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2019年8月31日

豪雨・・・そんな日に、飛行機撮影です

西日本、特に九州がひどい状況に……そんな日に伊丹スカイパークで、飛行機撮影です

数えるわけでもないですが、見たところ10人以上は撮影にきています


14時過ぎに到着しました
早速、撮っていきましょう……


目標は……ベイバーと、ボンバルディアのプロペラの渦巻きを撮影したいです
写真は、Liveドアのブログで……

豪雨…そんな日に伊丹スカイパークで飛行機撮影です
http://luuku2009.livedoor.blog/

豪雨…そんな日に伊丹スカイパークで撮影です
http://luuku2009.livedoor.blog/archives/2141042.html








2019年8月30日

フロントガラス、油膜取り、撥水コーティング……結果です

愛車、プリウスα君……油膜取りと、撥水処理をした翌日の外出……雨でした!
撥水処理をしたあとのフロントガラスの状態を楽しみにしていましたが……
結果は?


雨水は、さほどひどくはない小雨ですが、45kmでは、ほぼ雨水は動きません

42Kmです‥少し、雨水玉が大きくなってきてますが、ほぼ動きません

時速60~65kmになると、上に移動し始めますが、視界は悪いです

メーカーの説明では、38km/h以上の走行速度でガラスに付着した雨・水滴が吹き飛ばされるので(当社研究部門風洞実験より)、ワイパーなしでも快適な視界が得られます……と、あるが……


ワイパーを使いながら、走りました
おそらく、撥水コーティングが、失敗ではないとしても完璧ではなかったのか?
それともこんなものか?
もう少し、遅い走行スピードでも飛んでくれたら、うれしいですが……

と、いう結果でした……





2019年8月29日

油膜取りと、撥水処理をします

愛車「α君」……先日、樹液が付着して……
オートバックスさんから勧められた「soft99ウォータースポット強力除去」で処理しました

2019年6月18日
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2019/06/blog-post_18.html

その後、撥水処理すればよかったのですが……つい、放置!
……下写真のような状態になってしまいました……



     Youtubeで知った、油膜とりパッド
     水つけてかる~くこするだけ! に、惹かれて、購入しました

   同じく、Youtubeで、使用テストを見て……
   数ある中……スーパーストロングガラスコートとなるもの、これまた購入


早速、油膜とりパッドで、水つけてかる~くこすり……
みごと、油膜除去されました……途中写真写せませんでした

……一応、親水状態……

ガラスコートを先に横、後で縦と塗布しました
……10分乾燥させます……ムラが出ているようですが……失敗か?


     塗布から10分、白く乾いて、濡れたタオルを硬く絞り、拭き取りです
     室内からみても、問題なさそうです
     ……完璧?です……
     雨の日がもうすぐやってきますので、効果がわかります



そして、さらに、愛車、プレオ君にも……

濡れたタオルを硬く絞り、拭き取り……ガラス、キレイです


プレオ君、久しぶりのオイル交換をしました


今回は、MobilSuper1000 5W-30を使用しました
前回の残が1Lありますので、4L缶を追加で……

しかし、オイルを抜いていくと通常「2.5L」は抜けるのに、「2L」しか抜けません
うん? これは、おかしい……なんらか異常か?
エンジン内、オイル漏れをしている様子もない!
下覗いてみても、漏れはない‥
「P」にも、その痕跡オイル痕もない‥
マフラーから、白煙も出ない…
マフラーの出口、乾いている…

しばらくオイル量をチェックしなければなりませんね
前回の交換記録には、「2.5L」と記しています

エンジン音も軽やかに、元気よく走ってくれています
しかし、要注意です

がんばろうぜ、プレオ君!





2019年8月28日

朝日がサンサン、おはようサン!・・・朝のウォーキングです

朝日がサンサン、おはようサン!・・・どこかで、聞いた台詞? 歌詞?
そうや・・・吉田拓郎さんの歌・・・「朝陽がサン」
そんなフレーズを思わせる、今朝のウォーキングです

朝日で浮かび上がる、蜘蛛の巣!
……自然の芸術品ですね……

猫避けか? ずらっとならぶペットボトルが眩しいです

前夜は雨・・・湿気が多いが、美しい光景です

三田市方面は雲海のようです


    朝日がサンサンに照らされ・・・さびた階段と影・・・
    ・・・思わずパチリしてしまいました・・・

      キレイに塗装された、「らせん階段」と、その影


先日のSONY-RX100のピントがボケていましたので、再チャレンジです
写真下、3枚は、「P」モードで、フォーカスモードは「DMF」

AF後、「DMF」マニュアルで、合わせてみました・・・


そして、現像で、ユリの白をだすために・・・
ハイライトを-100に、シャドウ-を+100にしてみました(邪道か?)
みごと、ユリの白が表現できましたが・・・・


フォーカスモード「DMF」で、白い花を・・・ピッシと、

今は、ユリがシーズンなんでしょうね・・・あちこちに咲き乱れています

AF後、「DMF」マニュアルで、合わせてみました・・・

「朝陽がサン」の歌は、下記のように続きます

社会の皆サマおはようサン
君のおはようは元気ですか How are you
今日は新しい一日であります

懐かしい歌です
どこかにあるので、探してみて、 「α君」で聞いてみよう・・・

今日も新しい一日が始まります・・・






2019年8月27日

明延鉱山探検坑道「世谷通洞坑」・・・兵庫県養父市大屋町明延

一円電車、両松寺から県道6号線を走って、山、下っていくと……

県道6号線の道沿いの、それもカーブのところに、明延鉱山探検坑道の鉱道があります

明延鉱山探検坑道「世谷通洞坑」

明延鉱山の鉱床形式は脈状で鉱脈は130条板状あり、その鉱脈に沿って多くの坑道が掘られました。
閉山までの坑道総延長は約550km、面的な広がりは約5k㎡あり、海面下138mまで掘り下げられています。
この坑道は明延鉱山株式会社が(当時)使用していたものを平成元年(1989年)に青少年の学習施設として整備したものです。
坑内には閉山まで使用していた立坑跡、車両系鉱山機械、削岩機など近代化鉱山の設備が多数展示されています


もちろん、入れませんので、隙間から、SONY-RX100を差し込み、フラシュ炊いて・・・


下、写真は、2016年1月に撮影したものです
比べると、上写真の現在は、観光用に整備されています・・・
下写真の方が、迫力ありますが、観光用となれば、事故などが心配ですからね




入口の隙間から吹き出す「冷気」・・・自然の冷蔵庫です
この暑さ、この汗に・・・なんと、気持ちのよいことでしょうか!
「α君」のエアコンの冷気と、また、違う冷気です・・・最高です

で、ちょっと、鉱口から離れると・・・眼鏡が雲ってしまいました
それだけ、温度差があるのです・・・
何度かなぁ? 10~15度ぐらいか?(私感)

しばし、身体を冷やしていたのでした・・・


       県道6号線を横切る、線路・・・


鉱石の道 案内図

下、Mapの位置より、少し、下(南)のカーブのところです

もし、夏に見学する際には、ぜひ、吹き出る、冷気で、身体を冷やして下さい








2019年8月26日

両松寺・・・兵庫県養父市大屋町和田809

養父市指定文化財である、両松寺の梵鐘を拝見いたします
真言宗、両松寺・・・兵庫県養父市大屋町和田809です

豊臣秀吉によって支配されていたこの鉱山地域に、その当時から存在する「両松寺」とあります

両松寺の梵鐘(養父市指定文化財)

両松寺の梵鐘は、豊臣時代の文禄五年(1595)に明延産出の銀・銅の合金を持って鋳造され、明延の繁栄と縁者の冥福を祈願して奉納されました。
この梵鐘の合金の成分をはじめ、形、鋳造に技術、銘文に彫刻など、当時の文化美術を証する重要な文化財であるといわれています。
第二次世界大戦下では、金属物資が欠乏し、あらゆる金属製品が徴用される中、その例外ではなかったこの梵鐘を重要文化財として存置く申請し、特別に徴用を免除されて両松寺の保管となり、現存しているものです





山門

平成九年「龍」彫刻開始 光雄、十四年完了・・・と、ありますね!
そして、最後に両松寺二十八代住職 光雄 と、あります
ご住職、自らの彫刻のようです・・・お見事です!



本堂 

本堂、左右の欄間の彫物


「経の巻」3本のせて、立派な鬼瓦ですね・・・おそらく、古いものでしょうね!
写真左にある板は、由緒書のようですが、まったく文字読めません・・・


両松寺の左側に、「和田神社」の参道、鳥居があります


番外・・・
両松寺を少し南へ進むと、古い「たばこ」屋さんが・・・
・・・龍が炎?舌?で、Cigaretteと描いているね・・・じつに面白いです

いつものGoogleMapに「両松寺」が表示されないので、Mapionから引用です






2019年8月25日

明延鉱山、明延地区の街、一円電車です

和田神社で、中井権次一統の足跡を拝見して、次は、近代化産業遺産、一円電車くろがね号の場所へ向かいます
明延鉱山、明延地区の街・・・2016年1月9日に訪れました

下、案内板には、和田神社が入っていますね・・・
・・・2016年の折にはこの案内板は無かった‥多分?

その途中…旧北星住宅

昭和11年に建築された鉱山従業員の社宅の一部で、通称「長屋」と呼ばれています
北星西部地区には昭和28年に近代的なプレコンの2階建住宅が建てられました
鉱山の最盛期(昭和30年)には社宅が780戸あり、4000人以上の住民が生活していました
現在残っている社宅は、市営住宅として利用されています

鉱山の里

8月の日曜日には動かしているようです

日本遺産 明延鉱山、中瀬鉱山

養父市指定文化財 明延鉱山明神電車(客車くろがね)



       定員:23名


現在の牽引車

明延鉱山の一円電車

この電車は開延鉱山で走っていた鉱山電車です。
乗車料金が一円ということから一円電車の愛称で親しまれていました。
正式名称は明神電車です。
一円電車は昭和20年に鉱山従業員の通勤用として運行を開始、昭和62年、鉱山閉山によって廃止されました。
客車には「くろがね」「白金」「赤金」などの名前がつけられ、開延鉱山から神子畑選鉱場までの6㎞の区間をガタンゴトンと走っていました。


「しろがね」


昭和17年製か! 凄いね


       ・・・‥運転席・・・‥


元協和会館


協和会館は鉱山従業員の娯楽・集会施設として昭和6年に建築され昭和32年に今の建物に建て替えられました。
鉄筋コンクリート2階建て、延1122㎡の当館は収容人員1,150人という大きな施設でした。
当時の会館には有名な芸能人や一流の歌手が来演し近郊からも多くの人々が押し寄せていました。
毎日のように最新の映画も上映されていました


2016年1月に初めて訪れ、今日が2回目です
平日なので、閑散としています・・・
明延鉱山、一円電車、神子畑選鉱場跡、銀の馬車道という近代化産業遺産という名がピッタシな地域となっていった歴史を再び、読み返しています!


・・・‥2016年1月にも記しました・・・‥
「明延鉱山……日本一の錫鉱山」
奈良・東大寺の大仏鋳造の際、明延産出の銅が使用されたと伝えらえる歴史の古い鉱山です。
豊臣秀吉が支配し、江戸時代に江戸幕府の下で生野奉行所の所管になりました。
国内有数の銅山、銀山として盛衰を繰り返し明治で畏怖によって明治5年に官営化。
その後三菱に払い下げ、明治42年に錫鉱脈が発見されると、「日本一の錫鉱山」として栄え、錫の産出量は全国の90%を誇ったといいます。
昭和30年頃には、従業員は1500人、職員住宅に暮らす所帯数は1200以上、人口も4000人を超えました。
明延鉱山は、やがて世界的な鉱物の価格競争に巻き込まれます。
円高によって採算性が合わなくなる中、昭和62年(1987年)有望な鉱脈を残したまま、閉山となりました……鉱脈の道より引用