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2022年12月6日

和歌山県への旅・・・熊野那智大社です

和歌山県を旅しています

和歌山の宿は、勝浦漁港の沿いの宿です・・・
朝、部屋からの日の出が見れました
今日も天気最高のようです
朝飯、食べて、走りましょう

目指すは、熊野那智大社
早めの参拝を目指します
そして、ややズボラします
熊野那智大社までの参道の石段を登るが、無理と判断し、有料道路(災害復旧道路)を通し熊野那智大社の「P」へ停めました

その「P」に到着・・・おぉ!那智の滝です

那智山 熊野権現 熊野那智大社 世界遺産 熊野三山

美しい鳥居です

そうなんです、この467段の石段をパスしました
熊野那智大社への参拝は、これを登るのが常道ですが、断念しました


拝殿です
早朝のため、人影は少ない? 
いやいや、結構な人数の方々が参拝されています


熊野那智大社 御由緒
熊野という地名には諸説ありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」 とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があると考えられ、「クマノ」とは「カミの野」で神々が住まう地といえます。
往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命 (神武天皇)が那智 の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使であ る八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。
当社は仁徳天皇五年(三一七年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野 の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。 御祭神は熊野夫須美大神と申し上げる 我が国の最初の女神「伊弉冉尊」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社 四千余社の御本社である熊野三山 (本宮大社・速玉大社・那智大社)の一社であり、「日 本第一大霊験所 根本熊野三所権現」として崇められています。 主神の御名「夫須美」は 「むすび」と同意であり、諸願成就の御神徳があり、かつては「結宮」とも称されました。 熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟 って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。
那智山信仰の根元である那智の御瀧は、当社の別宮 「飛瀧神社」と申し上げ大己貴神をお祀りしています。


御祭神
第一殿:瀧宮 大己貴神
第二殿:証誠殿 家都御子大神 (素盞嗚尊)
第三殿:中御前 御子速玉大神 (伊弉諾尊)
主神 第四殿:西御前 熊野夫須美大神 (伊弉冉尊)
第五殿:若宮 天照大神
第六殿:八社殿 天神地祇八神


六殿が並んでいるのですが、拝見することは不可能です
ドローンで、空撮であればね!

御縣彦社 御祭神 賀茂建角身命 (八咫烏)

八咫烏は、神倭磐余彦命(神武天皇)を熊野から大和(奈良の橿原)まで道案内を したといわれる鳥であり、熊野の神様のお使いとされています。
無事に道案内を終えた八咫烏は熊野に戻り、当社で石に姿を変えて休んでいると伝えられています。 (玉垣内の「烏石」)
日本サッカー協会のシンボルマークに 八咫烏が使われていますが、これは日本の サッカーの産みの親である、那智勝浦町出身の中村覚之助氏にちなんで、選定されたといわれています。
八咫烏は導きの神様として、願事を成就に導くご利益があると崇敬を集めています



八咫烏

和歌山県指定天然記念物 那智の樟
この樟は、樹齢約八五〇年と推定され樹高は二十七メートル、 幹回り約八・五メートル、枝張りは南北二十五メートルもあり ます。
県下でも珍しい樟の大樹で、根幹部は空洞化しています。 熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えの樟と伝 えています。

樟霊社胎内くぐり
この老樟は古来樟の精にあやかって樟霊社とし、又、無病息 災を祈り長寿を願って多くの人々に崇められています。根幹部 の空洞を通り抜ける 「胎内くぐり」には備え付けの「護摩木」 「祈願絵馬」に願意・氏名を記入し、これを奉持して胎内に入 り出口の護摩木・絵馬掛けに納めて下さい。
護摩木は毎月十八日の権現講祭に焚き上げ祈願します。


樟の枝の下から眺める眺望

おおぉ‥誰もいませんね

さぁ、那智山青岸渡寺へ参りましょう

この神門をでれば、そこは、那智山青岸渡寺です

これで、熊野三山を無事参拝できました
よき、時を過ごさせていただきました








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