁、吹き飛ばされそうです!・・退却です!
風に向かって歩けない風速は、17~20m・・・・凄いです・・・

晴れであれば、壱岐、対馬まで見えるそうですが・・僅か見えるのは、写真左下の島は馬渡島か?・・・
天主台は備前名護屋城屏風図では、五層七階建ての天主が描かれており、その高さは、石垣から25~30mであったと推定されると・・・・

写真左下:天主台左下に位置する二ノ丸、右下の曲輪は遊撃丸か?その先は舟手口とある?・・・
写真右下:ちょっと下がって、天主台を・・・風は天主台上よりはややマシに・・

本丸多聞櫓跡から左右の修復跡を見る・・ 写真左下:南西隅櫓跡
写真右下:同じ位置から見る天主台です・・いい感じですね!
さぁ、下山します・・・本当はもっと歩きたいのですが・・・
大阪城に次ぐ広大な城といわれ・・人の手によって破却が行われなければ・・見事な城跡になったことでしょう・・・
この寒さ、強風・・大手口まで降りてくれば、山が風を防いでくれます・・・

再度、大手口付近より名護屋城のお山を・・・・
写真右下:幟が・・・黒田官兵衛、縄張りの城、肥前名護屋城・・と、ある!

さすが、黒田官兵衛・・・名護屋城・・・
縄張りとは、曲輪や堀、門、虎口等の配置をいう。城の最重要項目で、城の良し悪しはこれで決まるとも言える・・・と、ある
写真左下:大手口の近くに、旗竿石が・・・名護屋城周辺に滞在した諸大名の陣屋に軍旗や馬印を立てるため、玄武岩質の自然石で造られている・・・直径26.5cm 深さ12cmの円形の穴が穿ってあると・・・
写真右下:大手門とある
地図から見れば、未だ城内、半分しか見ていない・・残念・・諸大名の陣屋跡も見てみたい・・(*^_^*)

実に壮大な、名護屋城跡・・そして、修復も、整備もすばらしく、案内板も焼き物、産地ならではか・・・!
天気さえよければ、何時間でも散策したいお城・・・・天主台に座り、海を眺めてみたい・・・と、思います・・・
又、ここへ訪れたみたい・・・いや、絶対、来たいと思いながら・・次の目的地へ・・・・

・・・・次の目的地・・・長崎へ・・・向かいます・・・




追記・・・名護屋城博物館提供の「肥前名護屋城の謎を解く」のアプリ・・・引用させていただきました

写真左下:トップメニュー  写真右下:マップ・・旗印タッチすれば、説明が・・・
マップ切り替えで、肥前名護屋城屏風図がでます・・・右下中央の天主閣が、本丸御殿が・・
残念ながら、iPhoneに入れていきましたが、あの強風では、使える状態ではなかったですm(_ _)m






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