10月の神社探訪は、兵庫県丹波市山南町和田 式内社、狭宮神社です
再訪になります
前回は2016年5月28日の参拝でした
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/05/blog-post_28.html
もう、7年がたったのですね
今年、7月の神社探訪で兵庫県加東市上田、大芋神社、中川利兵衛の本殿彫刻を拝見いたしました
そのとき、うん? 中川利兵衛の彫刻が、どこかにあったなぁ?
と、思い出したのが、狭宮神社でした
改めて、江戸期に職人の間で「彫聖」として語り継がれた、中川利兵衛の彫刻を再度、拝見すべく訪れました
2回に分けます
今回は、神社境内の様子 2回目は、彫刻を中心に記事にいたします
社頭の石碑と石灯籠
鳥居
・長い参道をキョロキョロしながらのんびりと歩きます
扁額
イチョウも黄色くなるのももうすぐですね
狭宮神社
当神社は、平安時代中期 (西暦九二七年) 延喜式内社に列 格した丹波有数の古社であります。 主祭神の若沙那売命は、 若々しく成育する御神徳で、健康長寿・不老長寿を始め、安 産・交通安全等、命(いのち)の守護神として広く崇敬され ています。 また、相殿(副祭神)の八幡様は厄除大神で有名 です。
御本殿は、江戸中期 (西暦一七五八年)の再建で、入母屋 造檜皮葺の誠に巧みで優美な古社にふさわしい建築となっており、特に本殿の彫刻は、江戸期に職人の間で「彫聖」として語り継れた中川利兵衛の作品です。 本社周りの境内社(稲荷社・天満宮等)の七宮をめぐられる際に、ごゆっくり御覧下さい。
社殿真向かいには、安土桃山より江戸後期にかけて、厄除や雨乞いの際に奉納された能(丹波猿楽)の舞堂があり、平成十四年五月に能楽が復活しております。
山南町指定文化財
・狹宮神社本殿
・能面小尉 一面
・狹宮神社社叢
山南町 山南町観光協会
神社本庁教化モデル神社指定
いい雰囲気です
境内、正面は拝殿
まずは、拝礼を!
県指定文化財 狭宮神社本殿・天満宮
指定年月日 平成30年3月20日
本殿 附棟札1枚 (宝暦八年 再建三宮正一位八幡宮の記のあるもの)
所有者 宗教法人 狭宮神社
狭宮神社は延喜式内社に比定され、 往古は三宮と称し和田下河原にあったが、 正保年間(1644~ 1648年) に柏原藩主の支援により現在地に遷されたと伝えられる。
本殿は規模の大きな二間社入母屋造、屋根は檜皮葺で千鳥破風を置き、軒唐破風付の向拝一間を設ける。 棟札、 疑宝珠刻銘により、宝暦八年(1758) 多可郡比延庄塚口新田 (現西脇市) の飛田正蔵により建てられ、 脇障子は大坂の彫物工 中川利兵衛によるものである。 この社殿の特徴は、向拝付の二間社入母屋造といった近世神社本殿の造形の自由さが見られることや豊かな装飾彫刻を持つ点である。
天満宮の沿革は定かではない。建物は檜皮葺の一間社流造で小規模ではあるが端正な社殿であり、建物の様式から17世紀後期の建立とされる。これらの建物は県下でも上質な建物であり、この地域の 近世建築の質の高さと時代の特徴を示す重要な遺構である。
令和4年3月 丹波市教育委員会
本殿
本殿は規模の大きな二間社入母屋造、屋根は檜皮葺で千鳥破風を置き、軒唐破風付の向拝一間を設ける
六の宮 厄除神社
七福かえる
舞堂
安土桃山より江戸後期にかけて、厄除 や雨乞いの際に奉納された能(丹波猿楽)の舞堂
市指定文化財 狭宮神社
狭宮神社の裏山は古い植生の様相をよく示している。 第1層はツブラジイが 優先し なかにスギ・ヒノキ・アカマツが多少混じっており、 第2層はアラカ シ・アカメガシワ・コシアブラ・タカノツメソヨゴ・ツバキが混生し、 第3 層はタラヨウ・アセビ ・シャシャンボ コバノミツバツツジ ・ナツハゼツブ ラジイ・アラカシ・ネジキ等が生え、第4層の下草にはベニシダ・ウラジロ・ コシダシシガシラ等のシダ類が生えている。 この森は原生林ではなく、一度 荒廃したのが再び回復したものと思われるが、暖地の原植生をよく示しており、 たいへん貴重な森林である。
平成25年3月 丹波市教育委員会
手水鉢
・天保二(1831)と、読める手水鉢
社務所
さすが、古社
いい雰囲気でした
参拝者さんもおらず、ゆっくりできました
また、参拝いたしましょう
追記:記事文言は、掲示案内板より引用いたしました
定番マンフォール 山南町 汚水
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