中井権次一統の足跡を巡っています
2015年4月5日に訪れた「壹鞍大明神」
今回の目的は、六代目中井権次橘正貞の秀作とされる彫物が、果たして正貞なのか、再度この目で、確認したくて、やってきました
何度、拝見しても、立派な両部鳥居です
境内は、よく手入れが行き届いていますね
古社調査届
壱鞍神社
国道27号、綾部市山家を北上して上林地区の十倉志茂町の左山麓に鎮座する古社。
背後の山を借景にして素晴らしい景観の神域が目に入る。
創建時は応永元年(1394)。現在の社殿は文政六年(1823)。
一間社流れ造り。祭神は木花佐久耶昆売命(コノハナサクヤヒメノミコト)。
向拝には宝珠をしっかり握り、珍しく髭は木で作られている小型の竜がまず目に入る。
すぐ上には力士が梁を持ち上げている。
木鼻は唐獅子と象がしつらえられているが、 ここでは、本殿の周りにも8頭の象が元気よく並んでいる。
手挟みはなかなか手の込んだ牡丹の彫り物である。
2頭の唐獅子も目に入る。本殿左右の上部には、長寿を祈念する鶴と亀が躍動している。 さらにその上部には牛と馬(龍馬すなわち麒麟)が彫られている。
兎の毛通しの鳳凰も立派だ。左の脇障子は虎の上に乗る仙人、右のそこには昇竜と仙人が見てとれる。・・・6代目中井権次橘正貞の秀作。
この説明板は、2017年11月1日の再参拝時には立てられていました
そして、上の説明文は、丹波新聞のコラムの記事と同じということも判明し、この壹鞍神社を中井権次一統の足跡とラベル登録いたしました
しかし、最近始めた、中井権次一統の代々別の彫刻を並べて比べてみると、六代目中井権次橘正貞の作とは思えないのです・・・
兎の毛通し
梁を支える「力士」
龍
木鼻
木鼻
鞍岩の伝承
凡そ今から六百年の昔、応永元年(1394年)6月19日洪水の夜、壹鞍神社の神様が濁流に押し流された。ところが幸いな事に川の中あった馬の背の形をした岩のところでやっと止まった神様は、はい上がろうとして岩に生えていた「うらじろを掴んだが抜けて上れなかった。そこで神様は「ささ」をつかんで岩の上に上られたと言い伝えられている。村人は岩の上にあった神像を十倉山の麓に祠を建て壹鞍大明神としてお祀りし、此の神聖な地を「鞍岩」と呼びしめ縄を張り不浄を禁じたのである・・・氏子総代謹書から引用
手水鉢 享保十九甲寅(1734)と刻まれている
本殿下の石灯籠 年号の刻銘は寛延二巳巳六月(1749)である
丹波新聞のコラム、説明板の、六代目中井権次橘正貞の作との記述と彫刻を再び拝見しました
昨今、中井権次一統の代々別の彫刻を並べてみています
それを眺めていると、どうしても、六代目中井権次橘正貞の作とは思えないのです
しかし、五代目中井丈五郎正忠は、1818没、現在の社殿は文政六年(1823)なので時代が違う・・・
正貞(1791~1855没)なので、時代は合うのだが・・・
まぁ、私の眼もいい加減ですが・・・
銘が確認できていれば、ごめんなさいなんです
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