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2022年12月8日

和歌山県への旅・・・那智の滝です

和歌山県と云えば、那智の滝、有名です
必ず、訪れたかった場所でもあります
強いて言えば、熊野那智大社、青岸渡寺と、那智の滝はセットですけどね
そして、飛瀧神社は、熊野那智大社の別宮です

さぁ、降りて行きましょう

この左隣に「P」があります
緩やかな長い石段を下って行きます
途中の写真はありません・・・足元ばかり気になり、そんな余裕はなかったです

おぉ! 見えてきました、那智の滝(那智御瀧)

左の建物は、別宮 飛瀧神社 熊野那智大社の別宮で、那智の御瀧を御神体として「大己貴神
」をお祀りしています。

鳥居横まで進み、那智御瀧の全景を・・・
御瀧の高さは133m、銚子口の幅は13m、滝壺の深さは10mあり、流下する水量は毎秒1トンといわれており、国の名勝となっています
一番良い場所に、観光記念写真を生業にしているカメラマンさんが陣取っています

     そのお立ち台の前から、帰りに、一枚


たくさんの方々が降りてきます、そして帰途、登っていく光景です




 
無事? 那智御瀧を拝見できました
そうなんです・・・瀧に見とれて、石段に踏み外しそうになり、あわや転倒か!
運良く踏ん張りました・・・

若くはないので、石段は、必ず下足元を見て一歩一歩確実に降りる、そして、パチリするときは、きちっと立ち止まる!
これ、私の行動原則だったのですが、つい!
気をつけましょう











2022年12月6日

和歌山県への旅・・・熊野那智大社です

和歌山県を旅しています

和歌山の宿は、勝浦漁港の沿いの宿です・・・
朝、部屋からの日の出が見れました
今日も天気最高のようです
朝飯、食べて、走りましょう

目指すは、熊野那智大社
早めの参拝を目指します
そして、ややズボラします
熊野那智大社までの参道の石段を登るが、無理と判断し、有料道路(災害復旧道路)を通し熊野那智大社の「P」へ停めました

その「P」に到着・・・おぉ!那智の滝です

那智山 熊野権現 熊野那智大社 世界遺産 熊野三山

美しい鳥居です

そうなんです、この467段の石段をパスしました
熊野那智大社への参拝は、これを登るのが常道ですが、断念しました


拝殿です
早朝のため、人影は少ない? 
いやいや、結構な人数の方々が参拝されています


熊野那智大社 御由緒
熊野という地名には諸説ありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」 とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があると考えられ、「クマノ」とは「カミの野」で神々が住まう地といえます。
往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命 (神武天皇)が那智 の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使であ る八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。
当社は仁徳天皇五年(三一七年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野 の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。 御祭神は熊野夫須美大神と申し上げる 我が国の最初の女神「伊弉冉尊」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社 四千余社の御本社である熊野三山 (本宮大社・速玉大社・那智大社)の一社であり、「日 本第一大霊験所 根本熊野三所権現」として崇められています。 主神の御名「夫須美」は 「むすび」と同意であり、諸願成就の御神徳があり、かつては「結宮」とも称されました。 熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟 って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。
那智山信仰の根元である那智の御瀧は、当社の別宮 「飛瀧神社」と申し上げ大己貴神をお祀りしています。


御祭神
第一殿:瀧宮 大己貴神
第二殿:証誠殿 家都御子大神 (素盞嗚尊)
第三殿:中御前 御子速玉大神 (伊弉諾尊)
主神 第四殿:西御前 熊野夫須美大神 (伊弉冉尊)
第五殿:若宮 天照大神
第六殿:八社殿 天神地祇八神


六殿が並んでいるのですが、拝見することは不可能です
ドローンで、空撮であればね!

御縣彦社 御祭神 賀茂建角身命 (八咫烏)

八咫烏は、神倭磐余彦命(神武天皇)を熊野から大和(奈良の橿原)まで道案内を したといわれる鳥であり、熊野の神様のお使いとされています。
無事に道案内を終えた八咫烏は熊野に戻り、当社で石に姿を変えて休んでいると伝えられています。 (玉垣内の「烏石」)
日本サッカー協会のシンボルマークに 八咫烏が使われていますが、これは日本の サッカーの産みの親である、那智勝浦町出身の中村覚之助氏にちなんで、選定されたといわれています。
八咫烏は導きの神様として、願事を成就に導くご利益があると崇敬を集めています



八咫烏

和歌山県指定天然記念物 那智の樟
この樟は、樹齢約八五〇年と推定され樹高は二十七メートル、 幹回り約八・五メートル、枝張りは南北二十五メートルもあり ます。
県下でも珍しい樟の大樹で、根幹部は空洞化しています。 熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えの樟と伝 えています。

樟霊社胎内くぐり
この老樟は古来樟の精にあやかって樟霊社とし、又、無病息 災を祈り長寿を願って多くの人々に崇められています。根幹部 の空洞を通り抜ける 「胎内くぐり」には備え付けの「護摩木」 「祈願絵馬」に願意・氏名を記入し、これを奉持して胎内に入 り出口の護摩木・絵馬掛けに納めて下さい。
護摩木は毎月十八日の権現講祭に焚き上げ祈願します。


樟の枝の下から眺める眺望

おおぉ‥誰もいませんね

さぁ、那智山青岸渡寺へ参りましょう

この神門をでれば、そこは、那智山青岸渡寺です

これで、熊野三山を無事参拝できました
よき、時を過ごさせていただきました








2022年12月5日

和歌山県の旅・・・熊野速玉大社です

和歌山県を旅しています

熊野三山のひとつ、熊野速玉大社を参拝します
二度目ですが、一度目は、新宮市に宿をとり朝一で、朝早く参拝しました
今回は、夕暮れ・・・午後、15時ぐらいですが、参拝者さんは多いです

社頭

世界遺産
・・紀伊の地の霊場と参詣道

さぁ、参拝いたしましょう

熊野速玉大社の御由緒
熊野速玉大社は悠久の彼方、熊野信仰の原点・神倉山の霊石ゴトビキ岩(天磐盾)をご神体とする自然崇拝を源として、この天磐盾に降臨せられた熊野三神(熊野速玉大神 熊野大須美 大神、家津美御子大神)を、景行天皇五十年の御代(西歴百二十八年)初めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに創始いたします。我々の祖先は、美し国熊野に坐しますこの真新しい新宮に大自然の恵み を献じて神々を砕き祀り感謝と畏敬の心を込めて祈りを捧げながら、最も神社・神道の特色ともいうべき清め祓いを実践してまいりました。このように、原始信仰から神社神道と信仰の形を整えて未来永劫にわたり顕彰し続をもって「新宮」と号するゆえんであります。この尊称はまさに熊野速玉大社が、天地を教典とする自然信仰の中から誕生した悠久の歴史を有すことの証といえるでしょう。中世、熊野御幸は百平度を仰ぎ、第四六代孝謙天皇より「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、また千二百点を数える国宝古神宝類が奉納され、全国に祀る熊野神社の総本宮として厚い信仰を集めております。また、境内には熊野信仰の象欲たる「大樹」が登り・熊野館や熊野詣を物語る「熊野御幸」などがあります。


神門

拝殿


注連縄



結宮

左から 「奥御前・三神殿」「上三殿」「八社殿」

右から「八社殿」「上三殿」「奥御前・三神殿」「速玉宮」「結宮」

第四殿 「若宮」 天照大神


熊野御幸
中世・宇多上皇(津五十九代天皇)の延喜七年(西暦九〇七年)から玄輝門院の嘉元元年(西暦一三〇三年)までの三百九十六年間に 上皇女院親王を合せて御二十三方、百田に及ぶ 皇室の御参詣がありこれを熊野御幸と言って熊野三 山史上に不滅の光彩を放っている。
熊野御幸には陰陽師に日時を占定させて、斉館で心身の 御精進を数日向行われて後に御出発になる。白河天皇の 天・永元年九月の御幸には、総人数八百十人、一日の食糧十六石二斗八傅馬百八五匹と「中右記」に記している。 御幸の道順は京都住吉和泉紀伊半島海岸沿いに 南下して田辺・中辺路、本宮熊野川を下って当大社へ 参拝那智山雲取本宮、往路コースを逆行して帰京 されるまでおよそ二枚日に及ぶ難行苦行の旅であった。 熊野御幸によって熊野信仰は公卿武士、庶民の間に 流布し、熊野水軍をもつ熊野三山の忠誠心を助長し、京と 熊野との文化交流有名な熊野懐紙 幾多の名歌が詠じら れるなど各方面に大きな影響を残している。


熊野御幸の多い上皇は・・・
後白河上皇 三十三度 自:永暦元年(1160)至:建久二年(1191)
後鳥羽上皇 二十九度 自:建久九年(1198)至:承久三年(1221)

今年の大河ドラマ、鎌倉殿の十三人での登場する人物ですね


御神木 椰
・・・熊野から世界へ捧げる平和の祈り

熊野は祈りの聖地として憧れの異界であり、「椰」の葉は霊威ある熊野詣でのお守りとして 古から大切にされてきました。
熊野速玉大社の御神木椰は、樹齢約千年 日本一の椰の大樹として崇められています。 昭和四十七年、沖縄が本土に復帰した年・この神木の苗木が沖縄の地に植樹され、四十年後、各地の農林高等学校で発見されました。 立派に根づいているその姿に、沖縄の苦難の歴 史が重なり一入感慨深く、当大社宮司のもとに 平和を願う心ある人々が集い、平成二十四年六 月「世界平和の祈り」が捧げられました。
平重盛公が国安かれとお手植えされた椰の御 神木は千年の時を刻んで平和を象徴する霊木 となり、訪れる人々を見守り続けています。
どうか、心静かに手を合わせ、全ての命ある ものを慈しみ、世界の平和をお祈り下さい。   ・・・根本熊野大権現 熊野速玉大社


静かな時間を過ごさせていただきました
参拝は二度目ですが、社殿の色彩は見事なものですね

今回も熊野速玉大社、摂社である神倉神社の参拝は断念いたしました
自然石を積み上げた五百数十段の石段を登るのは、無理でしたね(涙)




















2022年12月2日

和歌山県への旅・・・熊野本宮大社です

全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮である熊野本宮大社を参拝いたします
熊野三山(本宮・速玉・那智各大社)の中心です

参拝いたします





マスク着用のお願い

       かなりキツイ石段です
       後で知ったのですが、158段ですって・・・

神門

「試練に耐えた旅人の切なる想いを受けとめる」

杉木立に囲まれた158段の石段参道を登り、 総門をくぐると檜皮葺の威厳に満ちた社殿が 姿をあらわします。 主祭神は家津美御子大神で、本地仏は阿弥陀如来とされていることから、極楽浄土の聖地とみなされてきました。
かつては、「大斎原」と呼ばれる中洲に鎮座していましたが、 明治22(1889)年の水害を受け、免れた上四社三棟を現在地に移築・再建されました。 中辺路・小辺路、そして大峯奥駈道といった、いくつもの参詣道の交差点に鎮座する熊野本宮大社は、熊野詣の最初の目的地であり、ここから熊野川を下り、熊野速玉大社から熊野那智大社へと参詣するのが一般的だったといわれています。


総門をくぐります

御社殿
信仰の原点と熊野権現

熊野は深い森と険しい山岳地帯であることから、山や川、巌や森などを神聖視あるいは神々が降臨し籠っているという自然崇拝に起源をもつ。 また、山や海の彼方には他界があり、そこに死者の霊が往くという山中他界観や海洋他界観という霊魂崇拝の地でもあった。 このよう な宗教観のもとに、熊野本宮大社は川あるいは樹木、熊野速玉大社は巨岩あるいは川、熊野那智大社は滝などに信仰の具現化を見たものと考えられる。
平安時代の浄土信仰の広まりや神仏習合にもとづき、神は仏が衆生済度のため「権」に姿を「現」したものという本地垂迹説により、本宮は阿弥陀仏、新宮は薬師如来、那智は千手観音が本地仏とされ、現世利益を求める人びとが直接熊野三山へ参詣するという宗教現象が見られるようになる。



左:証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊) 
重要文化財 文化七年(1810年)建立 入母屋造
右:東御前(若宮・第四殿) 天照大神
重要文化財 享和二年(1802年)建立 入母屋造


証誠殿


西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神 重要文化財 享和二年(1802年)建立
中御前(結宮・第二殿) 速玉大神 重要文化財 享和二年(1802年)建立 
入母屋造 切妻造(正面)・入母屋造(背面)



熊野本宮参詣曼荼羅
熊野本宮観光協会展示品

戦国時代から江戸時代にかけて、熊野三山の修繕費用の寄進集めや、熊野への参拝者誘致を目的に、熊野観心十界図と那智参詣曼荼羅を携えて全国を渡り歩き絵解きをした尼僧「比丘尼(びくに)」。天上界、地獄、餓鬼、畜生、六道などが描かれた絵図を使って、人間が生まれて死んでいくまで、また死後の世界と救済を語り聞かせたとか・・・



総門内からの様子・・・たくさんの方々が参拝にお越しです

拝殿前・・・八咫烏(由来)

熊野では八咫鳥を神の使者と言われています。
三本足とは熊野三党(宇井・ 鈴木・榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素盞嗚尊) の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。
鳥は一般に不吉の鳥とされてきているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇 御東征の折、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。
又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折 那須与一出身地(栃木県)烏山城は鳥が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。


境内の紅葉





       降ります



       この側、鳥居と瑞風殿の間に熊野古道がありました
       ・・・祈り道とあります・・・

この祈りの道で、女性が一人、黙々と何かを拾っていました

・・・なにを拾われているのですか?
椎の実です
これを育てて植林をしています
・・・神社といえば、椎の実ですね、ご苦労様です

参拝を終え、すがすがしい気持ちになりました
遠路はるばるやってきた甲斐がありました
そして、和歌山県の旅のスタートの場所に熊野本宮大社を選びました

そうです
これから、熊野速玉大社、熊野那智大社を巡り、いろんな観光ポイントを巡ってまいります



追記:記事文言は、配布パンフ・Wikipediaなどより引用いたしました